Hard Rock Cafe
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2011/2/15
克也さんが毎週名古屋詣でをしてくださっていた時期が
どんどん過去のものになりつつあると実感させられる事件がいくつかあった。

その1.
ハードロックカフェ名古屋店が去年最終日を持って閉店した。
場所を変えて数年後の再開店を目指しているそうだが、
そういいながら消えていった店舗を何軒も知っている。当てにはならない。

東京では上野の駅の中にさえあるのに。

克也さんはその場所から、
ZIPーFMの開局5周年記念イベントで3回ナマ放送をやった。
小生と克也さんの何回目かの邂逅の場所であった。
イベントの前の週の放送で克也さんに、
キャロル・キングの、そのものずばり
”Hard Rock Cafe”という曲をリクエストしてかけてもらった思い出もある。
77年、シンガーソングライターブームとしては後期の、
彼女としても全盛期最後のヒット曲となった、
ちょっとラテン、ラバンバが入ったような、
「どこの町にもあるよ、夜遅くまでみんな騒いでるよ、
さびしくなったらおいで」といったハードロックカフェ応援歌。

去年名古屋は、ここでも話題にした、
放送史上に残る、大手放送局初倒産を経験してしまったわけだが、
この地の洋楽文化の低迷、そして何よりも全国的な不況は、
何とかならないものだろうか。

その2.
去年、ミュージックギフト券が発行停止され、当然使用も停止された。
恥ずかしながら小生はこのニュースに気付かず、
今年1月末の債権要求期限のぎりぎりになって知って損をせずに済んだ。

克也さんのZIP−HOT 100のテレフォンチャンスライン
(現「銀座カンカンクイズ」の原型)の主賞はミュージックギフト券5000円であり、
最多正解記録保持者としては相当荒稼ぎをさせていただいた。
その記念に持っておこうという気持ちや、
先ほども触れたが、CDを買う機会も少なくなったためかなり残っていた。
それをぎりぎりになって換金して事なきを得た、というわけである。

CD売り上げは10年前の半分以下だという。
それでも小生はどちらかといえば買っているほうだと思う。
しかしそれも個人輸入が中心であり、CD屋さんに足を運ぶ機会がめっきり減った。
新しい音楽に触れる場合もデジタルダウンロードがますます増えていくだろう。
町からCD屋さんをなくしてはいけない、とは思うが、小生も大きなことは言えない。

その3.
あまり熱心に聴いていないので無責任な発言はできないが、
ZIP−FMの若者向けAMラジオ化現象が顕著らしい。
特にそう思ったのは、どうやら元AV女優がレギュラーコーナーを持っていて、
そっちの方面の話をしているらしい、ということである。
小生はAV女優という職業に偏見は持っていないつもりだが、
変われば変わるものだなあ、と実感せざるを得ない。
ZIPはNo.1ミュージックステーションの冠で売っていたのではなかったか。
小生のように、音楽専門なら音楽専門、
トーク専門ならトーク専門と特化してほしいと思うのは、
倒産局すら出た現実を見ても、もはや贅沢か。
小生は今まで以上に、ストリーミングの海外ラジオへの依存を
深めていくことになるだろう。なんか、すべてが悪循環だ。

そして個人的には、去年は、まさか自分の人生には起こらないだろう、
と思っていたことが起こってしまった。何が起こるかわからないものである。本当に。
何やかやと忙しくしていてすでに一ヶ月がたってしまったが、
まだドカ雪が降っている。本当の春はこれから。
個人的にも、世界的にも、良い年になってほしい。
もちろん、皆様にとっても。

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ANAMMY AWARDS 2010
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2011/2/15
ベストヒットでも去年の年間チャートの発表があったことだし、
グラミー賞が発表される前に2010年度アナミー賞をやっておこうと思う。

私、阿南東也(あなみはるや)が独断と偏見で振り返る去年の音楽、
本家グラミー賞の足の小指の爪の垢以下のものである。

過去二年サボってしまった。
ちなみに2009年最も気に入っていた曲賞はサラ・ブラリス
”(I’m not gonna write you) A Love Song”であった。
その曲の徒然についても書きたかったのだが機を逸してしまった。
そう考えてみると小生の集中力欠損症もかなりの長期戦になってしまった観がある。
自戒の念も含めてしっかりやりたいと思う。

☆最も気に入った曲
1 Lady Antebellum “Need You Now”
去年はとにかくこの曲であった。
テイラー・スィフトとか昨今のカントリー全体にいえることだが、
70年代までのカントリーを知っているとまったくカントリーという感じがしない。
限りなく普通のアダルトコンテンポラリーに聞こえる。

一昔前なら「ドリカム構成」と言われただろう。

Lady Antebellumとは何だろう?
Anteは「前」bellumとは「戦争」のことで、
南北戦争以前のアメリカのことを指す。
グループがその南北戦争前の文化を紹介する記念館を見学中に思いついたそうだが、
南北戦争以前の女性、となると、西部開拓の男世界に放り込まれた女、
ゴールドラッシュの時のカリフォルニアなんか、90%以上が男だったそうだから、
奥さん連れで行こうものなら不安でたまらない、
いつ飢えた荒くれ者が涎を出して襲ってくるかわからない、
だからそのときに鋼鉄の貞操帯なんて物が発明されたという。
そんなことまで連想してしまう。

ビルボードホット100の年間チャートでは2位だったが、
ベストヒットのラジオオンエアの年間チャートでは意外に低かった気がする。
アメリカンミュージックアウォードでも、
ノミネートは多かったがひとつも受賞できなかった。グラミーはどうなるだろう。

2 Train “Hey Soul Sister!”
Hot ACの分野では、去年はここ数年私が最も好きであるニッケルバックとか
ドートリーとかが新譜を出さず空白期になってしまった。
そこで”Drops of Jupiter”以来フォローしている
トレインが一番だったかなあと思う。
でも歌詞もあまり深さは感じられなかったし、
音も高音のアコギのストロークが目立ったせいか軽い感じがした。

3 Adam Lambert “What Do You Want from Me”
この曲は同時に☆「最も頭の中をぐるぐる回った曲」No.1でもある。
メロディがシンプルでキャッチーであるためだろうが、他にも理由があった。

この曲は初めて聴いた時から妙な懐かしさを感じていた。
なぜだろう、とよく考えたら、その理由とは、
イントロ、Aメロ、サビが同じだからだった。
そういう構成の曲は80年代くらいまでかなり普通にあったが
最近はトンと少なくなった。
そこに印象的なメロディでそういう古い構成の曲が出てきたから、だろう。

  ☆ 最もよく聴いたアルバム
Kelly Clarkson “All I Ever Wanted”

下でも触れるが、本当にCDを買わなくなってしまった。
だからこの賞の選考は難航する。

これ以上いいアルバムを聴き逃しているという不安を拭い去れないのだが、
よく聴いて気に入っていた、ということでお茶を濁す。

“My Life Would Suck Without You”
“Already Gone”がヒット。
前者に関してはちょっと思い出もある。
春の克也さん誕生日の銀座スタジオにお邪魔したとき、
このアルバムはまだプロモ試作段階で、その曲にも邦題がついておらず、
原題がカタカナ表記に代えられていたのみであった。
曲が放送に乗っている背後で、
「この曲、邦題つけなくていいんでしょうかねえ?
このままいくんでしょうかねえ?」なんて話し合っていた。
何しろ、英語でも放送自粛になりかねない表現が入っていたから。
案の定、CDが出たときには単に「ウィズアウト・ユー」になっていた。

☆ 最もくだらないと思った曲 残念ながら該当なし。

☆ 最も印象に残ったビデオクリップ
Katy Perry “California Gurls”
これは去年いっぱいヒットを放ってブームを作った彼女に敬意を表す意味でも。
「カリフォルニアガールズ」といえばビーチボーイズか
デヴィッド・リー・ロスだったが。綴りも変えられちゃったし。

これも、多分アダム・ランバートとは別の意味で頭の中をぐるぐる回り続けた。
あっパラパーさにノックアウトされた。
ビデオも趣味がいいのか悪いのか、色彩が派手なのと彼女の動きに、座布団十枚!

今年も相変わらず新しいものはHotACを中心に聴いていくことになるだろうが、
その分野から何か爆発的ヒットが出るかもしれない、と勝手に思っている年の始である。

以下、Hard Rock Cafeに続く・・・

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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2011/2/2
29日の土曜日、夕方ワイキキに出た。
この日はハワイで開催される、アメリカンフットボールの
オールスターゲームの前夜祭で、ワイキキをホコテンにした。
通常のこのプロボールは、スーパーボウルの翌週にホノルルでおこなっていた。
昨年からマンネリを打破しようと、マイアミでスーパーボウルの前週に開催した。
ひとつには開催地を長い間ハワイ一箇所でやっていたので、変化をつける意味合い。
もうひとつはスーパーボウルの翌週になると、
全米のフットボールファンの関心は薄れるので、前の週はどうだ?と開催した。
前週にもってきたのは成功した。
しかし開催地はやはり、ハワイがいいという意見が出た。
そして初めてスーパーボウルの前週に、ホノルルで開催することになった。
その前夜祭。かなり盛り上がっていた。
オフィシャルグッズの店から、ハンバーガー、かき氷の店まで大盛況であった。
五つのステージではそれぞれの余興があり、
夏の神社の境内をひとまわりする「それ」にどこか似ていた。
気がついたことが、いくつかあった。
まずは黒人が異常に多かった。通常のワイキキの10倍はいただろうか。
それと白人も多いのだが、皆裕福な人種であった。
旅費も本土から家族五人で来たら、安くない。
おまけにプロボールのチケットもかなり高額である。
簡単にいうと、皆金持ちが集合したということである。

もうひとつは過去の名プレーヤーや、ハワイ出身のプレーヤーがステージに上がった。
共通しているのは、実に「品」があること。
そして自分の許す限り、ファンにサインをしていたこと。
驚くくらいにフレンドリーで、真面目でコマ目にやっていた。
スーパースターとは、こういう人達をいうのかと間近で勉強になった。
インタビューも、他人のことはほとんど語らない。
翌週のスーパースターの結果も、敢えて回答しない。
皆最後にこの目の前のファンに一言という問に、
「両親や家族を大切にしな。また親は子を褒めて、楽しくやって欲しい。
そうすれば必ず伸びていく」と。
いま現在、世界中にいる無能な政治家より遥かにキレがあり、
温かさもあり、共感性もある見事なやり取りであった。
最後に思ったのは、群衆が騒ぎ、ハンバーガーやホットドッグの煙が上がり、
上から見ただけでは、エジプトの暴動と見た目は変わらないと思った。
決定的に違っているのは平和なハワイで、「娯楽」に集まった幸せな大衆ということだ。
選手たちの意見は「プロボールは選手達のご褒美だ。
家族も連れて来られる、皆の憧れの地ハワイで、今後も開催して欲しい」
と有名選手が声明を出した。
有り難いことである。
この経済効果は、ホノルルには追い風になるのは間違いない。
毎年開催できるようにこちら現地サイドも、努力せねばならない。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2011/1/17
今年も宜しくお願い申し上げます。
ハワイから、今年も情報を発信したいと思っております。

さて今年の第一回は何にしよう…………
まずはハワイの天気。
昨年の12月から、今年の1月にかけ天候は安定していない。
世界的な異常気象からみたら、まだましだと思うが、
ワイキキも朝から大雨なんてことも、ちょくちょくあった。
そして先週末から異常に湿度が高い。
通常50%前後が、金曜、土曜は75%くらいあった。

話題を変えて、カウアイ島の話をする。
僕はハワイ島コナに以前暮らし、今はホノルルに住んでいる。
そして旅行でマウイ島に初めて行ったのが、1991年。実に20年前である。
先週ルームメイトと話をしていたら、ひょんなことからカウアイ島に行くことになった。
写真家であるルームメイトに、
無謀にも「カウアイ行ったことがないので写真でも撮りに行きたいです」と
僕が提案したところ「付き合いますよ」という即答があった。
話したのが土曜で、その日にチケットを取り、行ったのは二日後の月曜であった。
ちなみに野郎二人なので、洒落たホテルでなくとも良いとなり
飛行機、ホテル、レンタカーで一人260ドルの旅費となった。
これは安いと思う。
飛行機はアロハエアーを潰したことで有名な、GOエアー。
チープ感が出ているかと想像したが、思ったより良かった。
離陸もスムーズで、ホノルルからの飛行時間も25分。簡単である。
その日はカウアイに嵐がきていた。
そんな間隙を縫って、晴れ男二人はレンタカーを借りドライブに出かけた。
そうこうしているうちに、ワイメア方面に光が差した。
めざとくそれを見逃さず、行ってみることにした。
ドライブ中、やたらと鶏が目についた。
軍鶏みたいな奴で、かなりの数がいる。
おまけに声もでかく、「コケコッコー」と威勢よく雄叫びをあげている。
ワイメアは太平洋のグランドキャニオンと呼ばれているだけあって、
とてもハワイ規模の自然とは思えないくらい、雄大であった。
ナパリコースト方面も晴れてきて、十分満足のいく初日であった。
リフエに帰り夕食に出かけた。
「はむら」というサイミン屋が大繁盛していた。
ホノルルでサイミンのみの店で、繁盛させるのは至難の技。
カウアイならではと、云える。
味はかなりいけて、あとを引く感じ。
翌日はハナレイに行った。
ここは昔のハワイアンの集落など、生活感が色濃くあり、興味深い。
一番驚いたのは、日本人は二組くらいしかいなかったことと、
観光客はほとんどが白人であった。
僕はハワイでつごう11年暮らしたが、自然の美しさに関しては、一番と太鼓判を押す。
やはりハワイ諸島で、一番古い島。
「一日の長」があるのであろう。
ぜひぜひお勧めする。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/12/27
今年もへんなことは多かった

