LAST UPDATE 2009/6/30
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/6/25
サテライト・スタジオが苦手なんだけど何とかならないものか?
あのガラス張りの中で放送するのは、他の連中は好きなんだろうか?
CDで音楽を聴いてもらう番組は、ガラス張りの中では苦しい、苦しい。
別に人前がイヤなわけじゃないんだ。しゃべるのも苦にならない。
ゲストとの話も時には盛り上る。
しかし、音楽だけが流れてる時間だけはどうすることもできない。

音楽を聴く自分と、音楽を聴く客とがにらみあったまま、2、3分が過ぎて行く。
オレはどんな顔をすればいいのか?
曲を聴いてノッてる風をよそおうのか?
ニコニコするのもどうだかな。
見てる客と目を合わせるのもカンタンじゃない。
さりげないアイ・コンタクト!

いや待ってよ、
客の方だって同じこと思ってるはずだ。
そう、この音楽だけ流れる時間って、お互いにどうすりゃいいのか?

昔、この問題を解決するべく、自分なりに色々やって見た。

スタジオの外でエアロビのお姉さん達にきてもらって、曲に合わせて踊ってもらう。
(これはかなり受けたが、エアロビっぽい曲ばかりかけるわけにいかず、
選曲で苦労した。)

無名の劇団にきてもらって、やはりスタジオの外で、パフォーマスをしてもらう。
(面白い連中とつまんない連中の差がありすぎた。手配するのがタイヘンだった。)

スタジオの外で絵を描いてもらう。
(これは、中々渋いねと評判が良かった)

と、まあ、やろうと思えば他にも色々、実験的な事ができると思う。
が、今回はなあ〜んにもやらないつもり。

音楽がかかってる間の克っちゃんとの「にらめっこ」。
楽しみにきてよ。7月から毎週土曜、於、渋谷スペイン坂。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/6/18
ラジオのスペシャル・ウィークの2週目。
そう、ラジオは2週間に渡って調査されてる。
みんなそれなりにがんばった! ごくろうさん。

個人的に笑ったり、楽しんだのはTBSラジオにホリエモンが出た夜。
ああゆう、行く所まで行っちゃった人のコメントには誰もかなわない。
衆院の解散について。
「ハッハッハ、麻生さんは最後まで首相やりますよ。
あの人、お金持ちだし、大会社の社長でしょ?
人生の最後に一番名誉な首相になれたんですよ、絶対辞めないっすよ。
麻生さん、言う事、やる事、どんどん変わるでしょ?
何にも考えてないからなんですよ。
何にもやる気がないからですよ。」

アメリカのトーク・ラジオが、ラジオ局の意見ではありませんと断って、
右翼の人や左翼の人を堂々とホストにしてるけど、
日本でやると問題起きるのかな。
今、AFN(元FEN)は夕方から夜にかけてまず民主党支持のトム・シュルツ、
その後に共和党で右寄りのラッシュ・リンボーの2つのショーを放送してる。
軍の放送が、右寄りと左寄り、両方やってて結構面白い。
今、オバマの悪口言う人いないでしょう?
ラッシュ・リンボーはオバマをこき下ろし続けてる。

あと、J―WAVEの夕方のピストンはラジオの遊びの天才だね。
音楽の裏打ちがあるから決して下品にならない。
またアメリカの話になるけど、
J―WAVEがアメリカの放送局で年間50億の売り上げがあるとすると、
ピストン・クラスは軽く10億の年間ギャラを獲るね。
アメリカのプロ・スポーツのギャラを知ってると思うけど、
ラジオも同じシステムなわけ。

ただね、今、アメリカのラジオはちょっとピンチだね。
大きな資本がラジオ局を買い占めてて地方色みたいなのがなくなってて、
みんなファースト・フード・チェーンみたいになってきてる。

「ラジオ&レコード」がちょっと前にビルボードに吸収されて、
先週で専門誌「R&R」がなくなり、「ラジオ&レコード」の名前が消えてしまった。

アメリカの業界の人間は最後にはこう言うけどね、
「車が走ってる限り、ラジオはなくならない!」

どうだか?







アメリカの劇団に檄を飛ばす小林。
(先月、新宿にて。ビートルズのTシャツ、わかる?)


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/6/30
マイケルジャクソン

僕ら80年代のサウンドで育った世代として、
マイケルジャクソンの死は非常に悲しい出来事であった。
随分年上に思っていたが、5歳しか違わない。
ジャクソンファイブの頃から活躍してせいか、レジェンドと云う気もする。
またクィンシージョーンズや、ダイアナロスら先人との付き合いがあるせいか、
かなり年配の印象があった。
80年代、まさに克也さんのベストヒットUSA全盛である。
しかしアメリカも偉大なスターや、アーティストを若く逝かせる。
プレスリー、マッククイン、モンロー、ディーン。
また若い死、故に伝説となる。
1983年は僕にとり、忘れられない年だ。
高校を卒業して就職した。
KFC時代は、かなりマイケルジャクソンの歌を聴いた。
と云うのが、店内でかかるBGMが、
当時8トラと云われている機械で繰り返し流されていた。
またそれが、一般人より早く聴く事が出来た。
早速気にいってレコード屋に走り、尋ねても、
「まだ発売されていませんね」、などど云われた。
1983年は、KFCも転換期でチキンフィレサンドを導入。
爆発的に売れていた。
このフィレサンドが、ばかばか売れている上では、
マイケルジャクソンのビートイットが鬼のようにかかる。
この曲聴いて欲しいが、さびの部分で「フィレー、フィレー」を連呼するのである。
(実際はBEAT ITである)
英語もわからない18歳の少年だった僕は、
チキンフィレサンドのキャンペーンに作ってもらった曲だと思いこんでいた。
可愛いいもんである。
それにしても、このアルバムスリラーは凄かった。
ビリージーンもスリラーも良かった。
一世を風靡すると云うのは、このことを指すのであろう。
町中、世の中みな、マイケルジャクソンブームであった。
それを決定的にしたのが、USA for AFRICAだ。
WE ARE THE WORLDは、とにかく日本中が魅せられた。
そして僕の中の最後のマイケル、
YOU ARE NOT ALONEが大流行している時は、
サンフランシスコに住んでいた。
この時は全米中が熱狂した。
今月彼は逝ったが、本当は YOU WERE ALONEではなかったか
と思わずにはいられない。
ご冥福をお祈りする。
写真はワイキキサイドの大波を、みなで待っている様子。
ロンドンの人達も、マイケルの波を待っていたのに……。残念だ。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/6/11
今、ラジオは誰が呼んだかスペシャルウィーク。
二週間にわたって聴取率の調査、それも今回は初の試みとして
日本全国のラジオ局を一斉に調べるってことで盛り上がってる。
TVは毎日数字が発表になるが、ラジオは2ヶ月に一度。
だからスペシャルウィーク。
昔はこの数字が局の売り上げに影響したり、
悪いと部長クラスが左遷されたりときつい時代があったが、今はどうなんだろ?
数字がいい局が売り上げが下がったりする時代なんで、みんな熱くなってないか。
何か、ワタクシ平然を装ってる口振りですが、ここで早目に告白しておきます。
この「ラジオの数字」に誰よりも敏感なのは、何をかくそう、このオレだ!

そうです、今日も今日とて、車に乗ると各局をチェックです。
それもFMもAMも。
運転しながらケータイやメールは減点だよね。
私、ケータイよりもラジオをいじる方が危ないと思います。
特に自動選曲じゃなく手動で局を探してる時なんかヤバイです。
とにかく人がやってることが気になって気になって。
これって自信のなさです。よね?

J−WAVEが「ショックを受けた曲」というテーマで
メール、リクエストを集めてる、ホッホー!
じゃT−FMは何やってんだ?
ん?「青春の一曲」。
これってどっちも似たようなもんじゃない、と思いながらも、また他局をチェック。
このチェック作業ってけっこう楽しい。
昔々、ラジオが大好きだった克也少年は
とうとうラジオのアンパイアになりましたってわけです。

こうやって人のがんばりを肌で感じるわけですから、
その結果が数字になって発表されるのを待ちます。
合格発表を待つ受験生です。
もちろん自分の番組の結果がまっ先なのは云うまでもありません。

面白いのは成績の伝わり方です。
オレ、フリーだから、だいたい4,5局のラジオ局と仕事してます。
放送局にとっては部外者だから、社員つまり担当者が俺に数字を教えてくれます。

その放送局の全体の成績がとても良かった時は別に問題ありません。
自分の番組を含めて詳しい数字が担当者から堂々と伝わってきます。
わかりやすいです。
放送局の成績が悪い時が問題です。
会社は悪い成績は隠したがります。
中々、いさぎよくとはいかないです。

オレだって人間、その気持ちよ〜くわかります。
武士の情です。
つまり、結果の伝わり方が鈍い時は、
自分の番組を含めて悪かったんだと推し量るわけです。
そのうち、切られるのかな?
とクビをも覚悟しなければいけません。クビを洗って待つ心境です

だけど、人間悪かったのなら、どれくらい悪かったのか、はっきり知りたいですよね。
俺が局の足をひっぱったのか?
それとも俺はがんばったのに、他の連中が足をひっぱったのか?
数字を見れば、一目瞭然なんだから。

何十年もやってればわかることがあります。
会社が隠したがる雰囲気をものともせず、
はっきりと数字を教えてくれる担当者もいます。
見せられれば当然こっちも努力をするようになります。
こういう担当者は確実にエラくなっています。
出世というのか、人間が大きくなるんですね。

やっぱりガンは告知した方が良いと思います。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/6/22
ワイキキのなごみ