さてへんなことだらけの一年であったが、検証してみたいと思う。
まず今アメリカ大統領のオバマが、地元ハワイへバケーションに来ている。
最初のお国入りは大歓迎であったが、今は落ち目ということもあり、
辺りは渋滞するは、訪問時のセキュリティに数千万をハワイ州が負担はきついは、
オアフ上空では連邦航空局による規制が行われるはと、問題が多い。
人気商売であるから、圧倒的人気があれば
多少のことがあっても問題にはならないであろうが、今はダメである。
あと世界のリーダーを唄う割に、22日から2日までのバケーションは
やはり長いと思うのは僕だけか。
一般庶民は年越しもきついのである。
やはり「へん」。


さて羽田が就航して初めての年末年始。
かなりの人数が羽田から飛び立つ。
前々回書いたが、就航したての路線で、
JALは20年以上前の飛行機を使うのはやはりさぎである。
これも「へん」。

アメリカ本土はクリスマスに全国大雪。
決行が相次ぎ、大変な休暇であった。
何せフロリダのオレンジも凍ったというからやばい。
ホノルルも朝から晩まで、大雨が2日続き散々であった。
この天気もやはり「へん」であった。

以前日本滞在中は、あまりテレビを見ないと書いた。
僕が一年で滞在中一番酷かったテレビは朝のワイドショーで、海老蔵事件の時だ。
僕が起きて茶の間に行くと、勝手にテレビがついていた。
そこにたまたま母親もきた。
コーヒーを飲みながら聞いていると、
「海老蔵さんの病院の部屋は一泊10万円です」と始まった。
これを見た時にはコーヒーを飲む手も止まり、
母親と「ばかじゃねーのか!誰がいくらの部屋に泊まろうがいいじゃねーか」と
リモコンを画面に投げつけたくなった。
ここまでテレビが酷いとは、薄々はわかっていたが愕然とした。
これで視聴率が取れているのなら、呆れて物が云えない。

それより昼からビーチ沿いのバーで、ビールを飲み何も考えず
シャッカをしているローカル達の幸せな雰囲気を分けてあげたいと思う。
健康的である。
「へん」ではあるが、そこがハワイの良いところといえよう。

さて今年も暮れていく。
どれくらい更新していただいたか想像もつかない。

担当の方にはいつも感謝せずにはいられない。

暗い事件や報道が多かったが、
来年こそは明るく楽しい出来事がたくさんくることを願うばかりである。

また来年も年明けにはアロ〜ハ!な明るい話題を書きたいと思う。


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小林時々日記
 Update 2010/11/25
TVで仏頂面の管総理を元女子アナの丸川議員がコッテンパンにやっつけてる。
凄い迫力! ちょっと恐い。
キツくしゃべったかと思うと、猫撫で声になる。
余計恐い。
今まで何十年も日本の政治家のだらしない泥試合を見てきて、
党が自民から民主に変わったけど、何の変化もない。
やっぱり男の政治家の時代は終わったね。
これからは女だ。
女に政治をやらせよう、国を任せよう。
男の泥レスなんて誰も見たくないもん。

復活したデフ・テックの二人に5年振りに会った。
シェンは子供もできてオヤジになってた。
マイクロは「子供」が残ってる。
今度の久しぶりのアルバム、前のより好きだネ。
二人はケンカして別れてたようだけど、やっぱ男はケンカしなきゃね。

50才くらいまでゴルフを(ゴルフする人間?)バカにしてたもんで、
今だにゴルフの神様に祟られてる。が、試合を観るのは好きです。
最初は石川遼を追っかけてたけど、最近は彼がオレを追っかける。
どこにでも出てくるもんね。
だからオレは逃げる。
今じゃ池田勇太。
「一番じゃなきゃダメなんですか? 二番じゃダメなんですか?」
そう、オレ二番でいいの。

今、落葉の季節。
だいたい夜11時から12時の間、私は落葉を掃いています。
明日になれば、また散らばってるのは解ってますが、掃かずにはいられない。
竹ボウキが一番効率がいいのですが、掃く音が大きいので深夜は普通のホーキでやります。
短い柄だと腰にくるので、長い柄のヤツです。
けっこう落葉掃きでハイになれます。

エンピツと消しゴムを擬人化した秀逸なショート・ストーリーを演じました。
エンピツも消しゴムも使い古され、捨てられる寸前。
擬人化ですから老エンピツと老消しゴムの対話です。
演技には自信はありませんでしたが、面白いことに、その後から、
モノ(物)をちょっとだけ人間みたいに見るクセがついちゃって。
自分のまわりにあるCDや古いラジカセや電子辞書や、なぜか鉄亜鈴とか。
でも、今はもうやってませんよ。
すぐ飽きたので。


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小林時々日記
 Update 2010/11/18
些細な事が気になって気になって

アーチストが宣伝のため番組にゲストで出てて、
DJが「じゃ曲を紹介して下さい。」とゲストに、
すると決って殆どのアーチストが、
「では○○で××!」
アーチスト名と曲名を言う。

ここがどうも大昔から引っかかってしょうがない。
DJはなんでゲストの曲をうまく紹介してあげないんだろう?
アーチストもアーチストで、なんで
「○○で××!」と事務的でそっけないんだろ! 色気ないよ。
アーチスト生命がかかってる曲だろ?
努力の結晶だろ?
クリエイティヴな人間なんだからもっと工夫した紹介があるんじゃないか?

例えば
「この曲、生むのに5ヶ月もかかりました!」
「これは私からあなたへの置手紙です」
「この曲には私の恥ずかしいモノも入ってます」
「この曲ホントはみんなに聞かせたくなかった」
「この曲はボクが落とす原子爆弾です」
「この曲は変化球です、君に打てるかな?」
「この曲家でかけたら猫が家出、犬が感電した!」
「この曲を聞くと女は子宝に恵まれます」
「この曲が流れてお墓の中のマイケルの骨がピクッと動いた。」
「借金で困ってる人、この曲だけは持って夜逃げして!」
                    etc

とか何とか短文を添えて曲をかけるだけでも効果があって楽しくなるのに。
というわけで、ゲストが出るボクの番組チェックしてね、
工夫の跡が見られるか?




NACK5FMが来年から演歌の20分の帯番組をスタートさせる、と云っている。

これってYES or NO?

私はYES。
おそらく自分のDNAの10分の1くらい
演歌っぽいモノが入ってるんじゃないかと思うけど、それとは無関係。
ラジオはみんな同じ方を向いて、こじんまりして欲しくない。
それぞれが他所とは違うんだという意気込みを見せてほしい。
財政的にもどこも苦しいみたいだから、ガンバってね。

オイラとしては(一人称が変わりつづけるオレ)
坂本冬美の新曲がかかったら、すぐ
Eric Benetの「サムタイムズ・アイ・フライ」がかかるくらいの選曲がいいな。
ヤツラもみんなエンカなんだもん。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/12/14
第38回ホノルルマラソン


僕はもちろん、今年も参加しなかった。
「あれは3年前―」と、ちあきなおみの歌ではないが、3年前参加して懲りた。
大雨だったのだ。
参加しなかったが、翌年も雨だった。
ひたすら雨に祟られていた、ホノルルマラソンであった。

しかし昨年は好天。
そして今年は「晴天」となった。
僕はぶらぶら昼頃に、散歩を始めた。
色々なコスチュームで走っている人を、観察するのが当日の、習わしとなっている。
かなり気温が高く、ランナーにとってはきつかっただろうと、容易に想像がつく天候だ。
高校の頃、陸上部に属していた時に競技場で、
良く嗅いだ匂いであるサロメチールが、辺りに漂っている。
ちなみに、今はサロメチールという名前で販売しているかはわからぬ。
それは「3年前」どころか「30年前」の話になってしまった。

さてゴールに設置されている公式時計を見ると、8時間を経過している。
走ってくるランナーと逆行しながら、写真を撮っていく。
苦しそうな人、楽しそうな人、元気な人、へばっている人、
本当に様々なリアクションがある。
自分も健康の為、毎日走っているが、人々はこの過酷な42.195キロを
何の為に走っているのだろうとつくづく考えてしまう。
もっと距離が短ければ、達成感がないかもしれないし、
多くのランナーが痛む足を引きずりながら歩かなくとも良いかもしれない。
また短い分、価値が低いのかもしれない。
ホノルルマラソンは、ご存知のように夏のマラソン。
この日のように終日晴れの時は、やはり大きく体力を消耗する。
かといって真冬の風物詩の箱根駅伝のように、寒すぎるのも
せっかくバケーションを兼ねて参加している人も多いので、これもいやであろう。

ぶらぶらしながら写真を撮ったが、
今回は若いカップルがゴール1−2キロ手前でも、
手を繋ぎ仲良く歩いている姿が清々しく感じた。
「愛があるなー」というのが素直な印象。
二人で参加している人には、かなり大きな意味があるような気がしてならない。
まだまだこれからも続くと思うが、ファミリーで参加をぜひお勧めする。
それにしてもこの時期、良く休暇が取れるなー………
ここで休暇を取っても、このあと年末年始も休む、ちゃっかり者もいるであろう。
「ホノルルマラソン毎年行きます!」と宣言して年中行事にしている強者もいるであろう。
しかし不況で帰ったら、会社に席がなかったというようなことがないことを祈るだけである。
みなさんお疲れ様でした。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/12/6
やっぱり不思議なハワイの気候

先週ハワイに、戻った。
今回は色々やることがあり、日本滞在は久々の50日であった。
この長い滞在の中、見聞が広がったのは云うまでもない。
いくつか上げてみたい。
報道ステーションに感化され、京都まで紅葉を見に行ってしまった。
行ってしまってから、テレ朝は京都観光の回し者かと思ったが、そんなはずもない。
まあ踊らされ、浮かれさせられ、鼻歌なんぞ奏でながら見物してきた。
晩秋の京都は、まぁ見事な紅葉であった。
東京生まれ東京育ちの僕は、不幸にも日本の良いところも見ずに、アメリカに渡り19年。
こんな素晴らしい文化を知らずに、海外に出たことは今更ながらにはずかしい。
それくらい、心にぐぐっときた。
あとは渋谷に行き、スクランブル交差点や、日比谷公園の銀杏なども撮影した。
これが不思議なもので、自分が写真を撮った翌日には、必ずテレビの映像になって出てくる。
渋谷、日比谷、京都南禅寺、乳頭温泉。
後ろを振り返り、誰かつけてきているんじゃないかと、疑いたくなるような映像であった。
いやー今まで勘は良かったが、ここまで追いかけてくるという経験はない。
不思議という他ない。
あ、宝くじ買うの忘れた。
紅葉は報道ステーションにつられ行ったが、
帰ってきて東京都下の多摩湖をジョギングしていると、
京都に一歩も引けを取らない紅葉があった。
灯台下暗し以外の、何ものでもない。
浮かれていた自分に、少し反省の一撃をいれた。
さて以前書いたかもしれないが、JR新幹線でイケメン車掌がいた。
ジャーニーズ系である。
なかなか凛々しい感じを受けたが、今回また同じ車掌を発見。
歳はまだ若いはずであるが、彼の薬指には結婚指輪が。
流石にいい男というのと新幹線乗務が幸いしてか、結婚もスピードであったらしい。
写真撮らせてもらおうかと思ったが、あわてて止めた。

今回も色々な方に、ご馳走になった。
あるご夫妻と、中目黒のジンギスカンに行った。
僕はラムが苦手で、「ジンギスカンの旨い店があるんだよ」と云われ、
喉まで「ラム苦手です」と出かかったが止めた。
当日行ってみると、これが旨いのなんの。
全く臭いはせず、牛を食べているのと何ら変わりない。
時折牛より旨いぞと感じたこともあった。
これぞ正に、食わず嫌い。
いかんいかんと、深く反省した夜であった。

それで調子こえて、羽田に行った次第だが前回書いた。

さて戻ってくれば、また鼻歌で
「帰ってきたぞー、帰ってきたぞ○○トラマンー」とまた浮かれ出した。
羽田の気温7度から28度のホノルル。
これで、浮かれないはずがない。
ほんと不思議である。
南半球に来たならまだしも、太平洋上で何故ハワイだけ365日暖かく湿度が低いのか。
神の島と、片付ける以外にはなさそうである。
また当分こちらで、アロハな日々をおくる。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/12/1
羽田………