ホノルルと云うか、ハワイに於いて日々の中で一瞬気が緩む時、
それは夕暮れ時であろう。
オプショナルツアーからの帰り、ゴルフの帰り、ビーチからの帰り、
夕食を待つ間のほんのひと時、訪れる光景。
日本でサラリーマンをしている頃はよもすれば、
四季また1日の初めと終わりさえわからない位、懸命に勤務していたと云えよう。
毎日のことであるからけっこう見落としがちであるが、
(たまに夕陽を見よう!)と出かけると、とてつもなく大きな感動に包まれる。
いつも思うことは(人間て小さいなー)と必ず考えさせられる。
無論寒いところで見ても夕陽は綺麗であるが、
ハワイは常に心地良い貿易風が吹く中の夕暮れ。
いいものだ。
以前は、ハワイ島コナに住んでいた。
コナも「コナサンセット」と云うハワイアンソングがあるくらい、
夕陽が綺麗なところである。
その当時も(日本に住んでいる兄弟などが見る一生分の夕陽を見てしまったなー)
などと考えたものだ。
先日母親が、ドイツ旅行に行って来た。
帰って来て開口一番
「ドイツは建物が少なく、どこまで行っても田園風景がある」と、旅を語っていた。
無論日本も昔はそうであったろうし、ハワイもそうであったろう。
人間の勝手な都合で、コンクリートジャングルを作っていったのは、いうをまたない。
その中でも、まだハワイは自然がたくさん残っていると思う。
夕暮れ時は、ビーチに面したレストランやバーは1番の賑わいをみせる。
コロナビールを飲みながら、友人や恋人とサンセットを眺め、語るのもいいだろう。
静かに一人で、心なしか寂しい、夕暮れを鑑賞するのもいいだろう。
それぞれの楽しみ方で、リアルハワイを体験してほしい。
そしてまたいつの日か、ホノルル空港に戻ってこれるように………。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/6/4
超バカテク連射ギターのKeziah Jonesが
ベスト・ヒットUSAにやってきた。
実は意地悪な意味で彼に会うのが楽しみで待っていたんです。
ボクの信条に、「テク」を売る人「深さ」を忘れる、というのがあり、
キザイヤはその「テク」が売りの人だったから。
おまけに、ギターを持ってスタジオに入るというじゃないですか。
まず、レコード会社の担当の人に会いました。
「ホテルからずっと一言もしゃべってくれないんですよ、大丈夫ですかねぇ」
と云うではありませんか。
どっちの人なのか? 深い人? 軽い人?
よけいに楽しみになってきました。

せまいスタジオに彼が入ってきました。
スラっと背が高く、無駄な肉がついてません。
精悍な顔、鋭い目つき、でもどことなく品があります。
やっぱりナイジェリアの金持ちのぼんぼんです。
いや、親は医者か弁護士になって欲しかった。
ところが彼は、そんな親や親族から離れ放浪したようです。
う〜ん、どんな人?

握手をしました。
すごい! 強い! 手がカタイ!
3分で殺られそう、ヤバイ!
そんな感じです。

こんな時は、誉め殺しのジャブです。
ワンツー、ワンツー。
「あなたはステージの上では神話を作った。レジェンドです。
スタジオの中ではどんな人ですか?」
「スタジオは大好きだよ。ステージの上ではギターは一本しか使えないけど、
色んな実験ができるし、スタジオはまるで新しい楽器だよ。」
こんな答えが返ってくれば、もう安心です。
ワタシはスキを見て、ただ一つ、用意していた質問を投げかけました。
平凡な質問ですが、これは彼にはちょっと痛いはずです。
「シングルのビデオを見たけど、ラヴ・ソングだね。
あなたはめったに男と女の歌は書かないよね?」
彼ははじめて照れた顔を見せて云いました。
「でもフツーのラヴ・ソングじゃないよ。」」

この時、ちょっとだけ読めた気が。
キザイヤは新たにレコード契約してアルバムを作る際に「サービス」をしたのでは?
「My kinda girl」って曲、ちょっとヤワなんです。
もちろん駄作じゃないけど、まるでこの曲キザイヤ風マーヴィン・ゲイです。
ビデオにはNYの伝説のチェルシー・ホテルやハーレムの有名な店も写ってますが、
う〜ん、どうもね。
オレの知ってるキザイヤじゃないって感じなんですよ。

ギターも持ってきてました。ハイ。
例のパーカッションもベース・ラインもワン・ストロークに全部入ってる
「ブルー・ファンク」リズムを実演して見せてくれました。拍手、拍手!
でも、これって彼のナイロン弦の新製品ギターを売り出すよって告知でした。
すんません。

インタビューは良かったですよ。
でも欲を言うと、もっとツッパッて欲しかった。
あの握手の手の「恐さ」をもっと感じたかった。
と、マゾい気持ちが残るボクがいました。


PS
YouTubeのジョン・マクラクリンと演ってるジミヘンもの、これは良いです。
巨匠マクラクリンにマイク持ってもらって奴はホントに照れてます。


  投稿する
 
We’ll Never Have To Say Goodbye Again
   
   
   
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2009/6/16
入院中の病室で書いています。
以前にも書きましたが、二度目の入院です。

大手術入院中でも病室で連載を続けた海老沢泰久氏の気分を味わうために。
あるいは、1977年から78年にかけて麻薬中毒と極度の鬱病に襲われて
精神病院に長期入院を余儀なくされ、
病室で抱いた看護婦への妄想とか、退院した後の将来への不安とか、
精神病院をテーマにしたコンセプトアルバムFrom the Insideを、
当時エルトンと仲違いしていたバーニー・トーピンと一緒に作った
アリス・クーパーの気分を味わうために。

なかなか希な機会だとは思いますので。あまり多かったら困るけど。
私の場合は検査入院なので、気楽なもんですが。
ある人に言わせれば、病院とは、生きて出て行くか、
ダメで戻れないか、そういうところだと割り切れ、と。

そんな中で、縁起でもない(?)話題を書きます。
アーティストの訃報。
2回前の記事でしたか。
ジャーニーの新加入ヴォーカルがフィリピン人だということで、
フィリピンの不思議な音楽事情にちょっと触れ、
日本以上に70年代、80年代のお洒落ポップスが
受け入れられている国かもしれない、と書き、このグループを紹介しました。
その時の本文をそのままコピペします。

これまた70年代に活躍した、
爽やか系ポップスで「秋風の恋」などヒット曲も多かった男性デュエット、
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー。
これも90年代後半になってフィリピンで
ブームと呼ばれたくらいCDが異常な売り上げをして、
30年近く音楽から身を引いて宗教活動をしていた
ジョン・フォード・コーリーが復活して、
彼の場合移住までは至っていませんが毎年フィリピンでライヴをして、
フィリピン向けのアンソロジーCDが発売されたりしています。
ちなみに相方のイングランド・ダンことダン・シールズは、
カントリーに転向して成功するなど音楽活動は続けていて、
彼は「想い出のサマー・ブリーズ」などの大ヒットがある、
もう一つの男性デュオ、シールズ&クロフツのジム・シールズの実弟なのですが、
現在はその兄弟がSeals & Sealsとしてデュエットで活動しています。

その後に知ったことなのですが、このイングランド・ダンことダン・シールズは
既に鬼籍に入っていたとのことでした。
知らなかったこととはいえ、申し訳ありませんでした。
今年の3月25日逝去。悪性リンパ腫のため。
70年代後半、カーペンターズやバリー・マニロウなんかに代表された
アメリカ産良質ポップスの流れを汲んだ人たちでした。

このシールズ兄弟を中心とした、二つのデュエットチーム、
家族的な繋がりがあったことは当然想像できるのですが、
もう一つ、宗教というより大きな次元でつながっていました。
そして音楽的ルーツも、50年代にまで遡れます。

このシールズ兄弟、ジョン・フォード・コーリー、ダッシュ・クロフツは、
バハーイ教(表記方法は諸々あるようです)信者でした。

論じるほど詳しく知りませんし、入りすぎて間違ったことを書いて
問題を起こすといけませんから簡単な記述に留めますが、
イスラム圏で誕生したもののキリスト教に近い教義を持ったために迫害を受け、
信者が世界中に散らばった歴史を持つようです。
人種を超えた融和(ジム・シールズの奥さんはアフリカ系)、博愛、絶対平和が
教条の柱のようで、司祭など信者の中で階級が全く存在しないのも特徴のようです。

シールズ&クロフツ、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの
レコードの中ジャケには、必ずこのバハーイ教の宣伝が出ていました。

小生は日本でのバハーイ教信者だという人に一人だけ出会ったことがあります。
15、6年前、大学教員として駆け出しの頃、東京の某私立大学の学生さんでした。

その人は、シールズ&クロフツは知っていましたが、
イングランド・ダン…は知らなかったようです。
もっと、日本にはどれくらい信者がいるのかとか、訊いておけばよかった。

そしてその音楽的ルーツとは。
この連載で数年前にチラッと書いたことがある、チャンプス「テキーラ」なのです。
その時の文章も持ってきてしまいましょう。

さて、この流れで、
ビルボード誌が最も歌詞の短いNo.1ヒットとして記録しているのは何でしょう?





50年代の、チャンプスというグループの、「テキーラ」という曲です。
聞いたことありますか?テキーラ!という掛け声しか入ってない。
この曲についてもいつか書く機会があるかもしれません。
なんと2006年9月の記事でした。その後始末を今回することになろうとは。

このチャンプス、大人数のグループでしたが、全員がバハーイ教信者、
ということで繋がっていたのです。
シールズ&クロフツもこのチャンプスに参加していました。

ここから派生したシールズ&クロフツは70年代前半になって、
既出の「思い出のサマー…」や「ダイアモンド・ガール」、
アメリカの大学の卒業式の「贈る言葉」並みの定番となった
「この道はひとつだけ」などヒット曲を連発しました。

シールズ…は、中近東の弦楽器を取り入れてみたり、
曲としても宗教色が強く出ていたものがありましたが、
70年代後半になって全盛期を迎えた
弟のイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーは、
時代の流行にうまく乗ったハーモニーを生かした爽やかポップス、
「秋風…」の外にも「眠れぬ夜」「愛の旅立ち」、
トッド・ラングレンのカバー「愛の証」などトップ10ヒットを連発しました。

テキサス生まれながらなぜかイギリス訛りで喋っていたことから付いたあだ名。
80年に入って解散。ジョン・フォード・コーリーはソロアルバムを出した後、
宗教活動に専念し音楽の世界から遠ざかります。
その間、バハーイ教からキリスト教に改宗したようです。
それが運命のいたずらでフィリピンで復活したことは2回前に書いたとおり。

イングランド・ダン・シールズは音楽を続け、
80年代に入ってもデュエット時代の延長で、
TOTOのメンバーをバックに従えたソロアルバムを作ったりしますが
セールス的に成功できず、カントリーに転向して、
80年代半ばから90年代にかけて大成功を収めます。
これまた去年逝去したポール・デイヴィスとコラボレートしたり、
マリー・オズモンドとデュエットしたり。

そして近年、全盛期にはなかなか共演しなかった
兄貴のジムと兄弟デュオユニットで活動し始めて古いファンを喜ばせていた、
そんな最中でした。

ちなみに小生がダン・シールズの訃報を知ったのは、
ケーシー・ケイサムのカウントダウン番組でした。
アメリカントップ40の黄金期に自分自身が紹介していた、
自分よりも何歳も若いアーティストの訃報を、30年後に自分が読むことになる、
などと想像していたでしょうか。

小生でさえ、自分より若いアーティストの死を既に何度も見ているわけですから、
克也さんは尚更でしょうね。
でもまだケーシーに追いつくには10年ありますよ、克也さん。