どうよ、羽田と云うことで、ちょいとリポートしたいと思う。
兎に角、就航の頃は、連日このニュースで持ち切りであった。
では実際自分の目で確かめたいと、帰りの便がちょうど取れたので見てきた。
イメージは人がわんさかおり、アミューズメントパークに近いかと思っていた。
行ってみると閑散としており、小江戸風の店も心なしか寂しそうであった。
これが4階かな?
チェックインカウンターが3階でその上。
鳥居風?神社風?のものがあった。
その更に上は、展望デッキとショップがちらほら。遠目に東京タワーが見えた。
思っていた規模よりはるかに小さく、やはりテレビの影響は凄いと思った。
ターミナルの大きさは、成田の方が大きく感じるし、店もばか騒ぎする程のものでもなかった。
JALが1月危ないということで、チケットを抑えた。
マイルも消滅するかもしれんということで、ビジネスクラス65000マイルつぎ込んだ。
10月だったので、行きはホノルルー成田。
帰りは羽田―ホノルル。
来る時の飛行機はシェルフラットシートと、比較的新しい機材だった。
抜群に快適であった。
11月30日の羽田は就航したばかりだから、同じ機材と期待した。
それが酷いロートルの機材で、今時地方空港にも飛ばさないような機体であった。
あれで正規料金30−40万は、絶対に乗りたくないと思う。
奇しくも再建案が可決されたが、やはり削るところを間違っていると僕は思う。
狭い機体の上、ビジネスクラスは20席くらいしかないのにアテンダントが5人もいる。
人数が多いので、歩くのも右往左往の有様。
やはりもうちょっと、改善が必要と考える。
ただ自分を担当してくれたアテンダントは、髪を振り乱して頑張っていた。
常に末端で働くものは美しい。
ホノルルやリゾートへはJALウェイズが運行していたが、
11月1日からホノルル線もJALになる。
長年JALウエィズに乗ったが、最後の日に乗るとは思わなかった。
11月30日ホノルルに着く便と、
11月30日ホノルルを出る便ではユニフォームが違うとのこと。

ハワイアンとANAも就航した。
さてこちらはどうであろうか?
ホノルルマラソンも近いので、ほぼ満席になっていくのであろう。

話題を変えて、今回テレビで見た日本のトップと云われる人に、
残念ながら美しい人は、おらなんだ。
疲弊している社会で、志の高い人がもっとテレビに出ても良さそうなものに……
ということで、日本に行ってみるテレビは「情熱大陸」と「プロフェッショナル」くらいか。
とほほほ


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While My Guitar Gently Weeps
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2010/11/29
日本シリーズが終わり、今年の野球シーズンも終わった。

私が縁あって生活している土地の関係上応援しているドラゴンズは
ご存知のような結果に終わった。

私は今年もレギュラーシーズンのゲームを四試合ほど観戦したが、全勝だった。
何しろ、ホームゲームでの勝率が7割5分だったので、
負け試合に当たるほうが難しかったのだ。
今年のドラゴンズは点は取れない。
しかし救援投手陣がしっかりしていたので、
後攻めの有利さを生かして僅差で逃げ切るパターンが多かった。
私が観戦した試合も全てそのパターンだった。

落合博満監督いわく「点を取るほうを攻撃って言うけれどそれは間違い。
だってバッターはピッチャーの投げてきた球に対処するだけだし、
野手もそのバッターが打った球を処理するだけ。
野球で本当の意味で攻撃ができるのはピッチャーだけなんだよ」

そのパターンでクライマックスシリーズ(以下CS)でジャイアンツを下した。

このやり方には賛否両論あり、
特に球界重鎮の野村克也氏が反対していることはよく知られている。
レギュラーシーズン140試合の意味は何なのだ、と。
実際、ドラゴンズの相手はパリーグのシーズン3位のマリーンズであり、
そのマリーンズが日本一になったのだ。
しかし対するドラゴンズも2007年に日本一になったときのシーズン成績も2位だった。

これに関しても落合監督の発言がいろいろある。

「本当の意味での日本シリーズは2006年で終わっている」

これは選手時代の発言だが
「俺のいたロッテオリオンズってのは万年下位のチームだけど、
もし日本シリーズに出したらそれなりのいいゲームをすると思います。
長いシーズンと短期決戦とは別物なんです」

これは今年の日本シリーズ終了後の発言。
「最近の選手たちはCSに勝ち上がればいいと考えがちです。
今年はそんな選手たちの尻を叩き、
シーズンに優勝することこそ意味があるんだと意識改革をしました」

その点で言えば、落合監督の目的は達成されたのではないか。

CSや日本シリーズは逆らいがたい時の勢いに
結果が左右されるものだとわかりきっている。

それにしても、日本シリーズは面白かった。

あの延長15回の引き分けも含めて、
シリーズ史上の長時間記録の上位7位のうちの3つが
今年の7試合の中にあったのだ。
それもだらだらした試合ではない。
みんな緊張した中で長かったから面白かった。

それでも、最初の数試合は全国中継されなかったという。

名古屋と千葉のチームの対戦では数字が取れない。

しかし、名古屋では全試合中継され、すべて30%前後であったという。
千葉でも初めて地方UHF局が中継したそうだが、
同じような数字だったのではないか。

それでいいのではないか。

野球人気が下がったと言われるけれど、結局は巨人が数字を取れなくなったのだ。
かつての巨人はテレビによく映されたから
野球そのものを好きでなくてもタレントを好きになるノリでファンになれた。

そういう人たちが少なくなっただけだ。
本当に野球が好きな人だけのプロ野球になればいい。

見方はいろいろあっていいし、文化もそれぞれだと思う。

それでも、アメリカでメジャーリーグの球場に行ったときは、
知ってはいたが、実体験は衝撃的だった。

観客全員がゲームに集中している感じ。
ファウルボールを遮るネットがない。
ボールが飛んで来たら逃げるどころかグラブ持参でキャッチしに行く。

かつてベースボールには、プレイヤーと観客の区別がなかった。 
見る側とプレーする側がどんどん交代していたのだ。その伝統だろう。

その点、日本はゲームそっちのけで弁当を食べながらお隣とお喋りしている。
危ない危ない、やっぱりネットは必要なのだ。

さて、シーズン中のドラゴンズの点の取れなさは、
井端選手の長期欠場がひとつの原因だった。
ここ数年のドラゴンズは、荒木選手と井端選手の二遊間コンビが
打順一二番で塁に出てかき回すのがパターンだった。
これが今シーズンはできなかった。

この井端選手、日本シリーズには怪我から回復して戻ってきた。

名古屋で行われた第6,7戦はさすがに全国中継されたから
ご存知の方も多いと思うが、
この井端選手が打席に入るときのテーマがビートルズの
「ギターは泣いているWhile My Guitar Gently Weeps」なのだ。
ジョージが作って歌って、盟友クラプトンの泣きのギターが入っているやつ。
これが久々に大音量で聞くことができた。

それぞれの選手が好きな曲、
自分が打席に入るのに気分を盛り上げる曲を選んでいるのだろう。

でも私はどうもこの選曲に違和感がある。

ドラゴンズの選手の中で洋楽を選曲しているのは井端選手だけだ。
それはいいのだが。

あんな短調の悲しげな曲でいいのだろうか。
私は歌詞を知っているから尚更そう思ってしまうだけなのだろうか。

否、あの曲は短調だからこそ、
演歌みたいに聞こえて日本人好みでちょうどいいのだろうか。

大きなお世話でしょうね。

なぜ井端選手がその曲がすきなのか理由がわからないかと思って
検索にかけてみたがだめだった。

ほかのチームではどうだろう。

80%以上の選手がJ−popを選曲しているが。
例えば私が元(?)ファンだった日本ハムファイターズでは、
稲葉選手がクィーン(フレディ・マーキュリー)の
“I Was Born To Love You”を使っているし、
他にJay−ZとかNe−Yoとかリアンナなんかを使っている選手がいる。
おお、やるじゃん!

選手が気持ちを高揚させるためだし、
スポーツは音楽をバックにやった方が色々な意味で効果があるし
結果も違ってくるとのスポーツ医学での研究結果もあるそうだ。

しかし、ジャイアンツ前監督の堀内恒夫氏は、
歌謡ショーじゃねえんだ、気が散るだけだ、という考え方で、
彼が監督だった2年間は東京ドームでの選手登場曲はなかったという。

これも一つの立場だ。
V9を知る最後の一人、投手分業制が定着する以前の時代、
今のプロ野球とは違った野球を知っている堀内氏としては,頷ける考え方だ。
その堀内氏と考え方も似ていて仲もよかった落合監督は、
選手たちが騒がしい音楽に乗って登場してくる演出、本当はどう思っているのだろう。

何年か前もこの台詞、書いた記憶がありますけれど、
広島は来年がありますよ、克也さん。

そういえば、今年もジョージとジョンの命日が近づいてきた。




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小林時々日記
 Update 2010/11/12
先週は野球にやられました。
全く興味のなかったロッテ、中日戦、
第2試合をラジオでちょっと聴いたばっかりに…
ずるずる引き込まれちゃって、とうとう最後まで。

中日のことは我が広島の「敵」としてよ〜く知ってたけど、
詳しくなかったロッテの選手とおなじみになってしまいました。

小学校で2年弱、野球のマネゴトをやっただけなのに、
「野球」はDNAに刷り込まれるのかね。

私の頭の中には、こんな同じ絵が最終試合まで浮かび続けました。

今江「声出して行こうやー!」
西岡「中日は強いぞー!」
今江「そや、セの優勝チームや!」

何故か関西弁です。

西岡「ロッテはパの3位やー!」
今江「そや3位やー!」
西岡「ここまでよー来たなあ!」
今江「ホンマよー来た、来た!」
西岡「儲けもんやー!」
今江「そや、儲けもんやー!」
西岡「今日はどうなるんやー?」
今江「そんなの、やって見んとわからんがなあ!」
西岡「そやなあ」
今江「ほんまや」
西岡「でも勝ったら儲けもんやー!」
今江「ほんまに儲けもんやー!」
そしてこの二人のやりとりを西村監督がニヤニヤ笑って見てるワケです。

この会話はもちろんラジオやTVでは流れませんでした。
でも二人は他の選手にきこえるように、ニコニコ笑いながら言い合ったはずです。
絶対間違いないと思います。

だから奴らは勝てたんです。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/11/16
意外にあるへんなこと3

今日は日本での、へんなこといいことを書いてみたい。
最近自分はどんどん「永井荷風」のような生活になっていると気づく。
もちろん荷風のように、才能がある訳でも学がある訳でもない。
日々散歩をしての部分だけが、似ているだけである。
ちなみに明治生まれの作家で、1903年から1907年までの間
アメリカに暮らしている。
この部分は似ているようだ。
しかしこの時代に、アメリカ生活をした人物は稀である。
貴重な体験をされたであろうことは、云うまでもない。
浅草ロック座などに出入りを重ね、洒脱なところが多々あった。
いわえるストリップである。
あとは散歩の達人。

さて今日は、奇妙な体験をした。
西武遊園地の辺りを、散歩ならぬジョギングをしていた。
まず一つめの体験が、多摩湖畔で尺八のような笛の音色が聞こえてきた。
和風の音なのに、何故かメロディはゴッブレスアメリカ。
あのメジャーリーグベースボールの、7回にスタジアム全員が歌うあれである。
それが実によろしく聞こえてきた。
それから5分後、堤防途中で古く大きなじゃばら式のカメラを、
おじいさんが三脚を立て必死に絞りを決めていた。
大昔の、写真館で撮るようなカメラ。
最後は明る過ぎるのか、自分のパーカーをファインダーに乗せ覗いていた。
あまりに渋過ぎる。

それから10分後、歳の頃は60過ぎ。
これまた渋いおやじが、ハーモニカを吹いていた。
その楽曲が「銀座の恋の物語」。
紅葉が始まろうとしている木漏れ日溢れる昼下がり、
「東京でひとつ、銀座でひとつー」とまるでプロのように吹いていた。
思わず歌いたくなるような雰囲気であった。
もしかしたら、プロかも知れぬ。
こんなぶらぶらをしていると、まるで世捨て人である。
でもこんな不思議な体験も、家でうだうだしていたら、巡り逢えないことだろう。

今日はへんなことというより、良いことであった。
ちなみに最近のハワイは、あまり天気がよろしくないと友人から情報を得た。
羽田−ホノルルが就航したようだが、こちらは好調みたいだ。
ただ15年以上続いた、成田―コナ線が廃線になったのは、寂しいという他はない。


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小林時々日記
 Update 2010/10/28
報告します、
三日間入院しておりました。
ちょっとした検査と、数年間?共存していたポリープを取るため。
ここ5年友達づきあいさせてもらってるドクター・二村さんのいる、
なんといわき市の病院です。

久しぶりの入院ということで、色々感じた事が約50くらいあったでしょうか。
その一つを紹介します。
ちょっとイントロが長いです。

自分は子供の頃言葉に敏感でした。
というか人の話し方や声のトーンに興味がありました。
4、5才の時、生声で「いらっしゃいませ!」を初めてきいた時ビックリしました。
東京弁で、都会の響き。
ずい分ウソっぽいな、と思ったものです。
商店街に行く度によく耳にするようになりました。
子供心にあの言葉はホントは「買ってください」って云ってるんだと感じていました。
高校の時、親の店の手伝いをする級友が「いらっしゃいませ」を使うのをきいて、
オマエもそっちの人間になったな、とちょっと淋しかったのを覚えています。

上京してよく食堂に入るようになり、特に自分と同じくらいの年の店員が
「いらっしゃいませ」というのが気になってしょうがなかった頃があります。
あ、こいつ慣れてないな、とか、心がこもってないなとか、
まだ恥ずかしがってるとかの様子を伺ったもんです。
同時に馴れ馴れしい「らっしゃいませー」も嫌いでしたねえ、何故なんでしょう?
単なる田舎者の耳だったのかな。

自分にとって、そんな言葉の一つに
「ごくろうさん!」というのがあります。
今まで「ごくろうさん」とちゃんと云えた事がありません。
心の中で「ごくろうさん」と云おうとするんですが、
その時相手よりエラクなってる自分がいて、じゃまするんです。
だからといって「ごくろうさま」はちょっとへり下ってるし。

さ、本題です。
点滴慣れしてる自分は、ちょっと軽はずみだったようで、
気にしないで部屋の中で動き過ぎたんでしょう。
夜10時頃、看護婦さんが枕元で何かやっています。
気付いて半分目を開けると、「点滴が逆流してる」との事。
よ〜く見るとチューブが赤色になってる。
これはヤバいのか?
「もう一回やり直します、ちょっと痛いですよ。」
半分眠っているので全然痛くない。
「逆流しないようになるべく左手を伸ばして寝て下さい。」
という言葉を残して彼女は部屋を出て行きました。

朝、起こされるまで眠り続けましたが、
2、3回看護婦さんが点滴をチェックしたようです。
午前3時過ぎ、物音で目を開けると別の看護婦さんが懐中電灯?の明りで
ちゃんと逆流してないか調べてる様子。
その後、そっと出て行く看護婦さん。

その時です、彼女の背中に向って、うす目を開けたボクの心の中から、
今まで苦手だった言葉が湧き出たのです。
ごくろうさん。
でも、この言葉は声にはなりませんでした。
ちょっと、キュンと感じただけです。

朝、目が完全に醒めて、その時のイイ気分がはっきり戻ってきました。
オレ、ヨワイ69でようやく一人前になった気がしました。


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小林時々日記
 Update 2010/10/7
業界で一番有名なプロデューサー、ディヴィッド・フォースターに会った。
明るく、エネルギーに溢れてて、声もデカイ。
アーチストというより「現場の監督」っぽい雰囲気。
オレと仕事するんなら、ノロノロ、チンタラは絶対許さないぞオーラが漂ってる。
会社でいうと「営業部長」みたいな感じ。

いきなり紙きれを出した。
朝のTVに出たばっかりだけど、前もってもらってた質問表を見せてくれた。
「日本の若いプロデューサーにアドヴァイスを!」
こんな質問困るんだよ。
自分は一体何をすれば良いか、解ってない人間には何をアドヴァイスしてもムダだから!
オレ、何も云いたくない。

「落ち目で最悪だったシカゴには具体的には何をした?」
シカゴのデビューから全部聴き直した。
その時、シカゴはやっちゃいけない事ばかりやってた。
自分はやるべき事をやるようにすすめただけ。

「ホイットニーのI will always love youは?」
ドリー・パートンの原曲を知らなかった。
原曲を聴いたら答えが出た。
タメの効いた、ちょっと大げさな自分のピアノで彼女が歌ったら、一発でキマった。

とにかく記憶力が凄い。
来年の予定までよどみなくスラスラ云える。
60を過ぎても、人の名前が「エー」「アー」なしで出てくる。
あと、まるで子供みたいに好奇心のかたまり。
スタジオに自分の知らないCDがあることが許せないらしい。
若いモンは誰も知らない一発屋
Johnny Hates JazzのCDが気になって色々きいてきた。
人によってはウザイ人だと思うかも知れない。



大橋純子が歌ってる。
新曲はオーケストラと一発録りらしい。
まろやかでホンワカの味が成功してる。
でもD・Fosterからエネルギーをもらった帰り道。
やっぱ大橋さん、年は取ってもまるくなっちゃいかん。
つっぱって昔みたいに肩で風を切ってよという自分がいる。



今月の月・火はニッポン放送に夜のスケジュールを預けていた。
野球の試合がなくなると2時間の生放送をする予定、
結果、セは阪神、パはソフトバンクが敗け、2日とも自分にとっては休みとなった。

だから前の日の試合はラジオとTVで実況をチェック。
結果によっては翌日仕事だ。
久しぶりにひいきじゃない2チームの試合を冷ややかにながめた。
無責任だとゲームの流れがよーくわかる。
阪神もソフトバンクも浮き足立ってた。
あ、これ、誰が見ても感じたかな。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/10/26
意外にあるへんなこと2

僕は1999年ハワイに越してきてから急激に変わったことは、
土地やコンドの値段が跳ね上がったことだ。
当初ハワイ島に住んだと、何度も書いた。
1999年当時2000万円程度だったコンドミニアムが、
2002年には7000万円になった。
これで嫌気がさしホノルルにきた。
これはへん。

今住宅金利が、過去最低になっている。
ちょうど3年前に、30年ローンを調べていた。
約500万の頭金を入れ、その当時は金利が6%だったので、
30年ローンにすると2500万円の物件が、
生涯で8000万円くらい払う計算となった。
この時はへんで、今は少し正常。

この前ウエディング関係の人に、話を聞く機会があった。
ハワイは円高を背景に、今ホノルルはかなり盛り上がっている。
しかしマウイやハワイ島など、全然観光客が伸びないそうである。
これはホノルルから離島を結んでいた、アロハエアーラインが倒産したのが大きい。
シャトル便で、1時間に2便もホノルルーコナを飛んでいる時期があった。
その会社がなくなったので、離島のアクセスがかなり悪くなった。
GOという格安航空会社が参入した結果の倒産であったが、
離島の観光産業は厳しそうである。
人気であったJALの、成田―コナ線も10月で廃便となった。
魅力的な離島に、アクセスが不便なのはへんである。

さて日本に目を向ければ、先日満員電車に乗った。
そこで隣の車両まで聞こえるくらいの大声で、
携帯を使い出した推定60代の男がいた。
それが長々と続いたので、僕は頭にきて、
かなり距離はあったが歩いて近づきかなり間をためて云った。
「じじいー うるせい!」
車内は凍りつき、同じ椅子にまた戻った。
おやじの云った言葉は「すすすいません」
謝るならやるな。
へんなことですな。

昨日、電車に乗った。
目の前にすっぴんではあるが、綺麗な女が座っていた。
推定年齢30。
見るとおでこにカーラーが巻いてあった。
いやな予感がした。
ちょうど、18時半というのも気になった。
案の定マスカラ、ファンデーション、口紅と代わる代わる変幻自在に取り出し、
夜の蝶に変身していったのはいうまでもない。
それにしても最初から13分の間に化ける、あの姿には驚く他はあるまい。
ビフォーアフターの縮小版であった。
やはりへんなことであろう。

と、今は東京都内で、用を足している今日この頃である。

「アロハシャツをインナーに着込み、うろうろしているお前の方がへんだ」
と云われれば、返すことができない現状である。
そうずばっと指摘されれば、「すすすすいません」というやもしれぬ。


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小林時々日記
 Update 2010/10/7
AFNの午後を担当する女性が、いつもROCK系をかけるので白人だと思ってた。
あんまりピンとこないんで、いつも10分位聴いてすぐ他局をチェック。
昨日は一時間以上聴いててふと気が付いた。
ひょっとしてこの人は黒人女性!

そうなるとラジオって面白い。
本気で聴き始めた。
すると色々気になる。何このしゃべり方。
何かお知らせも事務的だな。
紹介する曲をほんとは好きじゃないんだな。とか

何だか一時間半ほど損した気分になって車を降りました。
これも一つのラジオの聴き方です。





担当番組にブームが新曲のプロモのため出た。
18年ぶり。
あの頃はメンバーがなんだか怒った顔をしてた。
パンクだったのかなあ、つっぱってた。
そんな事もあったので彼等のニコニコ顔を見て、
ああ、年月が経ったんだなという想い。
でも「魂探し」(ソウル・サーチング)が続いてるのか
彼等の「気」は変わっていない。

新曲もボクの採点では10点!

小林が気にするのは2つしかない。
1つは「自分らしさが出てるか?」
もう1つは「かっこいいか?」

作品に「自分らしさを探した形跡があるかどうか」は一大関心事だ。
所詮パクったって、マネたって最後は自分の顔になってるかどうかだもんね。

あとは、カッコ良さ。
颯爽としてるか、肩で風切ってるか、
街のみんなが振り返るか、セクシーか、
マネしたくなるほどか。

こういうのあくまで自分の基準だから。
若いモンはどうなんだろ?

宮沢くんの声を聴くとちょっと前の自分のヒーローを想い出す。


あがた森魚!
南佳孝!
がんばってますかあ。


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小林時々日記
 Update 2010/10/14
全米シングルTOP20。
アメリカの小学生の高学年から20代までの男女が動かしている。
最近の傾向。
男性アーチストが圧倒してる。
レディGAGA、リアンナ、ケシャ、ケイティ・ペリーとか
有名な女の子が大活躍だが、それでも男優位が続いてる。
例えば今週は20曲のうち16曲は男の歌。
そのうち10曲はわかりやすい恋の歌。
男が徹底的に女を褒め上げる、下心の歌だ。
ブルーノ・マーズもアッシャーもクリス・ブラウンも、
エンリケ・イグレシアスに到っては、父フリオの代から、女たらしの歌を続けている。

こんなわかりやすいヒット・チャートはないよ。
つまりアメリカの音楽文化の下では、10代からスケベになる訓練が始まる。

何でいきなりこんな事言い出す?

それは日本のオリコン・チャートとまるで違うから。
これって文化、習慣の差? 道徳?

日本のTOP20にはスケベな曲は皆無だ。
それに、男一人で勝負してない。
エグザイルとか嵐とか、みんな団体だ。
そう女もほとんど団体だ。

日本は団体恋愛の国なのか?

爺は思うのだが、これぞ、日本少子化の原因ではないのか?
爺の頃はニッポンはもっとスケベだったぞ。
一つ年上のジョンも云っておった。
make Love, not War!



FOXTVでやってる「アメリカン・アイドル」
参加者の歌唱力の高さは認めるが、化けの皮をはがせば、
あれはカラオケ・コンテストだ。
高級なモノマネ・コンテストだ。
爺は大っ嫌いじゃ!

アメリカ人の半分は熱くなってるかも知れないが、
後の半分は軽蔑している。
それがアメリカの偉さじゃ。
もし、そうでなかったら日本は戦争に勝ったはずじゃ。

先日、日本のFOXでアメリカン・アイドルの告知CMが流れていた。
爺がオヤッ?と思ったのは、そのCMにMR・チルドレンの音楽を使っていた事。

これって反則だろう?
ミス・チルの価値観は「カラオケ否定」
何故アメリカン・アイドルというカラオケショーにミス・チルを使う?
やっぱりCMの制作者はアメリカン・アイドルの本性が良く分かっていて、
アメリカン・アイドル発のやわなヒット曲を使いたくなかった?
だから自己主張の強いミスチルを使った?

爺の読み。
あのCMはミス・チルに曲の使用料を払ってないのじゃないかな?

覚えていれば、次回は昔々カラオケ・バーを壊した話をしよう。


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小林時々日記
 Update 2010/10/7
AFNの午後を担当する女性が、いつもROCK系をかけるので白人だと思ってた。
あんまりピンとこないんで、いつも10分位聴いてすぐ他局をチェック。
昨日は一時間以上聴いててふと気が付いた。
ひょっとしてこの人は黒人女性!

そうなるとラジオって面白い。
本気で聴き始めた。
すると色々気になる。何このしゃべり方。
何かお知らせも事務的だな。
紹介する曲をほんとは好きじゃないんだな。とか

何だか一時間半ほど損した気分になって車を降りました。
これも一つのラジオの聴き方です。





担当番組にブームが新曲のプロモのため出た。
18年ぶり。
あの頃はメンバーがなんだか怒った顔をしてた。
パンクだったのかなあ、つっぱってた。
そんな事もあったので彼等のニコニコ顔を見て、
ああ、年月が経ったんだなという想い。
でも「魂探し」(ソウル・サーチング)が続いてるのか
彼等の「気」は変わっていない。

新曲もボクの採点では10点!