もう一つの、昔の記事の後始末。
なんとこの連載第二回目、
つまりこの克也さんサイトが産声を上げた直後のものです。
2005年8月。これも直コピペ。

御巣鷹山の墜落では、日本の洋楽ファンなら知る人ぞ知る
悲しい損失がもう一つあるのですが、
今日は長くなってしまったのでいずれ機会があれば。

また今年も夏がやってきます。
坂本九に次ぐ、日本の洋楽ファンにとっての85年日航機墜落事故の損失とは。

実はこの機に、このイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの
日本ファンクラブ副会長が搭乗していて、やはり犠牲になっていたのでした。
女性で、新婚旅行の最中でした。やり切れません。

We’ll Never Have To Say Goodbye Again
彼らのヒット曲の一つ、「愛の旅立ち」の原題です。
もうさよならなんて言う必要ない、恋人同士の仲直りの曲。

そんな誓いを立てた恋人同士が添い遂げたとしても、
人間である限り、どうしても死別のさよならはあるのですよね。
諸行無常。
病室の窓から外の緑を眺めて、ついそんなことにも思いが及んでしまいました。
でも小生はまたすぐ戻ってきますからね。克也さんのように。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/6/16
なぜか上海2

到着した翌日の朝、ホテルの喫茶店でコーヒーを飲んだ。
これがえらい高いコーヒーで、日本円で700円か。
スタバやマックは、この三分の一だからいかに高いかわかる。
ホテルの周辺を、友人が日本から到着するまでの間、散策してみた。
東京より、はるかに空気が悪いかと思い覚悟してきたが、見た目はそうでもなさそうだ。
気候も、ほぼ東京と変わらない。
あまり、気温も空気も変わらないと云うのは有難い。
去年タイのバンコックに行ったのは書いた。
バンコックの方が、同じ時期に行ったが、もっと埃っぽかった印象がある。
町を歩くと、やはり人が多いのと自転車が多い。
スタバやケンタッキー、マックもちゃんとある。
そうこうしているうちに、I氏が着いた。
一息つき、I氏とさっそく観光にでかけた。
観光はI氏の友人が、帯同してくれた。
中国語がぺらぺらな彼の案内で、まずは銀行へ。
不思議なことに、銀行の外に両替商が良いレートで両替してくれる。
こんなことが、あってもいいのか?
と頭をよぎるが、これが上海と妙な納得をしてしまう。
そして、上海はタクシーがかなり割安だ。
ほとんどの所に、300−400円程度で行ける。
この金額だと、地下鉄の乗り場をみつけるより簡単で気軽に乗れる。
次に向かったのは、そのI氏たちの友人で
かなり派手にビジネスをしていると云う台湾人の経営しているスイーツレストラン。
またここのシェフは日本人と云うことで旨い、旨い。
そして安い。
いったいどこにいるのかわからなくなる、居心地がいいレストランだ。
店を後にし、夜景の見えるレストランに向かった。
その車は、台湾人の運転手が乗せて行ってくれた。
好きなように使ってくれと云う、粋な計らいである。
僕らは「NEW HEIGHTS」と云うところで降り、運転手と別れた。
このレストランは7Fで、実に洒落たレストラン&バー。
何故か、欧米人でいっぱいだ。
日が落ちる頃からの、外難と浦東の変化する姿が素敵であった。
近隣の建物も、ヨーロッパに統治されていた時代の名残を、いい感じで残しており、
かなりノスタルジックな雰囲気を、醸し出している。
今回は友人のお陰で、ポイントをうまく案内いただき時間を短縮でき、
良いところがたくさん見ることができた。
中国は何故か食わず嫌いで、行く機会がなかったが、
人々が忙しく動く姿は日本の70年代そのものであった。
それ故、かなり親しみを感じた。
機会があればまた行きたい、何故か上海であった。
中国は奥が深い。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/5/28
オヤシラズ抜きました!
それも二本いっぺんに。
調子にのって、9時間の生放送やった後に。

ホントは不安と恐れでガチガチだったけど、いやいや抜いてよかったです。
もう10年以上前からオヤシラズ達が虫歯に冒され、なんとか騙し騙し。
このダマシダマシっていうの、何のことはない、自分の「逃げ」だったわけですね。
気がつくと、オヤシラズの上の部分が崩れて、頑固な「根っこ」だけが残ってた状態。

小学生の頃、「カムカッチャン」と呼ばれ、ちょっとだけ怖がられていたオレ。
きっかけは、近所の高校生にナグラレ、ケラレ、泣きながら相手の足に噛みついた事件。
それ以来、仲間が、克っちゃんの歯は凄いと云いはじめた。
自分の中に、オレの歯は強いという気持ちが生まれ、
高校生の時、ジュースのビンを歯で開けた。
大学に入っても、ビールのビンのフタも、
オープナーがあっても、ちょっとムリして歯を使った。
だって盛り上がるからね。

あとは、歯医者に初めて行ったのが、40を過ぎてから。
やっぱり自分の中に、歯が強いって神話を作っちゃった。
他に自慢できるものが無かったわけだね。

だからオヤシラズが根だけになってても、
他人のオヤシラズが中々抜けなくて切開手術をしたなんて話をきくにつけ、
オレのも根を張ってるハズと思ってた。

ところが、いざ抜いてもらったオヤシラズを見ると、これが小さい!
除去するのに2分もかからなかったし。
はっきりいって、オレちょっとガッカリ。
すると歯医者さんがニヤリと笑って、「どうですか、あと一本抜きますか?」だって。
当然抜くでしょう。

というわけで、二本なくなってスッキリしてるわけですが、改めてわかりました。
人間、自分の年齢を自覚するのはこんな時なんですね。

あと、来週の金曜の夜、もう一本の最後のオヤシラズを抜く予定が入ってます。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/5/21
番組に色を加えようということで、最近アーチストとのインタビューを復活させた。
今日もボニー・ピンクとマーティ・フリードマンと電話インタビュー。
ちょっとばかり気がついたことがある。
昔は相手と自分の「同じところ」をさがしていた。
自分と共通してることに喜んでいた。

人間やっぱり自己中だから、他人の事をいつも自分に置き換えて考える。
まして、インタビューの相手はだいたいエライ人だ。
若くたってCD売るやつはエライ、
生意気だって有名なやつは一応エライってことにしといてだね、
そのエライやつと自分が少しでも似てると嬉しいわけだ。
これって何? 人間みんなそう?
オレが田舎者だからじゃないよね。
若かったってことかな?

ところが最近では、これが変わってきてる。
自分と似てる所をさがそうとしなくなった。
こだわりがなくなった。

相手が自分とこんなに違うってことが、少々楽しめるようになってきた。
違って当たり前だし、いや違わなきゃおかしい。

昔の「よくわかります」は「あなたと同じだから、よくわかります」だった。
今は「あなたとは私違いますけど、よくわかります」になった。

ようやくインタビューワーとして一人前になった、と、思ってる。
ずいぶん遅いけど。


ところで今朝10時前、親指よりデカイ蜂と遭遇した。
蜂には慣れてるけどあんな大きなのは初めてだ。
蜂と出会うと、ゴメンゴメン、ここは君の縄張りだったねと心の中でつぶやき、
すぐその場を去る。
子供の頃から何度も痛い目にあってるから。

今朝のヤツは違ってた。
ハッと気がつくと「ブーン ブーン バー!」って大きな羽音。
(ブラック・アイド・ピーズっぽい?)
いきなり50センチぐらいの距離にいる。
もう逃げてる場合じゃない。
覚悟を決めて、じっと立ちすくんだままのオレ。
(熊の前で死んだフリ?)
するとヤツはオレの頭の上から耳もとへ。
ブルったブルった。
でもすぐに離れていった。よかった、よかった。
と思った瞬間、また帰ってきた!

またオレの耳の近くでブーンブーンと音を出してる。
長い時間に思えたね。

で、今度はどこかへ飛んでって、帰ってはこなかった。
離れる前、ヤツがオレの耳に向かって何か云ってたような気もしたけど、どうだったか。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/5/14
今日は日曜だけどTBSドラマ Mr.Brainの
撮影初日ってことで早く目が覚めた。
初日といってもすでに撮影は1ヶ月前から始まってて、自分の出番がなかっただけ。
で、今日は第一話の2シーンを撮るだけ。
おまけに今日の撮影開始は夕方から。
こういうのが中途はんぱで一番いやだね。
スタジオでは出演者とスタッフのチームワークはでき上がってて、
そこへ一番遅れて入っていくわけ。
みんな暖かく迎えてくれるだろうか?
なんて心配で、転校生の気分かな。

溜まってる仕事をやっておこうと一応坐るんだけど、どうも集中できない。
こういう時一番落ち着くのが実は「おそうじ」。
ついつい朝早くから、そうじおじさんしてしまいました。
実はこの新緑の時期は葉っぱがけっこう落ちる。
金木犀は何故あんなに葉を落とすんだろう。
あと、今、椿はよ〜く見てやらないといけない。
葉っぱおじさんとしては椿の若いできたての葉を見るのが大好きだ。
が、油断してるとたいへんな事になってる。
米粒ぐらいの虫が10匹ぐらい見事に横に並んで、
それも二列とか三列で一枚の若い葉を喰ってる。
これってゾーッとするよ。
今日も何十匹もの小さな虫を見つけてしまった。
葉っぱおじさん慌てたね。
とりあえず手に持ったのが、
蚊や蠅を落とす無臭の殺虫剤でジェットなんとかってやつ。
至近距離でシューッとやるもんだから、
虫達が瞬間凍ったように息が止まり体が縮んでいくのがよくわかる。
すると虫がいるのは一枚の葉じゃなくて、あたり一面、かなりやられてるのを発見。
ゾーッとしながらシューッシューッ!
突然、ヘンな感じが!
オッこれって目まい?
無臭だから気付かなかったけど、オレけっこう殺虫剤を吸ってないか?
あーあ、頭も痛くなってきた。
結局、相撃ちってことで休憩。
こういうのって「相撃ち」って云わないか?
オウンゴールだよ「オウンゴール」
ほんとに頭痛が始まったので何もかも止めてしまった。

夕方、撮影所に向かった。
覚悟を決めなくては。
「覚悟」ってそんなオーゲサなものでもないけど、どんな気持ちで臨めば良いのか?
「役作り」というか、心の目標というか。

研究所長という役。一番エライ?
キャストの中でも自分が一番年上。

結局行き着いたのは「デカイ面」
デカイ面でみんなにアイサツし、
デカイ面でやり通した。
この日のテーマはデカイ面だった。

結局一発OKだったけど、ホントにOKだったのか?
半日、役者をやったが、役者の肝っ玉はホントに小さい。



PS
研究所のセットでは、約20名のまだ無名の若い男女の役者さん達が
研究員の白衣姿で仕事(演技)をする。
撮影前に彼らにアイサツした。
数秒後一人のハンサムな男優が近づいてきた。
ニコニコしてる。
オレに向かって彼は「ファンキー!」と一言云った。
他の連中は気付かなかったけど、彼とオレだけは繋がったわけです。
TVと違ってラジオって個人的な秘め事みたいだなって思いました。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/5/26
なぜか上海1

昔、井上陽水の歌で「なぜか上海」と云うのがあった。
間奏で、高中正義のエレキがいい感じの曲である。
今回は誠に、唐突に上海に来てしまった。
ホノルルにいる知人が、昔上海に駐在していた。
3月に食事に行った時、「機会があれば上海案内するよ」と云われた。
僕は「ええ、そうですね。行きたいです。そのうち行きましょう」と返答した。
4月日本に仕事でいると、その知人からメールがきた。
「5月に日本でやることができた。ついでに上海に行こうと思う。どうだい?」と。
僕は即答で「お願いします!」と返信した。
それから、航空券を探しだしたが、高い高い。
JALのHPから入り、料金を調べると16万。
何とホノルルより、はるかに高いのである。
確かホノルルが、7万くらい。
倍以上だ。
仕方ないので、元自分がいた会社の地方支店に立ち寄り、料金を調べた。
やっとJALで、6万ちょっと云うのがあった。
変更など一切きかず。
でも安いに、こしたことはない。
これで、行く体制が整った。
成田が遠いので、上海―成田―ホノルルという経路にした。
同日乗り換えで、かなりハードになるが、また東京に行き、
泊まるのもめんどうなのでこれでよし。
成田に着くと、やたらにマスク姿の旅行客が目立つ。
機内で、日本人はマスクをしているが、中国人や外国人は、皆マスクをしていない。
僕もしなかった。
3時間の快適なフライトを終えると、細菌兵器防護服着用の検査官10人が、
機内に乗り込み、体温測定をした。
特に悪い人もおらず、すんなり入国審査に向った。
しかし物々しい。
降りてからは、来年万博があるせいか、英語を話す係員もおり、愛想も悪くない。
昔の悪い中国のイメージは、今はない。
巨大なブルーの空港は、(ビッグだー)と云う感想。
タクシーを捕まえ、ホテルに向う。
高速の雰囲気は、東京方面から成田に向う湾岸線のようで、
町が近づくと、千葉方面から箱崎に向う、京葉道路のようだ。
大都会のイルミネーションをイメージしてきたが、
24時ちかいこともあり、ネオンはしょぼかった。
知人は、翌日到着する。
この日だけ、一人の行動。
ホテルに到着したが、辺りはかなり怪しい雰囲気。
これからの「たび」の始まりにわくわくする。
なぜか上海。
陽水さんの気持ちが、ちょっとだけ理解できそうな夜であった。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/5/7
家の隣の小さな公園にそのおそうじおじさんは出没する。
それも夜10時を過ぎてから。
落葉の季節には毎夜毎夜、彼の竹ぼうきの掃く音がきこえてくる。
落葉の量が多いと3時間近く音がきこえる。
最初はうちの犬も吠えていた。
ある時急に吠えなくなったのでのぞいて見たら、
おすわりをしておじさんをじっと見ていた。
おじさんに敬意を表しているようにも見えた。
いや、そのおじさんをじっと見守るその姿があまりにも純粋に見え、
ひょっとしてお前あのおじさんの飼い犬か? と、本物の飼い主は妬いたことも。
大晦日も正月の間もきこえてた竹ぼうきの音もやがて冬の終りとともにきこえなくなり、
おそうじおじさんの事も忘れかけていた。
久しぶりにおじさんが帰ってきたのは桜の頃だった。
花びらもゴミになるんだね。
花びらは風でどこかに飛ばされて消えていくもんだと思ってたら、公園に集まる。
おじさんのほうきの音がきこえたので、犬を外へ出してやった。
犬はすぐいつもの所で片足を上げ用を足した後、
おじさんの見える所までいっておすわりをした。
夜遅く無料奉仕を続けるおじさんをじっと見てた。

ってなことがあり、あれから約一ヶ月。
深夜再びおじさんの音がきこえた。
外に出て見たけどおじさんの姿がない。
雨まじりの強い風の音だったのか?

なぜあれがそうじの音にきこえた?
早く話しちゃうね。
私もおそうじおじさんとしてデビューしたつもりだから。
といっても本物のおそうじおじさんの足もとにも及ばないけど。
ただ、家のまわりの掃きそうじが生れて初めて苦にならなくなったというか。

実は落葉や土ぼこりに関しては、うちほど最悪なところはないのです。
南側にうちをのぞき込むように、20数メートルのどんぐりの巨木がそびえ立ってる。
秋のおわりには一ヶ月にわたり、この木が落葉をふらせる。
今日はゆっくりと思って時間をかけて落葉をそうじする。
翌朝起きて見ると、前日のそうじ前のように落葉だらけ。
そのままにしておくともっと葉がたまるのでまたそうじする、
するとまた翌日も落葉がふってる。
一ヶ月で70Lのゴミ袋、軽るく10個以上の葉をそうじする。
あのニコルズさんも云っとりました、どんぐりほどたちの悪い木はない、
枝を真横に伸ばし他の木を枯らすと。
山の人間は若いどんぐりの木を見つけると、すぐひき抜くそうです。

このおとなりの巨大どんぐりは4月の終りからまた、いやらしいことをします。
今夜は花粉をつけた10センチ弱の花をふらせる。
約3週間にわたって70L 5個以上の量です。
花粉が茶色の色を残すのでコンクリート部分も汚れてしまう。

うちのそうじおじさんはこの時期が一番嫌いです。
殆んど毎日おそうじをします。
そうじの翌日、また同じように汚れてるとほんとにがっくりです。
何度、あのどんぐりの木のふもとに枯葉剤をまいてやろうかと思ったことでしょう。

今日は心の反応がちょっと違っていました。
南の風が吹いて、雨も降って、まただんぐりの花が!
その時思ったのです。
また、そうじができる!
「そうじしなきゃ」じゃなくて、
「そうじができる」です。

おそうじおじさんに出会ったおかげです。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/4/30
ゴールデン・ウィークの日曜日、
午前11時頃、ドライブ中。
さっきからずっとラジオをさがしてる。
何か面白い曲が聴こえてこないか?
中波もFMも全部さがした。
ピンとこない。
同乗の家族がいやな顔してる。

結局、落ち着いた局はどこだと思う?
NHKFM。
日本の民謡をyってる。
FMの洋楽もAMの邦楽も、この時の自分と相性が悪かった。
じゃ日本民謡はピッタシ合うのか?
う〜ん、でもいまはもういないジィちゃんやバーちゃんや昔の景色も浮かんでくるし、
これって自分の血ですかねぇ。
ちょっとはガマンできるんですよ。

やがて、北の曲と南の曲がつづけてかかったのに、
合の手がとても似ているのに気が付いた。
「ハァードーシタ、ドーシタ!」と歌う2、3人の姉さんの声が、
違う2曲なのに全く同じようにきこえる。
ニコやかな笑みとちょっと「洗練」が同じなのだ。
ふと、同じレコード会社なのか? とか
地方の民謡のくせにどっちもわざわざ東京へきて録音したな! とか
色々頭の中が動き始めた。

そのうち田舎の民謡なのに、どうも田舎の気分にしてもらえないな、
番組にグルーヴがないなとか自分の中でクレームが出る。

「そうか、アナウンサーが悪いんだ」と気が付いた。

地方の民謡が色々紹介されるんだけど、アナウンサーが訛ってない。
どこにも実在しない「標準語」で公平を期するなんて、
おまえら、地方を見下してるな。
役人的中央集権め!
って自分の中の反体制主義者が暴れ出す。

国の良さ、強さは地方の良さが支えるんだぞ。
ミシュランにへつらう東京者よくきけ、大阪や京都はミシュランにしゅらん顔だあ!
どうも自分の頭の中は勝手に動く。

そのうち、地元有志の録音だという北海道の潮上げ節が流れた。
わざと元気を出してないソーラン節みたいな曲だが、いたく感動した。
聴く人に感動を与えようとかの不純な飾りがない。素朴そのもの。

曲の力は凄いよ。
もう自分は故郷の福山で民謡のDJをやっている。
元カープの達川にしゃべらせようと思ったがあいつは広島弁だ。
広島弁は自分の耳には都会風にひびきすぎ。
ファンキーじゃない。
やっぱり福山弁だ。

えーか、リクエストじゃ、
おー野上町の萩原のよっちゃんから、
元気かのー。
こにゃぁだ久しぶりに芦田川のほとりをそうじしたら、
古い松のハッパがえりゃー出てきたんじゃ。
めんどくしゃーけぇー、燃やそう思うて
火つけたら、ぼっこうすげぇ勢いで
あっという間に燃えたでぇ。
松の葉はいけんのー、まるでゆーちゃんじゃ。
ゆーちゃん、女に手早かったけのー。

おみゃーら、昔と変わらんのー、へーじゃー
福山名物とんど祭りのテーマ行くけーのー
あーこりゃこりゃっと。

気が付いたら、車内は険悪なバイブじゃ。
民謡だめかのー?
急いでJWAVEにもどしたら、
巻き舌のバイリンの姉さんがしゃべりょうた。
ベッピンじゃゆうはなしじゃ。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/5/11
趣味