小林が気にするのは2つしかない。
1つは「自分らしさが出てるか?」
もう1つは「かっこいいか?」

作品に「自分らしさを探した形跡があるかどうか」は一大関心事だ。
所詮パクったって、マネたって最後は自分の顔になってるかどうかだもんね。

あとは、カッコ良さ。
颯爽としてるか、肩で風切ってるか、
街のみんなが振り返るか、セクシーか、
マネしたくなるほどか。

こういうのあくまで自分の基準だから。
若いモンはどうなんだろ?

宮沢くんの声を聴くとちょっと前の自分のヒーローを想い出す。


あがた森魚!
南佳孝!
がんばってますかあ。


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小林時々日記
 Update 2010/9/30
今日は12時過ぎて家を出たのが敗因だった。
4号線が動かない。
でも今日は気分がポジティヴで車内でケータイいっぱい使ったし
ラジオもいっぱい聴けて結果的には得をした気持になった。

インターFMで大ブルース大会。
しゃべりがなくて曲がどんどんかかる。
BBキングやバディ・ガイやベッツィ・スミスやプレスリーまでも。
今のFMって、こういう時間帯がない。
音楽は体で感じなきゃ。
DJがイギリスの公務員風の真面目なおじさんなのがとても良い。

インターは数字が一番下みたいだけど、
時間帯によっては音楽でその気にさせてくれる。
時々「ナンバー・ワン・ミュージック・ステーション」って云ってるけど
そういう意気込みなんだよね。


事実上ナンバー・ワンのJ−WAVEは完璧な選曲だけど、
どうも音楽を「頭」で聴いてしまう。
ちょっと教養的になってしまう。
特にロックはゲスでなくっちゃ。
でも夕方になるとピストンが出てきて、そんなの全部引っくり返してしまう。
この絶妙なバランスでJ−WAVEは成り立っていますね。

今日ちょっと嬉しかったのはTVのCNNのCMのボリュームが
下がってるのを発見した事。
FOXとかAXNとかも最近よく見るようになったけど、
あのCMのボリュームが公害となってる。

あれって今良くなった方なのかな。
だいたいダイエットや化粧関係の、強引なドロ臭い通販CMが多いけど、
ボリュームがでかいと、何か土足で踏み込まれた感じ。

「困ってる世界の子供を助けよう」という
良心的なユニセフCMまでも押し売りになっちゃう。


わかったよ、CNNは「外人」が多く見てるってことかな?
ありゃ外人達がCMの音がでかいとクレーム入れたんだな。
日本人だとだいたいガマンしちゃうもんな。

するってえと、まだFOXやAXNは日本人客が圧倒的に多いってことなんですね。


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FM(Part 2)
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2010/10/13
6月の寄稿からの抜粋。
全国で初めて、コミュニティFMを除いて、放送局が経営破綻から閉局、
放送免許返上に追い込まれてしまったのである。。。
愛知国際放送、通称Radio‐i(レディオ・アイ)。
今年9月末で放送を終了すると発表した。。。
この件に関して「何か」が起こればまたここで取り上げるだろうし、
起こらなくても、おそらく最期を看取る(聴き取る)ことになるだろう。
そのときまで、クリス、佐野さんをはじめ、この局の行く末を見守っていきたい。。。

結局、何も起こらなかった。
Radio−iは9月末日をもって閉局してしまった。

正確に言うと、やはり何かを起こそうとする努力はあったのだが、
風車に立ち向かうドン・キホーテの如く、問題が大きすぎたのだろう。
克也さんの畏友、クリス・グレンのブログ発言から再び。

廃局は、すでに決定事項。
この状態から、このラジオ局を残せる可能性は0に近い…
ということは僕にもわかっていたけれど、それでも動かないではいられませんでした。
このラジオ局を終らせないためにできること。
もちろん僕一人ではできません。
いろいろな方に協力やアドバイスをしていただきながら
調べて、考えて、アイディアをねって、それを持って、いろいろな方に お会いして…。
なんとか形にしたいと思いました。

・法律のこと
・免許のこと
・経営のこと
・お金のこと

壁が、たくさんありました。
想いだけでは、クリアーできないことがたくさんありました。
逆に僕のことを本気で考えてくれるからこそ、
心配して「経営には手を出さない方がイイ」「ラジオというビジネスは厳しいよ」と
アドバイスをしてくださった方々もいました。
そして、リスナーさんからはツイッター、ブログ、メールなどを通して、
たくさんのメッセージをいただきました。

リスナーのみんなの熱い想いが伝わってきたし、
この3ヶ月間、いろいろなことがあって、何度もくじけそうになったけど、
この声が僕の支えでした。
クリス・グレンのどーも!どーも!どーも!9月18日


彼はできるだけのことをやって、刀折れ矢尽きたのだ(日本史好きの彼の好きな表現)。
察するに、出資を申し出てくれていた人、会社もないことはなかったのだろう。

数年前のプロ野球のことを思い出した。
近鉄バファローズの合併劇からプロ野球全体の改革に至った事件。

私は、堀江貴文という人物、これによって世間に知られるようになった以前から
胡散臭い奴と思い好きではなかった。
ライブドアというエンジン、すぐ如何わしいサイトに繋がっていたし、
インターネット企業といいながら畑違い業種を次々と買収して大きくなっていた。
こいつは裏で何かやっているなと思っていたら案の定だった。

しかし私がホリエモンを評価している唯一の点は、
この時に近鉄球団買収に手を上げたことだ。
それがなかったら、ソフトバンクも楽天も球団経営に参戦することはなく、
ナベツネの思惑通り、プロ野球チームの数は大幅に削減され
巨人を中心とした1リーグ体制ができてしまっていた可能性が十分あったのだ。

しかし近鉄球団は他業種からの買収を頑なに拒み、
オリックス球団との合併のみを決定事項として拘って推し進めた。
これはなぜか。

その事件のすぐ後、今度は新人獲得のための裏金問題が明るみに出てきた。
このときに飛び交った憶測とは、異業種の手に渡って不明瞭決算が明るみになるより、
同業種の合併という形で互いの傷を隠しあった、というものである。
そんなことも傍目から勘繰ってみたくなる。

しかし、考えすぎであろう。
要は、存続するには累積赤字があまりにも大きすぎたのだ。
最後の日の9月30日の新聞、その最後の番組表と同じ見開きに、
名古屋出身の小説家、清水義範氏による興味深いコラムが載っていた。
それによると、名古屋中興の祖、
尾張藩主徳川宗春は名古屋のヒーローではなく反面教師であるというのだ。

紀州出身の八代将軍吉宗(女じゃありませんよ!絶対に!笑)の
質素倹約、緊縮財政に反旗を翻して贅沢を奨励し放漫財政を採り、
単なる地方城下町だった名古屋が
最終的に三大都市といわれるまでの成長の基礎を作ったとされる宗春だが、
吉宗との確執の結果引退蟄居謹慎を言い渡される。

そして尾張藩はその後、宗春が謀反人であるという十字架を
ずっと背負っていかなければならなかった。
彼の直系が藩主になることは避けられた。
藩主レベルを葬る際には剣を棺の中に入れる慣わしがあったが、
彼の場合は木刀で済まされた。
死後でも彼には武器を持たせてはならない、と配慮されたのである。
尾張はそれだけ幕府への恭順を示さなければならなかったのである。

そして彼の放漫財政は結局、巨大な財政赤字を生むことになった。
名古屋の商売の堅実さが名物となったのはそれ以来だという。
なるほど、危ない経営には手を出さないわけだ。

徳川宗春とホリエモン、どこかしら、どころか相当、似てる。

話は逸れたが、とにかく、日本初の放送局閉局阻止への努力は残念ながら失敗し、
予定された最後の日、9月30日を迎えることになってしまった。
最後の一時間、現役のDJたち、かつて番組を担当していたDJたちが大集合した。

10年と半年前、このFM局はアンディというDJによる、
David Lee Roth “Just Like Paradise”から始まった。

克也さんがZIP−FMを
Lenny Kravitz “Are You Gonna Go My Way”から
始めたように、この局の開始もしっかり記憶しておこうと思った。

そのアンディも帰ってきて、”Just Like Paradise”をかけた。
私はその始めと終りの瞬間を経験することになった。他に何人いただろうか。

最後はスタジオにいるDJ全員による曲紹介で
ABBA ”Thank You for the Music”.

そしてDJ全員、裏方、関係者全員の紹介があり、
「これにて放送を終了いたします。長らくのご声援、ありがとうございました」の
アナウンスメントの後、10月1日午前0時、全ての放送は終り、
その数分後、砂塵の音に変り、サインオフ状態になった。

翌日の新聞からは、何事も無かったかのごとく、
このRadio−iは番組欄から消えていた。

実はこの裏で、阪神タイガースが負けて
中日ドラゴンズにマジックナンバー1が点灯していた。
そしてその翌日の1日、タイガースは連敗し
ドラゴンズの四年ぶりのリーグ優勝が決まった。
その話題に完全に浚われてしまった。

しかもその話題も、私の勝手な感覚かもしれないが、
いまひとつ盛り上がりに欠けている。
以前の優勝と違い、クライマックスシリーズという余計なおまけがついており、
まだ本決まりではないというのもあるかもしれない。
しかしそれ以上に、今年のドラゴンズの試合運びは点が取れず
苛々消化不良の勝ち方が多く、すっきりしないというのが本音であると思っている。

そんな中で、一部の人たちに熱烈に愛されたラジオ局が、日本で初めて消滅した。
ほろ苦さを誘ってやまない。
それでも、その一部の人たちの中には、
この地に画期的なラジオ局があったことが、記憶として残っていくのである。

まだ、この件に関して、マスコミ全体のことを含めていいたいことはあるのだが、
今回はラジオ同様、余韻を残して終わりたい。また稿を改めて。

(沖縄のタグチ(平瀬)マミさん、これを読んでいてくれてありがとう。
そちらでもがんばってくださいね。またメールしますね)




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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/9/20
意外にあるへんなこと

最近へんだなと思うことを日米、ハワイ編で考えてみた。

まずはアメリカの飛行機。
昔は飛行機に乗り、旅をするのはアメリカ人にとって、当たり前で普通のことであった。
ところが各航空界社不況に陥り、食事も荷物を預けるのも酷いところは、
事前に席を予約するのにも追加チャージが請求される。
これに対抗して以前書いた優れた功績を持つ、
サウスウエストエアーラインは荷物無料を打ち出している。
立派である。
こんな状況なので車で旅行するファミリーが増加している。
へんである。

さて日本の航空界はというと、格安航空会社のLCCで物議を醸し出している。
僕の予測だが絶対はないが、かなり高い確立で、
全日空やJALが参入した場合失敗するとみている。
サウスウエストなどが、ユナイテッドに挑んだのと大きく違う。
例えば今ANAやJALが羽田―福岡を往復4万で販売していたとしよう。
これを子会社にした飛行機は羽田―福岡を2万にする。
誰がANAやJALを利用するのか?
確実に親会社のANAとJALの客を、取るだけである。
カニバリゼーションに、なるだけである。
国際線にしても同様で、兎に角「安い」を求める消費者に
ANAやJALは何を売りにするのか?
それより何故、国交省がこれだけ新路線など簡単に認可を与えるのか、
それがわからない。へんである。

さてハワイは州知事選が、おこなわれている。
現職の市長だったムーヒー・ハネマンが、任期を残して知事選に立候補した。
立候補じたいへんなことであるが、見事に落選。
ここ数年市の財政も、ホームレス問題も、
何もしなかった市長への風当たりは意外に強く落選により無職となった。
何もしない人間を、知事選で選ばなかったことは、
実にハワイの人は良く観察している。
慧眼に敬意を表さなければならない。

日本も何もやっていない要職にある人物は、どんどん落とすべきである。

明るいニュースは、今月からANA、JAL、ハワイアンの羽田―ホノルル線が就航だ。
動向を、見守りたいと思う。
へんなことはない方がいい。


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小林時々日記
 Update 2010/9/24
自分がやってるBayFMの「ビートルズから始まる」で、
プラスティック・オノ・バンドのカナダでのライヴ
「Don’t Worry Kyoko」が流れ、
改めて、また自分でこのアルバムを聴き直した。

有名な69年のトロントでのライヴだが、
今、自分の中での評価がひっくり返ってしまった。

ジョンのVoで「ブルー・スエード・シューズ」から
「Give Peace a Chance」まで6曲、
その後がヨーコのVoで「Don’t Worry Kyoko」と「JohnJohn」

ヨーコの曲はずい分長い。
ジョンが歌い終えギターを持ってバックに回り、ヨーコが歌い出す。
もともと「ロックンロール・フェス」だったので
カナダの客から凄いブーイングが起こり、
色んな物がヨーコの向って投げられたという。

心配したジョンが客をなだめたそうだが、はっきり云って、
前半のジョンより後半のヨーコの方が時代を先取っている。
ジョンはポップスだがヨーコはアートしている。
それもすれすれのディンジャーゾーンのアートだ。

ごめんなさい、オレは40年も経って彼女のアート根性を見直した。
70年代に入ってジョンは色んな実験的なソロを出し、
その時代には受け入れられなかったけど、
彼の後にはヨーコというアーチストがいたんだね。