日本滞在の際墓参りに行った。
その道中で気になる車をみつけ、自分の運転している車を急に止め、写真を撮った。
僕の父親が、大好きだった車。
1962年〜1963年頃の、ビートル。
以前にも、ハワイで欲しい車はないと書いた。
もちろん、日本にいてもない。
しかしこの古いビートルを見ると、「欲しいなー」と思わず呟いてしまう。
何故であろうか?
この車、兎に角故障していた。
父親は電気系統が弱いだの、エンジンかな?などどいいつつ、
6角レンチやモンキースパナを手に、悪戦苦闘している姿が子供心に焼き付いている。
それを、この古い車を見て想い出した。
僕も最近は、古いカメラや時計など好きだ。
磨いたりオイルを塗ったり「愛着」と云うものが、湧いてくる。
今はどうであろう。
最新の車は故障もなく、最新の時計は手入れも必要ない。
デジカメは、使い捨てができるくらいの価格に下がり、
モデルチェンジする度に買い替える人もいるであろう。
物が豊かになったのか、趣味人が減ったのかはわからない。
最近は、「旅」をする若者も減ったと云う。
何故だろう。
この情勢不安な世の中で、趣味に没頭できる金銭的余裕がないのか、時間がないのか。
僕はお金をかけるだけが、趣味だとは思わない。
使い捨てカメラを手に、写真を撮りにいくのも十分な趣味であると考えるし、
近くの山に登るのも「旅」の入り口と思う。
若者からは「そんなこと云っているから、豚インフルエンザにかかるのんだよー」
と云う厳しい声もあるかもしれない。
だから今の時代「沢木耕太朗」のような旅をする人はいないのかもしれない。
その頃も、情勢不安はあったであろう。
しかし、世界的紛争地帯はもっとひどくなっている。
そう云う捉え方をすると、「昔の人はいいよなー」となる。
確かに良かったかもしれない。
僕もアメリカに渡った時は、観光ビザであったのだから。
そんなのどかな時代が、ついこの前にあった。
みんなどうなっちまったんだい?
死んだ父親の口癖は「これに愛着があるんだよなー」。
そう色々な意味で「愛着」が必要なのかもしれない。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/4/23
久しぶりにTFMの仕事で武道館。
恒例のアースディのコンサート、全国ネットで一応海外のごく一部でも流される。
今年が20回目。
昔、坂本龍一、ジャニス・イアン、ホール&オーツ、ドリカム等、
5年間だったかな? パーソナリティを担当した。
今年は絢香のコンサートで、さすが今が旬、
どんな曲もどんな歌詞もどんなしゃべりもサマになる。
20年前アースディ・コンサートが始まった時は、「地球温暖化」って言葉もなかった。
絢香だって生まれたばかり、時の流れを感じてしまった。

それにしても、こういったチャリティ、
我々日本人がやるとどうしても堅苦しいものになってしまう。何故?
7時に番組が始まり、絢香が歌い始めたのが10分過ぎ。
そうか、サッカーも野球もボクシングも国際試合はどこの局もひっぱるもんな。
一時間経っても試合が始まらない事もある。
でも雰囲気が固かったなあ、反省してる。
冗談の一つも云えなかった。
ジョークは一つだけあったかな?
カマサミ・コングが英語で、絢香のヘア・スタイル何て云うんだ?ってきくから、
「頭にパインナプルをのっけてる」

TFMの人達と盛り上がったのはやっぱり今、YOUTUBEでも見れる、
渋谷スペイン坂スタジオでの
エレファント・カシマシ宮本対パーソナリティ鈴木マイコの対決。

私感だが、鈴木は堂々とジャーナリストとしての仕事をし、
宮本は立派にロッケンローラーの役目を果たしたに過ぎない。

アメリカのTV風に云うと、鈴木がツッコミ、宮本が大ボケ、
結果はリアリティ・コメディになった。
前に二人の間で同じような事があったらしいのだが、
宮本がいわゆるバイリンのインテリ姉さんパーソナリティを
本能的に嫌ってる光線をいっぱい出してて、宮本はかわいらしく写ってる。
逆に鈴木がちょっと悪役になり損をしてる。

実は自分は二人に「よう、やった!」と拍手を送りたい気持だ。

「ラジオが元気がない」といわれてる今、
みんなが慣れ合ってていいわけがない。
TVが骨抜きになってる今、ラジオ、ガンバレ! ラジオ・ガ・ガ。

追伸
YOUTUBEのヒット数が軽く50万を越え、TFMは秘かに喜んでるようです。


  投稿する
 
Time Machine−1984
   
   
   
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2009/4/30
往年のベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナー冒頭の、
克也さんの雄たけびみたいですね。

知らない若い方々のために念のために言っておきますと、
80年代のベストヒットのタイムマシーンは、
今みたいに、何年前の今日は何があった、ができなくて、
ある年のある一曲を紹介していたんです。

それ以前の曲の映像がなかなかなかった時代でしたからね。
当時契約していたアメリカのテレビ番組SOLID GOLDの映像を流したり。
克也さんもスタッフの皆さんも資料映像探しにはずいぶん苦労されたみたいです。
「ボストン」が蔵の奥から見つかったときには抱き合って泣いて喜んだとか。。。

さて、でも上のタイトルは、
いつものように曲やアルバムのタイトルにもなっていますから、
その種明かしは後でします。お楽しみに。

今のベストヒットをご覧の方々にはお分かりのとおり、
4月21日の放送ではタイムマシーンスペシャルで、
25年前の1984年に戻りました。
小生は大学の音楽研究サークルでバリバリやっていた時期でした。

当たり前のことですが、ある特定の二つの時期をピックアップして比較してみて、
似ている部分もあれば違う部分もあります。
小生はまず番組を見て、84年と今とはかなり似ているのではないか、と感じました。
その似ている部分とは?

克也さんは、「このアーティストは知っているけれど曲は知らなかったよー、
ってのが多くありませんでしたか?」とおっしゃっていましたが、それはなぜでしょう?

その謎をとく鍵は以下のクイズで。
その1984年4月20日付けチャートに入っていた以下の曲には
ある共通点があります。それは何でしょう?

 19位 Pretenders
      “Show Me”

 17位 Yes
      “Leave It”

 16位 Hall & Oates
      “Adult Education”

 14位 John Cougar Mellencamp
      “Authority Song”

 12位 Kool & the Gang
      “Tonight”

  9位 Denniece Williams
     “Let’s Hear It for the Boy”

  7位 Culture Club
      “Miss Me Blind”

  2位 Lionel Richie
      “Hello”

20曲中8曲ですが、さて共通点とは?

答。
これらは全て、そのアーティスト(一部サントラ)のアルバムからの
2枚目以下のシングルカット曲、つまりアルバムのリーディングヒット曲ではない曲、
なんですね。

ついでにもう一問。では以下の曲の共通点とは?

 14位 John Cougar Mellencamp
      “Authority Song”

 13位 Go−Go’s
      “Head Over Heals”

 12位 Kool & the Gang
      “Tonight”

 11位 Steve Perry
      “Oh Sherry”

  9位 Denniece Williams
      “Let’s Hear It for the Boy”

  7位 Culture Club
      “Miss Me Blind”

  6位 Cars
      “You Might Think”

  5位 Rick Springfield
      “Love Somebody”

  4位 Kenny Loggins
      “Footloose”

  2位 Lionel Richie
      “Hello”

今度は20曲中半分、これは一枚目のシングルカットも含めて、
3曲以上トップ20に入るシングルヒットを出すアルバムからの曲です。

これらのことから何がわかるか。

この当時は、一枚のアルバムからシングルヒットが何枚も出てくる、
曲のばら売り時代だったんですね。

その理由は簡単で、ビデオ、MTVの最盛期だったからです。
オンエアされた”You Might Think”のビデオ、
今見ても凝ってますし、アワードを獲るのも当然ですね。
あと”Leave It”のビデオはあのゴドレイ&クレームの作品です。

この日のチャートにはたまたま入っていませんでしたが、ヒューイ・ルイス&ニュース
アルバム「スポーツ」から4曲のヒットを出していた全盛期だったのですが、
やはりこの時期の近辺に克也さんがサンフランシスコに赴いての取材インタで、
「70年代のコンセプトアルバムみたいな時代を懐かしく思わないかい?」
という質問に「曲のばら売りはみんなビデオのせいなんだ。一曲毎に作るから」
と答えていました。そのとおりの時代だったんですね。

84年はほかにもシンディ・ローパー、ティナ・ターナー、マドンナなんかが
一枚のアルバムから4曲以上シングルをヒットさせていた時代でした。

この部分は、今現在の時代に似ていると思うのです。

ニッケルバック、ドートリーなんかが、一枚のCDから何曲もヒット曲を出し、
一枚で数年もたせていたりします。

しかし、84年と今が異なるのは、
メディア(媒体、手段、という意味)が違うという点ですね。

現在のばら売り現象の原因も明らか。
今はデジタル・ダウンロードの時代だからです。
アメリカのアマゾンのサイトを見れば、
特定のCDのページに、収録曲全曲が曲別に、一曲いくら、で売っています。
日本からは買えませんが。
日本には日本の中で皆さんご存知の別の手段があるでしょう。
また、そろそろCDではなく
USBスティックのみで売り出すアーティストも出てくるという。

84年は、CDはそこそこ出ていましたが、まだ塩化ビニールの時代でした。
LPレコードは、針が内側になればなるほど溝の間隔が細くなり音質が悪くなるので、
A面B面の最後の曲は多少手を抜く、みたいな不文律があったそうですが
(山下達郎氏弁)、
今は新しいアルバム製作にはその度毎にグレイテストヒッツアルバムを作るんだ、
みたいな意気込みが必要な時代になっているんだと思います。

さて、もう一つクイズ。
これは答に主観が入りすぎているので怒られるかもしれませんが、
以下の曲、というよりアーティストの共通点とは?

 17位 Yes
      “Leave It”

 16位 Hall & Oates
      “Adult Education”

 12位 Kool & the Gang
      “Tonight”

 11位 Steve Perry
      “Oh Sherry”

  9位 Denniece Williams
      “Let’s Hear It for the Boy”

  4位 Kenny Loggins
      “Footloose”

  2位 Lionel Richie
      “Hello”

  1位 Phil Collins
      “Against All Odds”

答、
これらのアーティストは、本来は別に音楽のルーツを持っていて、
少なくともデビュー時はスタイルが全く違っていたのが、
この84年は商業路線に走ってポップになって軽くなったり、
バラードに手を染めたり、サントラに走っていった人たちだといえます。
他にもこの時期のシカゴなんかがその代表選手ではなかったでしょうか。
まあ、売れて何ぼの世界ですし、
時流に合わせることができるのも才能の一つですしね。
それに何よりもリスナーとして楽しませてもらえましたし。
どうこう言う気はありませんが(既に言っているか)。

そういう時代だったんですね。
そんなことにいろいろ思いを巡らせることができた特集でした。またやってください。

そうそう、それで、タイトルの説明。

Time Machineとは、今のベストヒットのタイムマシーンのコーナーで、
克也さんが登場するバックにかかっているギターのカッティング。
あれはグランド・ファンク・レイルロードの
Time Machineという曲なんですね。
そういうのを知っている克也さんかスタッフのどなたか、流石だと思います。

ちなみに、番組創成期からずっと使われ続けている
スター・オヴ・ザ・ウィークのタイトルバックにかかる、
ファンファーレみたいなのは、マイケル・ジョンソンという、
これまたフィリピン人や前長野県知事さんが好きそうな
(前回の記事を読んでください)
シンガーの“You, You, You”という曲のイントロです。
”You Can Call Me Blue”というアルバムに収録されています。