自分の持論で推測に過ぎないけど、
「イマジン」の歌い出し、イマジン・ゼアズ・ノー・ヘヴンと歌い始めたのは
ヨーコだと思ってる。
それをジョンが仕上げたとね。
だってあの歌詞のパターンはそれまでのジョンにはなかったんだから。
どう見てもヨーコ節だよ。

だから、実際にヨーコに3年前インタビューした時にきいたんだよね。
「あの歌詞はあなたの歌詞ですよね」って

すると彼女は「イマジンを作った時に私がそこに居ただけです」としか答えなかった。
どうも、それ以上の事は云えないから、
あんた想像しなさいよって云ってるような気がしてならないんだけど。

あとあの歌、曲調はフツーのフォーク・ソングだけど、
歌詞はどうも5・7調に聴こえてしょうがないんですよ。

もう一つ、誰もマネのできない彼女の凄さ。
それは出しゃばって自分の手柄にしない事。
凡人だったら云っちゃうよ。
「あれは私がやったんです、これも私がやったんです」って。
これはなかなかできないことだよ。
ポール達の主張「ビートルズを解散させた女」「でしゃばり女」じゃないもんね、
彼女はどちらかというと、ジョンを立てる「内助の功」型っぽいし。
あーわかんね。



実は今週、もう一人見直した人。
「綾小路翔」
ちょっと、つんく型?
う〜ん、つんくよりもパンク。

わかるかなあ、わかんないだろうなあ


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小林時々日記
 Update 2010/10/16
車に乗ってニッポン放送をつけると、民主党の大会の生中継中、
チェック魔はすぐ他の局をすばやく探る。
他局では音楽や笑いが流れてる。
この重大な時にラジオは注目してないのか?
と一瞬思ったが、そうだよな、まあこの程度の注目度がふさわしいかなとすぐ納得。
結局生中継をやってたのはNHKとニッポン放送だけ。
チェック魔はすぐこの2局の音が違う事に気付く。
うん?
ニッポン放送、NHK、ニッポン放送、NHK…と行ったり来たりで
小沢、菅の2人の声を聞き較べ。
もちろん、内容なんてどうでもいいんだよ。
ハイ落ち気味のチェック魔の耳で解ったのは
NHKの音質の方がコンプレッサーだかイコライザーだか、
いじられ要素が多い事。
ニッポン放送の声は自然に近い気がする。

同じモノが流れてるので、音の差をチェックする絶好のチャンスだったと、
尊敬する映画マニアのWOWOWのプロデューサーに話したら、
思想の宣伝にはTVよりラジオが操作し易いとの事。
TVは絵があるのでバレ易いけど、歴史的にラジオはプロパガンダで大活躍してきた。
ヒットラーのカリスマを演出したのもラジオだったし、
と話が盛り上がりそうになったけど…
何しろ今の日本の政治シーンはスターがいない。
芸能もスポーツも政治もスターがいないと盛り上がらない。
ただし政治の場合「正しい」スターがね。

今回の民主党大会は党が真っ二つに分かれてて結果が大注目だったのに、
ラジオの音で聴く限りホントに地味で盛り上がりに欠けてた。残念だった。
今年国民が一番注目したショーじゃなかったのかな?
笑いや楽しい叫び声や野次も飛ばない。
投票の結果発表のアナウンスが演出とやる気の無さを象徴していた。

「民主党の代表に菅直人さんが決定したことを御報告致します!」

こんな締まらない文法の日本語、初めて聴きました。
そりゃレコード大賞の発表じゃないんだから、
音楽のファンファーレとか要らないよ!
でも客は全員が今か今かと待ってるわけです。
こんな重要な発表にはファンファーレの文法があるんです。
正しくは、
「民主党の代表が只今決定しました。
菅直人さん!」


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小林時々日記
 Update 2010/9/2
夜中12時過ぎ犬の散歩中雨がポツリ。
雨もっと降れもっと降れ、ビッショビッショになりたい、
と思ったけど、5、6分降ってやんでしまった。
こうなると雨は台風頼みと思ってたら、ここの所日本をさけ台風はみんな中国や韓国へ。
日本じゃもう「神風」は吹かなくなった。
だから日本だけ元気がない。

最近民主党はなんかアマチュア政党みたい。
また首相変わるのか。かんべんしてくれ。
民主党がこの一年やってきた事で、自分が一番評価してるのは
千葉女性大臣が死刑部屋等を公開したこと。
千葉さんエライ。
今までの日本は「死刑」に関することはみんな秘密裏に行われた。
みんな何にも知らなかった。
日本国民の過半数は死刑に賛成。
実はこれもあてにならない。
日本のマスコミが死刑賛成派だから。
ちょっと意外だがあの保守の亀井さんは死刑反対論者だ。
理由は警察庁長官時代に知った、冤罪の多さ。
決して人道的理由からではない。
亀井さん流に云えば、警察関係の人間ほど死刑反対の立場をとるべきじゃないのかな。
果たして日本国民は千葉さんの意図通り、死刑の是非をもっと論ずるようになるのか?
ならないだろうな。

死刑部屋で一番気になったのが、「3つのスイッチ」
死刑執行の際、係官3人が一斉にそれぞれのスイッチを押す。
こうすることで誰の一押しが死刑囚を死に至らせたかがわからなくなる。
プレッシャーを和らげる。
阿弥陀クジ方式?
いや、とても日本的だ。
日本の知恵?
小学校の運動会の徒競走でみんなが一等賞になるのと同じ?
こんな国世界にないよ。

「鳩山、小沢、管の3人のトロイカ体制を忘れるな!」って
そのトロイカって一体何?
ひょっとしてそれは「3つのスイッチ」?

ニッポンの天気と政治のハナシ
どうもネガティヴになっていけませんね。
それじゃここで一曲。
今、全米アルバムチャート、おっと本国カナダでもNO1!
アーケイドファイヤーのtheサバーブス!
別にアメリカやカナダへ逃げようってわけではありませんよ。
でも いいなあ。


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2300 Jackson Street
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2010/9/21
まとめて書こうと思って少々ネタをためていた。
単独でバラにすると愚息リッキー君が書いているような
社会科見学の作文みたいになってしまう恐れがあったので。

ジャクソン四題。

その1
マイケルの一周忌を前後して、ベストヒットでも新たな特集が連続放送され、
それ以外にも世界中で追悼イベントが行われた。

おそらく日本各地を回った企画だろうと思うが、
マイケル・ジャクソン遺品展というのを観てみた。

デパートのイベント会場で開催された。行ってみてびっくり。

7階にあった会場に入るのにその階は言うに及ばず
下の階段まで蛇行した待ち列に並ばされ、最後尾は3階だった。

待ち時間約2時間だという。
この場所には何回か来ているが、
主に子供向けイベントだけだったからであろうか、
こんな長蛇の列は初めてだ。
改めて彼の根強い人気を実感したのと同時に、
この中にどれだけなくなった後のにわかファンだろうか、
などと意地の悪いことを考えたりもした。

プレスリーの死後、彼の遺品はいろいろ売れたけれど
ジョン・レノンの遺品はそれほどでもなかった、
ジョンのファンはプレスリーのファンほどミーハーではないのではないか、
などといわれたことも思い出した。
埼玉のミュージアムは大丈夫だろうか。

2時間はかからず90分足らずで入場できたような気がする。
でも会場内にいたのは20分程度か。

ファンの画家のデッサンが最初に飾ってあり、
後はマイケルの生前の手書きの手紙とか、歌詞を書き取ったメモとか、
そして彼がツアーで着ていたステージ衣装が中心の展示。
彼がロンドンの警察の制服に関心を持っていて
それをモチーフにして作った衣装が印象的だった。
それでも、ジャネットや他の兄弟の衣装が案外多く混ざっていたなとも感じた。

日本を回った後、全ての展示品が競売にかけられるのだという。
85年のVictory Tour(これもジャクソンズとしてのツアー)で
使用していた白い手袋がいくら値がついて競り落とされたとか、
その後ニュースで流れた。


その2
映画「マイケル・ジャクソン〜キング・オブ・ポップの素顔」を観た。

去年のTHIS IS ITはよかった。
幻となってしまった最後のコンサートへの準備過程のドキュメンタリー。
マイケルの、エコロジストとしてステージを通して
主張を聴衆に訴えようとする姿勢もさることながら、
曲のテンポや音の高低を自ら指示したり
コンサート演出のためだけにオリジナルと全く違ったビデオを作ったり、
音楽やステージングにかける姿勢、
とにかく私のような音楽好きにとっては
大規模なコンサートの音楽や演出がどう作り上げられていくのかが
マイケルを中心に描かれていて興味深かった。

これは特典映像もいいものがいっぱいあるだろうと思い
DVDもメモリアルだかデラックスだか何たらかたら、
とにかく一番いろいろ入っていそうなやつを入手した。

「キング・オブ・ポップ」はファン目線からのドキュメントだったと思う。
あまり音楽家としての要素は感じられない。
彼が故郷であるインディアナ州ギャリー、ジャクソン通2300番地に凱旋して
生い立ちを懐かしむ、近所に買い物に行く、市長を表敬訪問する
(ギャリーは全米有数のアフリカ系人口比率が大きい市だが市長は白人だった)、
それからマイケルの私営遊園地「ネバーランド」詣をする数多くのファンから、
ここはいかに素晴らしい場所か、
それを作ったマイケルはいかにファンを大切にしてくれて
夢を与えてくれる偉大な人か、が延々と語られる。

THIS IS ITとは対照的に、あまりマイケルの音楽に関する新たな発見はなかった。

これはDVDが出て特典映像があるとしても、
カットされたファンのコメントとか、たかだか知れているだろう。
スカパーでやったら録画する程度にしよう。

それにしても、映像にしても音源にしても、
彼が生前に世に出すことをOKしなかったためにお蔵入りになっているものが
ごまんと残っていて、これから更に小出しに次々と出てくるはずだ。

その意味からも彼の遺産は計り知れない。


その3
これをメインにしたいのだが。
マイケルの兄、ティト・ジャクソンのライブを観た。

ジャクソン兄弟の男組みではマイケル以外のソロ活動は
長兄のジャーメインが最も知られている。
ジャクソン5時代でも、
「パパのお家 Daddy’s Home」なんてヒットはあったが、
彼がソロにならざるをえなかった最大の理由は、
兄弟がモータウンを離れるときに、
彼がモータウン創始者ベリー・ゴーディの娘を娶っていたために
彼だけモータウンに残らなければいけなかったからだ。

その他は、マイケル、ジャネットが輝きすぎてしまって存在がかすんでしまった。
でもさすが兄弟、血は争えず才能は分かち合っている。
ベストヒットのインタでもあったように、ジャクソン5の活動のきっかけは、
この次男ティトがオヤジのギターをこっそりいたずらしていたことに始まる。
その意味でマイケルの次にソングライター、
ミュージシャンとしての才能を持っていたのはこのティトだったかもしれない。

コンサートが始まって驚いた。
彼のルーツはブルースにあるのだ。
前半はジャクソン・ファミリーの音楽のイメージで観たら
全く裏切られる感じであった。
しかしジーンズの右足には5兄弟の顔と名前をかたどったアップリケが貼られていた。

演奏曲目
1 “Jammer Street”
2 “I Gotta Play the Blues”
この曲は終了後でスコアを貰っちゃった。
声は低いしギターは絡みつくよう。
間違えてB.B.キングを観に来たか、とまで思わせる立ち上がり。

3曲目 “Rockin’ Robin” マイケルのソロのヒットであり、
1962年位のBobby Vee がオリジナル。
古いといってもオリジナルも、
声変わり前のマイケルのバージョンもバブルガムで、
マイケルの追悼、サービスの意図があっても
ブルースの流れの中に入れるにはちょっと無理があったか。

その次は文字通り泥臭く” I’m Your Hoochie Coochie Man”。
クラプトンのカバーでもお馴染みの
Muddy Waters (泥水)がオリジナルのブルースの名曲。

その後も”Caldonia”
“DAWWG(dog)”
“Scratch That I Tell”なんてブルースの曲が続いた後、

「それじゃあお待ちかね、41年前、
俺たち兄弟がこういう髪型をしていた時代に戻るよ」といって、
アフロヘアのウィグを被って、笑いをとって雰囲気をぐっと和ませて、
ジャクソン5メドレー。

I Want You Back〜
ABC〜
I’ll Be There〜
The Love You Save〜
Dancing Machine
ジャクソン5としてデビュー曲から4曲連続ナンバー1ヒットを放つ、
その順番そのままだ。

マイケルの高音リードボーカルは3人の若い女性コーラスに任せて、
ティト自身はギターとバックコーラスに徹していた。

そして「70年代半ば、僕ら兄弟はモータウンを離れて
エピックというレコード会社に移ることにした。
それ以降は自分たちで曲作りもした。
そして髪もばっさり切ったよ」と言ってウィグをとりまた笑いを誘う。
下のジャケットの通り、正確にはエピックに移籍し
ジャクソンズとなった後でも数年はアフロヘアのままだったのだが。

Heartbreak Hotel〜Shake Your Body
長いアウトロにあわせて、「みんなの長年にわたる、
我々一家、マイケルへの応援に感謝するよ」で大拍手が沸き起こった。
最前列にいた不良学者ハリー教授、すかさずCDジャケットとペンを差し出す。
相変わらず厚かましい。
でもティトはステージを降りた後も、サインを強請る全員に応えていた。








その4
この兄弟の両親ジョー&キャサリン・マイケル夫妻が離婚するという。

60年も続いた夫婦で、一時期は兄弟全部併せたレコード売り上げで
ビートルズを抜いたという記録も持つ
(またビートルズの再販の売り上げやら何やらで再逆転したらしいが、
このシーソーゲームは続いていくだろう)
偉大な子供たちを育てた二人だが、そういうことになったらしい。
60年も続いたのならもったいないような気もするが。

そんなわけで、いろいろあったジャクソン通2300番地であった。
ジャクソンズとしての今のところの最後のアルバムである。

これから暫らく、年末はビートルズ、初夏はマイケル、といった
半年サイクルが続きそうである。

(またまた間を空けてしまってごめんなさい。
本業で本を執筆する、という労多くして功少ない仕事をやっているのです。
ほんとに因果な商売です)


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/9/20
13年ぶりのニューヨーク。
それにしてもホノルルーニューヨークの
フライトは長い。
行きが10時間。帰りが11時間。
コンチネンタルの直行便、初めて乗った。

あまりに暇だったので映画を見た。
「ベスト キッド」昔のリメイク版。
これが意外に良かった。
カメラワーク、脚本、全編北京撮影なのに
ニューヨークで人気があったのがわかった。
ロッキーの子供版を見ている感じだったが、
町も綺麗に撮れて、天才子役ジャデンスミス
(ウイル スミスの息子)が最高である。
このまま伸びて欲しい。
たそがれたジャッキーチェンも深みがあり、
お薦めの映画である。

さてさてニューヨーク、
兎に角人が多く、
活気があった。
東京のごたごたを、尻目にニューヨークは進化していた。
まずハワイと決定的に違ったのは、
ホームレスをほとんど目にしなかったことである。
アラモアナやワイキキにもホームレスを、
確認できることを思うと、
行政の努力と観光地としての
誇りを感じずにはいられない。
いつも書くが、ハワイへの観光誘致する前に
やることがあるはずだ。
13年間にいい意味で、劇的な変化を遂げていた。
また治安も良く、何時に歩いてもどこを
歩いても不安を感じない。
素晴らしいことである。

久しぶりにミュージカルを見た。
べたなウエストサイドストーリー。
若者のうっぷんや、エネルギー消費の
もってきどころなく、けんかをたえず敵対チームとし、
いがみ合う、内容だが今見ると
じつに新鮮なところに興味をおぼえた。
今や肥満だらけのアメリカ人と
対極で、スリムな役者を見ると
食生活が50年という歳月を
根本的に国民を変えてしまったことに
愕然とした。

物価は食べ物に関しては競争が
あるせいか安く感じた。

自然が多いハワイにはない
エンターテイメントが山ほど
ニューヨークにはある。
大都会であるにも関わらず
一般人が観光客に対して凄く
親切なのには瞠目した。
これは東京に住む人、
ハワイに住む人も見習うべき
ことである。

まず町は綺麗で、ゴミも見えない。
その昔ハーレムなど歩けなかったことが
懐かしいくらいである。

ジュリアーニ市長の頃からかな。
本気でチェンジしたのは。

今、グランドゼロのモスク問題で
揺れている。
それはそうだ。
北朝鮮が東京にミサイルを撃ち込んで、
そこに金総書記の寺院を建設するような
ものである。
当然反発はあるであろう。

まあそんなことはどうでもいいことで、
治安が抜群に良く世界中から
今もこぞって観光に来る大都市ニューヨークシティに
乾杯!


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小林時々日記
 Update 2010/8/26
今TV用の脚本を書いてまーす。
自分でもちょっと信じられない。
脚本は文章を書く仕事とはだいぶ違う。(と思ってる)

頭の中で絵が想像できたり、声がきこえれば、
自分みたいに文章が下手でも楽しく作ることができる。(と思ってる)

譜面が読めなくても、楽器ができなくても、歌が歌えなくても、
頭の中で音がきこえれば音楽を作れるのと一緒だ。

とは云っても何でも作り出すことは難しい。(当たり前だ)

最終的な作品になるためには、プロの職人と仕事をする訳で、
だいたい、自分みたいな者が書いた脚本は、そんなプロから徹底的にバカにされる。

こっちはそんな事、百も承知で、
できた作品が面白ければそれでいいだろうと思ってるんでかなり打たれ強い。

でもまあ第一関門がプロデューサーかな。

いい?奴は予算を握ってる。「金」ともいう。
そんな事できっこねぇよ、と云われたら、できっこない。
そこんとこの攻めぎ合いがちょっと面白い。(得意じゃないけど)

プロデューサーに、話が面白くないねって云われたら致命傷だ。
感覚の違いですね、と云って逃げることはできない。
ちゃんとした逃げ道を考えとかないと…

もっとはっきりした事、書きたいけど、まだ、すべて未定なんで何も発表できない。
クビになったり、オリたりしなければ、一応12月に第一弾だけどなあ、
こればかりは何とも云えない。

ま、とにかく、こんな楽しい(しして苦しい)仕事を
なんでもっと昔に始めなかったんだろうと思いながらやってるわけです。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/9/7
ハワイがまた身近に2

前回、サウスウエスト好調とまで書いた。
実はユナイテッドとコンチネンタルの合併の裏に、
サウスウエストも重要な役割を果たしていた。
それは統合されると、独占になる恐れのあるニューヨーク発着枠の1部を、
統合の双方がサウスウエストに割り振りしたことで司法省が認可したのである。

さて、当初の表題に戻る。
羽田―ホノルル線である。
僕が考えるに観光客にとり、非常に良い選択肢だと思う。
全日空、日本航空、ハワイアンまずは三社が就航する。
三社ともに夜の便で、仕事帰りでも間に合う。
帰りもホノルル発は夕方なので、ゴルフや海水浴のあと、
のんびりランチを食べてから空港に向かうことが可能になる。
昔は朝4時にホテル迎えなんていうフライトが多々あったが、懐かしいといえよう。
ただ遅いフライトということは、当然のこと乍ら羽田には遅く到着する。
22時半くらいに着く。
それから入国審査、荷物を取り出られるのが、23時を完全に過ぎる。
都内に家がある人、ホテルに行く人なら良いが、
近くて遠い埼玉、群馬あたりに公共の乗り物で帰り着くのは不可能。
これを考えると一長一短で、好みが別れるところであろう。
たまにしかいかない人は、現地でかなりの時間が取れる。
僕みたいに仕事が少しでもあれば、羽田到着が早ければ早いほどいい。
駐車場のシステムはまだ調べていないが、車を乗ってきているなら全く問題なしだ。
日本から行きは羽田、帰りは早い便で成田が取れれば、僕は1番良い。
無理があるとは思うが。
それにしてもいつも思うことは、成田空港のはずれには、
まだ空港反対の看板が立っていたりする。
勝手な政治家の思惑で作ってみたはいいが、また勝手な羽田の発着が増え、
今後この空港を含めこの業界はどうなっていくのだろう。
最初から羽田にしておけば良かったものをと、国民のみなさんは思っているであろう。
これからはよくよくものを考えてから、作ってもらいたいものだ。
関空ができた時、僕はまだサンフランシスコで観光の仕事をしていた。
空港で、20人くらいの団体が怒っていた。
聞き耳をたてると、「日本の担当者が関空行きの飛行機で人数が集まれば
伊丹に降ろしてくれると云ったんだ。どうしてくれる!」と怒鳴っていた。
勝手な政府の云い分より、今はこっちの云い分の方が遥かに可愛げがあると思う。
まあ何はともあれ、羽田就航目出度いことである。


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小林時々日記
 Update 2010/8/20
誰が呼んだかスペシャル・ウィーク。
そう、ラジオの世界で聴取率という数字を調べる一週間のこと。

この週、やはり一番目立つのはサザン特集。
どこの局もサザンをやるみたい。
ちょっと微妙なタイミング。

個人的には二つ仕事がきて、一つは申し訳ないけどお断りした。

でも、サザン特集、やる時はやらなきゃ。
もちろん彼の病気については一切ふれない、だって、みんな気持ちはわかってる。
楽しくやることに意義がある。

で、局はJOLF
パーソナリティが小林と「ダブルコロン」
これって面白いでしょ? 組合せが。
実はオレ、こんな組合せ、好きです。
自分にも、どんな風に転がっていくのか見当がつかない、これがいいんです。

もちろんそんな事云いながら、気持ちはドキドキだけど。

実は桑田佳祐論に関して、大きな宿題があって、
それは数年前、音楽雑誌で彼の大特集をやった時、自分がゲストで、
「桑田作品は昭和の文豪のたたずまいがある」と軽口をたたいたんです。
すると、どうだろう、そこにいた評論家の高橋健太郎さんから
大つっ込みを入れられて、私は困り果てたわけです。

具体的に説明して欲しいと云われても、
ただ、ひたすら、そんな感じがしただけで、私はしどろもどろです。
結局、私の「桑田は昔の文豪みたいだ」という論は
その雑誌には取り上げられず、私は自分が感じていながら、
それを表現できなかった説明力不足を恥じて、大きな傷跡として残っておりました。

ところがです、ついこないだ、桑田佳祐が、
光太郎や多喜二や一葉等の作品にメロディーをつけて唱ったCDを出しましたよね。
あの時、自分は思わず小躍り、そう、ガッツポーズです。
彼の才能に舌を巻きました。

特集では彼の「文学性」にもさりげなく触れようと思ってるんだけど、
やっぱり問題は自分の説明力。

ダブル・コロンとつつき合ううち、何かハッとするものが生まれないか?
期待してるわけです。他力本願いけないすか?


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/8/30
ハワイがまた身近に1

いよいよ10月末から、各社羽田―ホノルル線の就航である。
これにより、またハワイへのアクセスが楽になり、喜ぶ人も多いと思う。
その反面帰りの到着時間が悪かったりと、まだ何とも云えぬ感はある。
今や世界の航空業界が、再編である。
まあ政治の再編より、はるかにましではあるが………。
これを書こうと思った矢先に、
アメリカ、ユナイテッドエアーとコンチネンタルエアーの合併が承認された。
これにより、世界第一位の航空会社が誕生する。
古くはジェット機が主流になったパンナムの時代から、
倒産または統合または再建と、めまぐるしく変わる業界である。
ついこの間まで、破産法だなんだかんだともめていたユナイテッドも、息を吹き返した。
今年はじめのJALと同様、マイレージはどうなんるんだと、多くの人々が戦々恐々としていた。
やはりやり方によっては、十分利益が出るということである。
僕が初めて海外の行ったのは、1983年のホノルル。
この時の成田―ホノルルの往復エコノミーが、30万円だからいかに今が安いかおわかりだろう。
今日本国内においては、格安航空会社を全日空もJALも設立に向け動いていると聞く。
まあこれは良いと思うが、あまり安い方だけに目がいくのもどうなのかな?とも思う。
1992年に、LAの旅行会社で働き始めた時のアメリカ国内線は、USエアーが非常に元気であった。
近距離便を得意とし、ロスーサンフランシスコ、ロスーラスベガスなど
多い時は1時間に3本も飛ばしていた。
USエアーの良い時は長く続かず、
それに変わりユナイテッドがシャトルと名打ち近距離便遠距離便共に攻勢に出た。
しかし組合問題等々勃発して、破産法適応までいってしまった。
その間ずっとこつこつやっていた、サウスウエストという近距離便専門だった会社が台頭してきて、
今やここ一番のフットボールの試合はほとんどスポンサーになっている。
この会社が今、日本で導入されようとしている格安のお手本である。
到着してから離陸までの時間を短くし、空港に支払う金額を減らし、
ユニフォームはポロシャツ短パン。
飲み物は、缶ジュースとコーヒーのみ。
超シンプルである。
たまにLAからニューヨーク、
COAST TO COAST往復200ドルのキャンペーンなどやる、ユニークな会社。
あれから20年近く経つが、未だ経営はよろしい。
見習いたいものである。
羽田線が次回に続く………


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小林時々日記
 Update 2010/8/12
今朝、生まれて始めて「タシカニ」って言葉をしゃべりました。
正確にいうと午前9時頃、朝食中、
「あんた、嫌いなものはトロトロ食べてるけど、
好きなものはアッという間、それもいつも食べ過ぎ。」
って云われて、思わず「確かに」と答えてしまった訳です。

フツーの人だと、これは当たり前の会話です。
そりゃボクもこの商売やってます。
二年前頃TVで流行り始めたことぐらい知ってます。
仕事中40代のディレクターが、確かに!なんて云おうものなら、
フン!この野郎、すぐ世の中に迎合しやがって、ホントのオマエは一体どこにいる?とか、
若いモンが、確かに!を連発しようもんなら、即、心の中で射ち殺してました。

だから今朝は「確かに」と云った後、ふき出しそうになっちゃって。
おまえは自分の言葉になってない言葉を使ったなって、別の自分が指さしてる。

これって「好み」の違いなのか?
他の言葉だと妙に早かったりする自分もいるわけで、
例えば、今日だとEMINEM聴いて「ヤバイ」って平気で云ってるし、
「オマエもディグってる?」って面白半分に云いそうになるし、

ひょっとすると逆に、軽い奴だと思われているのか?