あと、1984。
これはまさにこの年の元日に発売になったヴァン・ヘイレンのアルバムのタイトルで、
同名の曲も収録されていました。「ジャンプ」が入っているやつです。

考えてみれば、1984年とは、ジョージ・オーウエルによる未来小説の舞台で、
ヴァン・ヘイレンのそのアルバムもそれを意識したものでした。
ビッグ・ブラザーという独裁者に監視される世界を想像したオーウエルと、
実際に1984年を迎えてどこまで現実になっているか、
などという検証がいろいろなマスメディアでされていました。
その84年も、プリンスが歌った1999年も、歴史になってしまいましたね。

そうそう、前回の記事で思い出せなかった、
草ナギ剛、瀬戸朝香のテレビドラマのタイトルですが、
あの記事を読んで下さっている希少な方々のお一人から、
「成田離婚」であるとの御教示を受けました。ありがとうございました。
お詫びして訂正いたします。
草ナギさん、いろいろありましたが、これもノーコメントで。
まあ、もし自分を偽った姿で仕事をなさっているのだとしたら、
ストレス溜まりますよね。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/4/30
ハワイの快適暮らし

最近、僕のハワイの日常暮らしに今までになかったものが、登場した。
それは自転車。
日本では「ちゃりんこ」または「ちゃり」などと云う呼称が、一般的である。
高校の頃は悪ガキの奴らが、「ちゃりんこマッポに捕まったんだってようー、あいつ」
とバイクに乗っているにも関わらず、
自転車の警察官に捕まった奴を卑下していたのは云うをまたない。
そんなことはどうでも良く、僕は以前ワイキキに引っ越したと書いた。
ワイキキのはずれ、アラモアナ寄りのカラカウア通りの橋の近くだ。
歩いても、超繁華街の免税店まで15分の距離。
この自転車の話に戻る。
知人の息子が、2月にハワイに来ていた。
僕は会わなかったが、彼が来ていた2週間、
移動が不自由だと云うことで、自転車を購入した。
当然、日本に持って帰れる訳もなく、僕のところに只でもらって欲しいとなった。
僕は、中学以来乗ったことのない自転車にさして興味はなく、
とりあえず置いておけばいいかともらっておいた。
まあ1度くらい乗ってみようと、ワイキキの中心地まで、その自転車で行ってみた。
これが小さいながらもスピードが、でるはでるは。
おまけに友人は、「スポークの数も多いし、かっこいいですね」なんぞと云う。
気を良くした僕は、10キロくらいまでは、全て自転車の移動となってしまった。
ハワイと云うより、アメリカ特有の巨大駐車場は、車を入れるのも出すのもめんどうだ。
また繁華街は云うまでもなく、駐車場不足である。
町中でもハワイは、自転車を止める自転車の形をしたポールがたっている。
頑丈な鍵と、これを繋げば安心。
時間を気にすることなく、用が足せる。
また天気であれば、風を切り走るのは、気分的にも最高だ。
餓鬼の頃に戻った気になる。
最近妙に童心にかえっているのは、この所為かもしれぬ。
みなさんもTHE BUSだけでなく、
自転車での移動も、かなり行動範囲が広がるはずだ。
ぜひお試しいただきたい。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/4/16
年に2、3回、家に10人から30人が大挙して押しかける。
何かのイベントだったり、普通のバーベキューだったり。
問題は家の犬ゴンタだ。
いきなり多勢の人間に猫かわいがりされ、その人間達がさっといなくなる。
客が帰った後のゴンタは、何だかボーッとしてて、人間から見ても様子がおかしい。
飼い主が名前を呼んでも反応が悪い。
きっと犬の急性カルチャー・ショックなんだろう。

今の自分がちょうどそのゴンタの症状に似てる。
コマーシャルの撮影が終わったばかり。
この撮影がたいへんだった。
かまやつひろし、ピエール瀧、スチャダラパー、マギー司郎、
桐島カレン、アンガールズ山根等がメンバーのスーパーバンドの一員という設定で、
このバンドの演奏を見た生きる事に疲れていた永瀬正敏が自分もやって見ようと、
元気を取り戻すというストーリー。

このスーパーバンドの演奏シーンの撮影が18時間もかかった。
朝8時に入り、帰宅が午前3時だったもんね。
たっぷり休憩や待ち時間はあるものの、
濃い目のメークをしたまま、半ズボン等の衣装を着たままだと、緊張がとけない。

自分あバンドのヴァイオリニストで売り出し中グループ
「コンドルズ」の鎌倉君と藤田君とで「ベスト・ヒット・ヴァイオリン」役。
何のことはない、曲を聴きながら「エアー・ヴァイオリン」を演るわけで、
動きのいい二人に助けられてるので何となく楽。

普通のヴァイオリン奏者は絶対にやりっこない
飛んだり、回ったりの動きを三人で考案し、スタジオ内はかなり受けている。
でも何回もやるうち、自分達で飽きてしまう。
飽きるから何か新しい事やろうとすると、中々うまくいかない。
結果は中途ハンパ。
オレ達まだ受けてる?
冷徹にかっちり同じ事を繰り返してたら(監督の希望通りに)もっと疲れただろう。
ま、いいか。でもホントは秘かに誉めてもらうのを待ってる。
家のゴンタみたいにね。

居心地のいいラジオ生活から時々飛び出して、撮影にお邪魔するとホントにたいへん。
駒の一つとなって動く。
これってラジオと違って、M?

自分の中にはMが隠れて眠っているのかも知れない。
時々撮影が恋しくなることがあるものね。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/4/13
だいたい成績が悪かったか、スポンサーが降りたかで番組がなくなる。
現実のきびしい掟だ。
4月に入り当分の間は新しい番組を聴くと前番組の亡霊が聴こえる。
新しいパーソナリティがはりきってればはりきってるほど、
ちょっと前までやってた人の声を思い出す。

「今日はホントにたくさんのメールが集まり、みんな大喜びです」
なんて新しい人が楽しそうに云ってる。
聴いてる方としれば、みんな切り替えが早いよな、
そんな割り切って新番組を迎えてるのか?
オレなんか楽しそうなメールが読まれてると、
前番組のことを思ってちょっと複雑だけどなあ、と思ったりする。
人間はこうやって新しいものに馴染んでいくのか?
今日午後車に乗り、例のごとくラジオで2,3局チェックする癖が始まった。
TBSをチェックすると知的な女性のしゃべりが聴こえてくる。
新しい人だ。
J―WAVE等の色気と知性のMIXしゃべりより、知性に重点を置いている。
よどみなくしゃべるトーンはどこかで聴いたことがある。
ひょっとしたら夜しゃべってた人じゃないかな。
時事的なテーマを決めて評論家やリスナーを参加させるトークショー。
あれをやってた人だ。
そうかTBSの午後は方針変更かあ、数字が良くなかったのか?
そんな事思ってたら、やっぱり前番組の亡霊が。
コニシ・カツヤという男性の特徴のある楽しそうな笑い声が聴こえてきた。
名前が似てるのと、自分と同じような方向に
興味を持ってる人だと感じて、よく聴いていた。
ソフトな陽性の声できびしい批評もするパーソナリティだった。
彼が何をしゃべるか気になってついつい聴いてるうち、
逆に予想するようになる、自分の中で勝手にコニシ・カツヤ像ができ上がっていた。
そのコニシ・カツヤの笑い声がまぼろしのように聴こえた、とただそれだけのハナシ。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/4/21
ハワイからいにしえに

先週今年最後?かもしれぬ帰国をした。
もちろん仕事である。
その中にも、色々な行事がある。
ある方のお誘いを受け、京都に行って来た。
「京をどり」、「都をどり」、「北野をどり」と云う三つを鑑賞した。
三つを鑑賞できる週は、先週だけなのだとか。
京都に着くと、気温は24度。
「ハワイとほとんど一緒だなー」などと呟きつつ、
最初の目的地「京をどり」の宮川町に向った。
今京都で、1番勢いのある地区らしい。
今年からこの「をどり」も、一切の撮影禁止。
非常に残念である。
インターネット発達の弊害が、こんなところにもあった。
YOUTUBEなどで、画像が流れてしまったのだとか。
さて劇と云うか、をどりが始まった。
まず目を引くのが、三味線だ。
左右の舞台に、各8人ずつの三味線は壮大だ。
16人全て、云うまでもないが、同じ指の動き。
この三味線の音色は、何とも云えない風情がある。
本当に今平成か?と錯覚してしまう。
そして芸子の登場。
僕は芸子の顔や仕草より、着物に目がいってしまった。
アロハシャツの柄にもあるような、友禅の着物はまた圧巻。
柄も色も素晴らしい。伝統工芸の、歴史を見ているようだ。
歌舞伎に囃子のような、「ヨーオ!」云うかけ声がまたいい。
宮川町から歩いて、祇園の花見小路に向う。
1年に1度、春の到来を告げるイベントなので人、人、人。
一力の前を通り越し、祇園公部歌舞練場に向う。
始まりは明治5年と云うことであるから、時代また伝統を感じるのは云うをまたない。
第一景から第八景までの舞台。
印象は華やかで、艶やかで、カラフルで、賑やかで、言葉で表すのが陳腐な気がする。
翌日北野天満宮横にある、上七軒歌舞練場を訪れた。
「北野をどり」。
このステージは大きくなく、古く懐かしい感じがした。
77歳の芸子さんもおり、1番の歴史を誇ると云うだけある。
若い芸子、年増の芸子、背の高い芸子、太めの芸子、
それぞれが皆、自分の役割を果たし地味ではあるが、良い「をどり」であった。
殺伐とした世の中、今回一息つかせてもらった。
こう云う体験を、日本にいる時は、体験しようともまたするとも思わなかった。
京都とも「縁」があるのであろう。
今回思ったのは、この素晴らしい舞いも、
ハワイのポリネシアン文化センターのフラも、かなり共通するものが、あると感じた。
一生懸命さ、文化の継承、伝統の継承、華やかさ、厳しい稽古。
学ぶべき事柄が、多かった。
関係各社に感謝する。
ずっとずっと、続いて欲しいものである。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/4/3
しまった!
うっかりしてた、今日は「4月1日」だった。
時計を見るともう夜中の12時ちょっと前。
今年のエイプリル・フールはイベントなしで終わってしまった。
残念。

どうして、こんなに大好きな日を見逃すようになったんだろう?
曜日ばかり気にして日々を送ってるからか?
「いたずら」に燃えなくなったのか?

いやいや「いたずら」を受けてくれる人が自分のまわりにいなくなった
――これが正解!

今まで「いたずら」は自分よりちょっとだけ目上の人にしてましたねぇ。
「自分の事をわかって欲しい」という甘えなんでしょうか?
けっこうスレスレを狙ってましたよ。
自分よりエライ人間の方が騙し甲斐があるんです。

留守電が一番得意でしたね。

「突然で申し訳ありません。
実家での複雑な事情もあり、この度福山に戻ることになりました。
全く別の仕事をすることになります。
担当している番組は可能なものは終了させてもらい、
残りは録音して福山から送らせてもらいます。
改めてゴアイサツに伺いますが、とりあえずお知らせまで。」

で、そのプロデューサーが心配になって夜中の一時頃タクシーで家にきて、
家中が寝静まってて、庭から家の中をのぞいてて、
ドロボーと間違われて大騒ぎ、なんてこともありました。

だから最近は「オイ、カツヤ、飲みに行こう!」なんて云ってくれる
ちょっと年上の人がみんなやめちゃってて……


  投稿する
 
Open Arms
   
   
   
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2009/4/13
あら、珍しい。
なんとメジャーで分かりやすいタイトルでしょう?!
まあ、いろいろなことに引っ掛けてあります。お楽しみに。

まずはご想像通り、ジャーニーのあの曲のこと。
前の記事でも書いたとおり、ちょっとブランクがあって
いろいろ報告しなければいけないことがあって、
順番が前後してしまいますが、こっちは時間的には近いほう。

そのジャーニーのライヴ報告です。
ベストヒットにも節目節目に出演多し、80年代の産業ロックの王道を辿った彼ら。
80年代末の活動停止以来、分派がバッド・イングリッシュを作ったり、
90年代は数度の企画的な再結成を経て、くっついたり離れたり。

しかしまたここ数年の活動再開は本気のようです。

全盛期からのメンバーは、ギターのニール・ショーン、
キーボードのジョナサン・ケイン、ベースのロス・バロリー、
これにニール、ジョナサンとはバッド・イングリッシュ以来の付き合いの
ディーン・カストロノヴォがドラム。

そして今回の話題は、新リードヴォーカルのアーネル・ピネダ。
フィリピンから新加入しました。
そのためか、というかそれ以外に理由がないのですが、
観客にフィリピーノ、フィリピーナが多かったこと。
観客席からフィリピン国旗を大弾幕で広げたり。
開始前のロビーでもタガログ語が飛び交う
(ちなみに小生、タガログ語、タイ語、ほんのちょっと分かります。
なぜでしょう?深い意味はありませんが。
名誉のために言っておきますと、スペイン語、ロシア語はそれ以上に分かります。
フランス語ドイツ語全然ダメ。クリスティナ・アギレラのあの曲程度)、
記念写真をパチパチ。
ちなみにフィリピンという国の音楽事情、暇があったら詳しく調べてみたいのですが、
その暇というやつがないのが口惜しい。
ひょっとしたらフィリピンは、
日本以上に日本的な「おしゃれ洋楽」が好きな国のようです。

デヴィッド・ポメランツという人がいます。
70年代ちょっと活躍したシンガーソングライター、
しかし実際にはアメリカではソングライターとしてのみ捉えられていた人で、
バリー・マニロウのヒット曲、
“Trying to Get the Feeling Again”,
“The Old Songs”なんかの作者です。
これらの曲、デヴィッドもレコードを出しますが、
本国アメリカでは全然売れなかった。
日本では、“The Old Songs”に関して、
前長野県知事、現参議院議員のあのお方の処女作「なんとなくクリスタル」で
ポール・デイヴィスと共に取り上げられたり、
また10年くらい前でしょうか、主演は草ナギ剛、瀬戸朝香で、
ドラマ名をはっきり憶えていませんが「見合い結婚」だったかな、
そこで剛君の好きなレコードとして毎回出ていて
ストーリーの横糸に使われたりして、知る人ぞ知る存在でした。

その程度の人だったのですが、
このデヴィッド・ポメランツのレコードはなぜかフィリピンだけでバカ売れしました。
そこで彼自身、もう完全にフィリピンに移住しちゃって、
録音もライヴも全てフィリピンのミュージシャンと活動しています。

これまた70年代に活躍した、
爽やか系ポップスで「秋風の恋」などヒット曲も多かった男性デュエット、
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー。
これも90年代後半になってフィリピンで
ブームと呼ばれたくらいCDが異常な売り上げをして、
30年近く音楽から身を引いて宗教活動をしていた
ジョン・フォード・コーリーが復活して、
彼の場合移住までは至っていませんが毎年フィリピンでライヴをして、
フィリピン向けのアンソロジーCDが発売されたりしています。

ちなみに相方のイングランド・ダンことダン・シールズは、
カントリーに転向して成功するなど音楽活動は続けていて、
彼は「想い出のサマー・ブリーズ」などの大ヒットがある、
もう一つの男性デュオ、シールズ&クロフツのジム・シールズの実弟なのですが、
現在はその兄弟がSeals & Sealsとしてデュエットで活動しています。

まあ、そんなことから、フィリピンというのは不思議な音楽志向性を持っていて、
オシャレポップスが日本以上に受ける国だという想像ができるのですが。

閑話休題。ジャーニーに話を戻します。

スティーヴ・ペリーとは完全に決別、
00年代前半の再結成企画ではペリーに声質に似た
別のスティーヴが参加しましたが彼も体調不良を起こした。
そこで新たなヴォーカルを物色していたニール・ショーン。
たまたまYouTubeをサーフィンしていたら、
フィリピンのライブハウスでスティーヴ・ペリーそっくりに
ジャーニーの曲を歌っている男の映像に出くわした。
それがアーネルだった。
ニールは早速メールでアーネルにコンタクトを取ろうとしたが、
アーネルは最初、悪質ないたずらだと思って返事をしなかった。
ところが周囲の人たちが返事だけでも出してみたら、
と強く勧められたのでレスを送ってみたら、
今度はニールに加えて、ジョナサン、ロスからもメールが返ってきたので、
本物だと分かった。
本当に、「あの」ジャーニーから加入を打診されているのだ、と。

そんな、インターネット時代ならではの国境に穴を開けたシンデレラストリー。
彼は母親を無くしたばかりで、
今の自分の成功した姿を一目見せてやりたかった、という。
第三世界の国にありがちですが、フィリピンも物凄く貧富の差が大きい格差社会で、
実はアーネルはこんな運命のいたずらでもなければ
下のほうの階級で場末のバーで歌っていたのでしょう。

サンフランシスコ・ベイエリアをベースにしていたバンドに
フィリピン人が入ってくる。
いいじゃありませんか。

以前書きましたが、僕はオバマ大統領を単なる黒人の大統領としてではなく、
多民族社会アメリカの象徴として登場したのだと考えています。
それとおなじことじゃないですか。
異文化人を大きく「両腕を広げて」迎え入れたわけですから。
それでとにかく、ご存知かもしれませんが、
アーネルの声はスティーヴ・ペリーのそれにそっくりです。
ルックスも似せようと長髪にしています。ただ、背は小さいですね。
スティーヴは80年代の全盛期は長身に長いコートテールで
「茶羽ゴキブリ」と一部であだ名されていましたが、
長髪、小柄でちょこまか動くアーネルで、小生は、
最初のシリーズの頃の20台の「金八先生」を思い出してしまいました。
でも彼、実は既に40の大台を過ぎていて、つまり小生と殆ど変わらないんですよね。
ニール、ジョナサンたちこそ今までジャーニーの名前を背負ってきたのに、
ステージ上では無言で演奏に徹して、MCも盛り上げもアーネルに任せて、
すでに信頼を得ている感じでした。

今回も幸運にもミキサーさんからセットリストを頂きました。





ジャーニーの最新CD “Revelation”は二枚組で、
一枚目は新曲、二枚目は80年代のヒット曲をベスト盤形式で選曲し、
アーネルをフィーチャーした再録音。その中から去年、一番ヒットした曲は
“After All These Years”という、
“Faithfully”を焼き直したようなロックバラードだったのですが、
(ちなみに先ほどの、ニール・ショーンがYouTubeでアーネルを発見したときの
動画は、“Faithfully”を歌っていたものだったらしい。
でも今回のライヴではその一曲だけ、ドラムのディーンが
リードヴォーカルを取っていました)、
その曲も演られず、80年代のおなじみの曲6割、
ニューアルバムからの新曲4割という感じでしたが、
ハードロック色を強く出そうとしていたように感じられました。

ニューアルバムの1曲目でもある“Never Walk Away”から始まり、
全盛期の後期の曲に怒涛のメドレーで続く。
ちょこまか動くアーネルは前列席で手を伸ばす聴衆たちに、
ウエーブを作るように右から左へと全員にハイタッチをしていく。

バラードのヒット曲は、真ん中あたりの8曲目に
“Lights”と“Still They Ride” をメドレーでやったり、
それに続けて例の“Open Arms”に続けて、
最後から2曲目に“Faithfully”を持ってきたり、
要所要所でロックバラードを入れていましたが、
例えばあの泣きの“Who’s Crying Now”なんかは演らなかったわけで
全体的にハードな曲が中心の選曲、ニューアルバムからもそちらの方から、
全体の中でも一番盛り上がったのはやっぱり“Separate Ways”、
“Don’t Stop Believing”など、
“Escape”のアルバムからの曲でした。
その当時、80年代初めのギターキッズたちのお手本となった
ニールの連符速弾きはいまだに健在と見ました。
いい意味であまり自己主張をしそうでなく、
つまりニールとあまり喧嘩しそうにない従順な、
しかも全盛期の雰囲気を忠実に再現できる新たなフロントマンを得たことで、
このジャーニーというグループ、もう少し長く続きそうだ、と感じました。


もう一つの Open Arms。
4月3日放送のファンフラをお聴きになった方。
克也さんに時々合いの手を入れていた子供の声に気づかれましたか?

それは私の息子、阿南“Ricky”紀輝(のりき)8歳だったのです。
春休みを利用して上京帰省し、金曜日が重なっていたので、
銀座のスタジオに突然に親子でご挨拶、というかお邪魔しに行ってしまいました。
いろいろ悪戯もしてご迷惑もおかけしました。
でも放送事故には至らずほっとしています。
大喜びで、「カンカン!」や「ブー!」に参加できた時ははしゃいでました(親も!?)。
放送でも、「君、小林克也の孫じゃないの?」とおっしゃってくださいましたが、
本当に孫のようにゴム割り箸鉄砲で遊んでくださったり、感謝です。
スタッフの皆様も、音に関係ない程度に機械をいじらせてくださったり、
いい経験、思い出になったと思います。
本当にありがとうございました。




おやつを賭けてじゃんけんポン。
愚息が負けましたがちゃんと分けて下さった御大でした。




ちゃんと原田Dのお手伝いもしました。
未知の世界に興味津々、でも御大のお邪魔にはならないように・・・




突然お邪魔して失礼したにもかかわらず、
「もろ手を広げて」歓待してくださった克也さんと銀座ファンキーズの皆様、
ありがとうございました。お疲れ様でした。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/4/13
ワイキキから

ハワイ島から、ホノルルに越して来て、丸5年が経過した。
その間色々なことがあり、僕の生活環境もまた劇的に変化した。
昔の友人と音信不通になったり、
また今まで会えないよう人達とひょんなことから出会いが始まったり悲喜交々である。
この歳になると、離合集散が激しくなるようだ。
バラエティにとんだ方たちとの出会いは、
ホノルルと云う、特別な土地場所だからありえることなのであろう。
飛行時間の頃合いも良く、旅費も安く、
日本語が通じ、治安が良く、年間を通して天候が良い。
この要因が、人々をハワイに引き寄せているのは間違いない。
今年のゴールデンウィークは10日間飛行機がいっぱいだそうだ。
この世界的不況にも全く負けずに。
実に喜ばしいことで、観光地は客が来てこそ活性化する。
それにしても最近の州は観光地としての自覚が足りない。
僕は過去に何度も書いているが、観光客の行動範囲にホームレスが多過ぎる。
また昔のオウム詐欺が横行している。
観光客の肩にオウムを乗せ、「写真!写真!」と急かし、
撮ったら最後法外なチップを要求する手口が、
ワイキキのど真ん中で平気でおこなわれている。
警察も州も見て見ぬふりであろうが、あまりにも目につく。
間違いなく観光客は、いやな思いをしていると想像にかたくない。
個人の責任と云ってしまえば聞こえはいいが、
観光地のど真ん中でこれはないと僕は思う。
早急に是正してもらいたいものだ。
幸運にもこのブログを読み、自分で行かれる方、
また友人がいたら一言注意してあげてほしい。
とまあ固い話になったが、ワイキキの発展の勢いは凄まじいものがある。
ダメな店はなくなり、評判がいい店は並ぶ。
文字どおり弱肉強食の時代に入ったと云えよう。
しかし上半期のハワイの寒さはやはり異常だ。
日陰に入ると寒い。
日本から来た人達が、「寒い」
また「ハワイらしくないですね」と云うのだからやはり深刻である。
さて今年も浜松から中学生の修学旅行がやってきた。
毎年100人くらいの生徒が、好きな分野の勉強をする。
昨年から家庭科の授業で全員アロハシャツを作ったそうで、各自持参してくれた。
それを終えると2−3人ずつに分かれホームスティにいく。
今年もアロハに興味のある、生徒9人を連れ縫製工場を見学した。
皆一様に興味を示していた。
もう4回目になると云うことは、最初に来た中学生はもう大学生になっている訳で、
何の成長もしていない自分を考えると「いかんいかん」と反省するのである。
毎年出来るかぎりやっていきたいと思う。
若い力、興味の力。未来を託したい。彼ら彼女たちに。


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/3/26
「キムタクの新しいドラマからハナシがきてますよ。
キムタクの上司、それも研究所の所長の役だって。」
「スケジュールは?」
「週2日は開けられると伝えておきましたが、
ムリかもね、おいしいお仕事なのにね。」
「ま、しょうがないか。たまには国民注目のTVドラマの内側を覗いて見たいけどね。」

な〜んて会話があったのが2月の事。
結局、週2日のスケジュールで収まりそうだってことになって、やる事が決まって、
今日がそのドラマの「顔合わせ」と「本読み」の日。

こんな節目の時、オレは必ず遅刻する。
この日も10分遅れた。
まだ始まってないだろう、と軽く見てたら、会場からアイサツらしき声がもれてきた。
ヤバイと思ってすぐにドアを開けた。
あいにく、これが前方のドアだったので、
ほぼ全員の視線がいっせいにオレに注がれる。
シーンとしてるのでみんなの目ん玉が動くのを感じた。
何とタイミングの悪い奴。

落ち着いて会場を見渡すと、役者20数名に加え、
スタッフや関係者等、どう見ても200人近い人間が集まってる。
ラジオの世界からお邪魔したワタクシにとってはこりゃ大変な数の人間だ。
おまけにスタッフは一人一人、例え助手の助手であってもちゃんと名前を紹介される。
昔からのしきたり。
多人数が一丸となって仕事するわけだから当然のこと。

最後に俳優達のアイサツ。
木村拓哉、綾瀬はるか、市川海老蔵、香川照之、
大地真央、高島政伸、トータス松本…みんな個性的。
というか役者ってミュージシャンに較べて暗い!
元々ミュージシャンのトータスもこんな場ではけっこうマジ。
かくいうワタクシも遅刻したこともあり、地味なアイサツ。
「豪華な顔ぶれで、とんでもないところにオジャマした気分、それも遅れて…」
なんて云ってると、心なしかスタッフが笑ってる!

この会場に流れる内にこもったヴァイブレーション、
みんなすでに「役」に入ってるからなのか?

そして「本読み」。

みんな凄くしっかりしてる。
みんなちゃんと予習をするのだろうか?
一夜漬けが得意な準備不足のオレ、ちょっと不安になる。

オレいつもこんなアンバイだ。
なんとかなるのか?

ちょっと前飲んだ時、伊武雅刀が云った。
「克也は役者じゃないんだから、役者じゃ出せない味が出せたら一人前だ。」

うーんもっとハッキリ云ってくれ。わかりやすく。

そんな自信のないオイラが秘かに待ってるものがある。
それは「存在感」、演技を超えるもの。
そう ソンザイカン!
誕生日もまたまた来てしまったし、
いいかげんに漂って欲しい、ソンザイカン。

早く出ろ出ろ、ジジーのオーラ!


  投稿する
 
小林時々日記
   
   
   
 Update 2009/3/19
最近何をした、何処へ行った、誰と会ったとか
細かい事書いてないけど、理由はカンタン。
「あ、これブログに書いておこう」とか
頭にメモしながら生活するのが性格に合わない。
机に座って思い出したことだけを書こうと、こうして座ってるわけだけど、
書けることが見つからない。
what? who? where? why? how?
ナッシング・マッチ!
頭の中に一つはっきりしたチャンネルがあって、それは「食べた物」。
何と卑しい男。
ここ1、2週食べたものがどんどん頭に浮かんでくる。
はっきり浮かぶ。
やっぱりボケてないんだ!いいやこれって食いボケか。
昨日と今日の2日間で食べたおやつだけを書き出してみて、
思わず量の多さに反省してしまった。
ドラ焼きを2種類、家で1枚、テレビ局で2枚、
こっちの方が水飴の味付けでサッパリしててうまかった。
あとキャニオン・レコードからの差し入れの大福、
虎の門の有名な店のやつ、これをひとつ。
まだまだ、キルフェーボンのタルト、ふたつ。
まだあった、豆源の揚げた塩おかきをひと袋。
そしてダメ押し、ナチュラルな甘さを抑えた普通のビスケットひと袋。
3年前までは間食をいっさいしない習慣を守っていたのだが、
手術後何回かに分けて食べるようになり、なにもかも一変した。

甘いものもよく食べるようになった。
一体どこへいくのか?
オレの食生活。


  投稿する
 
HAWAII CALLS
   
   
   
K.C KIUCHI
 Update 2009/3/30
ハワイのステーキ屋さん

人間自然と笑みが出る時は、どんな時であろう。
いい女と出会った時?欲しいものが手に入った時?
美味しいものと巡り逢った時?
今回は食欲、久しぶりに食事ネタでいきたいと思う。
先週友人のI氏に誘われ、
ワイキキのロイヤルハワイアンショッピングセンター内3Fにある、
「WOLFGANG,S」に行って来た。
2月にオープンしたばかりの、ほやほやのお店。
ニューヨークに2店舗、ビバリーヒルズに1店舗、そしてこのホノルル店の計4店舗。
ハワイのステーキハウスと云えば、アラモアナのモートンズ、
ワイキキとダウンタウンにあるルーズクリス、クヒオのハイズなどが一般的だ。
さて本題に戻ろう。
このステーキは、正直手間暇かかっている。
28日間の時を、ドライエージング方法(巨大な扇風機で煽るなど)と云う
特殊な技術を使い、冷蔵庫で寝かせる。
この方法では、10キロの肉で使える所は、7キロしかないと云う。
3キロのロスが出る。
ロッキーの映画で出てくるような、肉の塊が並ぶ冷蔵庫に、
特別に入れてもらったが、中はなんとチーズのような匂いがするのだ。
厨房は慌ただしく従業員が、オーブンから出しては入れ、出しては入れている。
作業は圧巻であった。
さてレストランに戻り、食事を味わってみた。
前菜の「サラダ」と「ロブスターカクテル」、「カナディアンベーコン」をオーダー。
実にバランスは良く、量も適正だ。
ロブスターは、上品な雰囲気を醸し出している。
ステーキは、僕の1番好きなリブアイを注文した。
このリブアイは、適度な脂身と肉の固さがよろしい。
日本のばりばりの霜降り肉より量が入る。
僕はミディアムで焼いてもらったが、
ここのお店のは、ミディアムレアーがいいかもしれぬ。
肉はジューシーで、匂いが冷蔵庫と同じ、チーズのような感じがする。
これが、特殊製法の匂いと、柔らかさであろう。
辺りの人達は、大人数の所為もあるとは思うが、
大半は「ポーターハウスステーキ」を注文している。
こちらは2人前から。
2人以上なら、こちらをお勧めする。
デーザートは間違いなく 「APPLE STRUDEL」がいい。
乗りきれないくらいの生クリームが最高にいい。
ワインも豊富で、マネージャーの吉田氏は「棚卸しには2時間を要する」と云う。
何はともあれ上品なお店。
場所よし、味よし、雰囲気よし、値段も思うほど高くはない。
4拍子揃ったと云う、感じだ。
店内は静かで高尚な雰囲気であるが、下を見るとワイキキの喧噪が別世界のようだ。
これから、かなり伸びそうなお店である。
期待しよう。
いつも新しいレストランを紹介していただく、I氏には感謝したい。
WOLFGANG,S STEAKHOUSE 808ー922ー3600


  投稿する
 
Here I Go Again
   
   
   
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2009/3/25
ご無沙汰してしまいました。
まあいろいろ手違いがございまして、去年の暮れに書いた原稿が、
年が明けてかなりたってからアップされたりして。
新年のご挨拶をするにはあまりにも間抜けな時期になってしまいました。

去年の年越しの瞬間は克也さんと同じ場所で、
公開生放送スタジオで派手にカ