最近、ホントの自分は?と、けっこうマジで探している自分がいる。

東京に出てこないで、今でも広島にいたら、どんな人間になっているんだろう?

英語文化に自分を押し込めようと努力してきたけど、不自然じゃなかったか?

今の商売、妥協の連続。
随分曲がった人間になり果ててはいないか?

等々、昔の自分がホント? 今の自分は誰?

そんな時、一週間前に聴いたサカナクションの「アイデンティティ」には参ってしまった。
自分はホントに鈍い。
20代の北海道の若者は、今のオレの心境を歌にしてる。
イヤ、その昔オレにもそんな事考えてた頃があったような気もする。でも今のオレにピッタリ。
今のところ、この歌は2010年オレのSong of the yearになりそうだ。


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小林時々日記
 Update 2010/8/5
桑田佳祐報道に隠れて音楽、映画関係者に中々伝わらなかったのが、
今野雄二さんが亡くなったニュース。

70年代初頭、彼の影響でD・ボウイにはまったことを思いだす。

彼の優雅な評論のスタイルは実は、
人の悪口好きのイギリス人気質の厳しい評論からきている。

彼は日本の文化では人をこきおろすことは、つつしみがないとされているわけだからと、
自分の嫌いな音楽や映画とは、一切関わらなかった。
イギリス文化に造詣が深かった彼は
「酷評」は自分の中だけにとじ込めて、誉めることしかしなかった。

そんなの「楽」しすぎだよ、とか勇気なさすぎ、と思う人も多かったが、
下らないものをとりあげ、ちょっとでも良い所を見つけ誉め上げることを
彼は潔しとしなかった。

そのかわり、彼が取り上げた映画や音楽はことごとく、納得のいくものばかりだった。

しかし80年代に入ると、日本では芸術でも芸能でも
「本音らしきもの」(決して本音ではない)を出すトレンドが主流になる。
すると、悪口を決してたたかない彼の華麗なスタイルが物足りなく感じるようになり、
存在が薄くなったのだ。

彼はそんな事を悩んでいたのか?

彼が自作の「小説」を出した時そんな気がした。

彼の事をわかってる人間は大勢いたのに。

日本人は表面は変わったように見えるけど、あの頃とちっとも変わってないのに…



ちょっと前の事になるが、イギルスのロック雑誌、NMEのサイトで
Kings of Leonの新作を巡り、激論がかわされていた。
「凄い作品を出せるようになった」という内容が圧倒的だったが、
反対に「魂を売った」等の意見も堂々と発表する輩もいる。

やっぱり日本とイギリスは根本的に違うな。
イギリスはロック、日本はポップ、どっちも昔と変わらない。

今野さんは、10年も経てば昔の飄々としたジャズ評論の
植草甚一さんみたいになるのかな、と思っていたのに。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/8/3
旅に出て気がついたこと

久しぶりに、サンフランシスコに行ってきた。
だいぶ前に書いたが、昔4年間住んだ。
今回はアメリカ旅行サイトの大手、「エキスペディア」で予約した。
日本版もあるようで、アメリカ国内はかなり割安でいける。
ホテルは空港からサンホゼ方面に、20分行ったところにある、
レッドウッドシティになった。
あまり下調べせず安いから取ったのだが、
行ってみるとサンフランシスコの町から、随分距離があった。
着いた翌日から、うろうろしてみることにした。
通常はレンタカーを借りるのだが、今回は友人宅にお世話になることもあり、
公共の乗り物を使うことにした。
今レッドウッドシティからサンマテオまでは、
サンホゼのコンピューター産業が栄えている為、
金持ちが多いのと治安が抜群にいいらしい。
アップルの業績の良さと、比例しているのであろう。
初めて、カルトレインなる乗り物にのった。
サンフランシスコと、ギルロイを結ぶ列車。
レッドウッドシティからサンフランシスコまで、4ドル75セント。
所要時間は約40分。
列車と駅は、どこの国に行っても情緒がある。
4年間いつも車のみの便利な生活をしていたので、
非常に新鮮に町と人を見ることができる。
住んでいるころと、明らかに変化していると感じたことは
イスラム系の若者が多く見られたこと。
あとは元々ゲイが人口の20%いると云われていたが、
一時同性同士の結婚が認められた為、繁華街でのキスも大胆であった。
(二転三転し今現在は一応合法)

しかし今回一番驚いたのは、異常気象で兎に角寒かった。
真夏であるにも関わらず、ダウンタウンの気温が15時で14度。
日本の11月中旬の雰囲気。
僕がいたころさすがに、8月は半袖でもいける時があった。
スタバの外で、コーヒーを飲んでいる人さえ少ない。
服装はアロハどころか男性はダッフル、
女性はマフラーを巻いていたのは本当にびっくりした。
元来、お洒落なサンフランシスコの人達のファッションからくる服装ではなく、
いわえる防寒の為の服であった。
僕が住んでいたのは1993年から1997年。
それほど昔ではない。

最後に大好きだった、中華料理店に行った。
その中華はどちらかというと町から離れ、観光客がこない場所である。
昔はテーブルが10ほどで、こじんまりとしたレストランであった。
それがなんとなんと、客席数100にもなる巨大なホール型のレストランに変わっていた。
1ドル50セントの飲茶で、巨大レストランになったこの店は「地道」に
やった結果とは思うが、人生何が起こるかわからないと考えさせられる繁栄であった。


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小林時々日記
 Update 2010/7/29
昼12時
ブライアン・フェリー・インタビュー@ペニンシュラ

いつものノリで4号線にのった、途中で「霞ヶ関で事故」の表示が出る。
ヤバイ、12時に間に合うか?
車の流れが止まってしまった。
強引に電話を入れる。
「ギリギリになっちゃうなぁ、遅れるかも」

このスピードだと、こりゃやっぱり遅れるな。
また、ブライアン・フェリー様を待たせるのか?
(ベストヒットUSA タイムマシン参照)
カー・ラジオの音楽がどうもしっくりきてない。
女の子が迫力ある声で歌ってる。
別れの歌か?
「こんちくしょう」とか本音をぶつけてる。
いいね、いいね、と思ってたら英語の歌詞になった。いい発音だよ!
オヤオヤ?
日本語じゃ生きのいい女の子だったのに、英語になると突然性格が変わってしまった。
英語はカッコつける道具だったのか、おまえ?
それに英語になると、おまえの云いたい事がそこで切れてしまう。
だめだめ、おまえの歌はお嬢さん芸。
せっかく日本語でかわいくドスを効かせたんだから、
英語じゃFuck youとかScrew youとか歌えよバカ。

あ、いけないな!
車が動かなくなったもんで、頭の中が動き過ぎてるオレ。
中波のトークにかえてみよう。
そして早く外苑で出よう。

助かった!下の道は空いてる。
さあ、もう一回確認の電話だ。
「ギリギリそっちへ着くので、よろしく!」

電話をかけたトタン、オレの車線が動かなくなった。
青山通り、赤坂見附寸前。
左右の車線はすいすい動いている。
「……?」

何のことはない、前の車が前の前の車に追突している。
みんなが急いでいるんだ。

ペニンシュラに着くと、スタッフが心配して道に出て待っている。



ブライアン・フェリーはいい年の取り方をしていた。
というか65才には思えない。
この人は王さんや落合さんみたいに、人の見てない所で一生懸命努力する人だ。
平然とニコニコしてるけど、そういう努力を感じることができる。

何回もその人に会ってると、見ただけでその人の今を感じる事ができる。
今から録画するインタビューは10月に放送されるが、
きっとブライアンの「気」は伝わるだろう。



帰りの車で、桑田君のことでTV局から電話があったことを知らされる。
すぐ後で、親しい人間から、全く心配ない事も伝わった。
今夜あたり電話してみようか?

今日は二人のスーパーマンから力をもらう事になるのか?


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小林時々日記
 Update 2010/7/22
本読みを兼ねたリハーサル
電車の中、大竹しのぶと男の二人だけ
二人の前に労務者風の男が一人坐っている
それが自分。
自分のセリフ「あんたら駆落ちもんだね?」

1メートルくらいの距離から、じっとオレの目を見続けているのがつかこうへい監督。
「悪いけど、もう一回そのセリフ云って見て」
オレを覗き込みながら云う。

「あんたら駆落ちもんだね?」

よーし、セリフ変えるよ!
劇団の人がそばでつかこうへい監督が次々に発っするセリフを書き留める。

こうして自分が覚えていったセリフは全部変わった。
役柄も労務者から正体不明の人間に変えられた。
展開も変わったみたい。

電車の中がまるでミュージカルになって行く!

こうして、自分が役に合ってなかったのか、才能がなかったのかが原因で、
芝居の色までが変わっていく、つかこうへいマジックを目のあたりにしたのが…25年前。
ベンキョーになったよー、あの時は。

そのつかサンが亡くなってから、枕元に、ひっぱり出してきた「蒲田行進曲」。
きのうも5ページも読めずに眠ってしまった。

朝9時半ぐらい?
クリス・トモコがしゃべってる。
品の良いいつものしゃべりがゆるく聞こえる。
くそ暑さのせいか?
おっヴァネッサ・パラディーのボサノバ。
朝からちょっとエロいぞ、
おっ 続いてジングル?
何々? ♪アメリカンポーク アンド ジェイ ウェーイヴ!♪
そっかスポンサーの名前も入れ込んだジングルか。
けだるくセクシーにきこえたジングルのせいで、アメリカンポークがピンクに染まった。
桃色の豚肉! いいねぇ。

♪ヘッドラインニューズ♪
おっ、音楽がつながってる。
女性アナウンサーの声、かわいい声だ。
「元北朝鮮の工作員、キム・ヒョンヒを乗せた車は……」

う〜ん、音楽がつながってるもんで、
バネッサ・パラディーのベッド・ルーム・ボイスがまだ残ってる。
ふと、キム・ヒョンヒも北朝鮮も自分の頭の中でピンクに染まってるのに気がついた。

もう、朝からムード作りがうまいんだから。おたく達。J−WAVEっていったっけ。

そばを建設会社の車と郵便局の軽がスっ飛ばして自分の車を抜いて行く。
アイツ等、他の局を聴いてるにちがいない。

そこで他局をチェック。
で、わかったのですが、J−WAVEをマネてるところが目立ちますね。
いや、ちょっと車を飛ばしたくなる局もありました。



夕方5時半に事件!
NACK5の片岡さんからもらった東京ドームのチケット。
封筒を開けて確かめなかったオレも悪いんだけど、
巨人、ヤクルト戦!

広島は今、大阪にいるはずなのに、おかしいと思わなかったオレ。

そこで問題です。
「私は東京ドームで巨人・ヤクルト戦を見たでしょうか?」


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/8/3
英語ドウナノヨ!

克也さんのブログで、英語の話題もどうかと思うが、敢えて語ってみたい。
いくつかの日本企業が、社内では英語が公用語になると聞く。
本当のところ、これはどうなのかな?
国際社会で生き抜いていくには必要な気もすれば、
いらねーだろうと多くの人が、叫びを上げたい気持ちでいるような気もする。
ハワイに住んでいながらにして、英語がうまくならないのは、
もちろん自分の努力が不足していることはよくわかっている。
一番強く思うことは、パソコンをチェックしたり、他の事をやっていても
例えば、日本のニュースなどが後ろから流れてくれば、
(火事かとか、お盆の渋滞かー)とすぐ頭に入る。
これがハワイのニュースだと、そうはいかない。
ここ数年は何か集中している時にでも、
ニュースや英語のテレビを点けておくようにしている。
これが不思議なもので、耳が聞こうと集中すると作業をおこなっていても、
(カハラで事故かー)など入ってくるのである。
当然英語圏の国で暮らしていれば、日常は英語で処理しなければならない。
話は少し逸れるが、観光でハワイに来ていて困った時など、親切に助けてくれて、
凄くハワイが好きになり、語学留学やホームスティでやってくる人達がいる。
しかし、すぐUターンで帰国する人もいる。
もちろん水が合わないと、決断する人もいる。
観光の時に、親切にしてもらったのに来てみたら、
誰も助けてくれないし、英語は通じない。
過度の、ストレスになってしまう人も多い。
生まれた国以外で、生活するのは想像以上にむずかしいこともある。
僕のようにハワイの方が、暮らし易いと思う人間もいる。
これは人それぞれで、先に書いた「水が合う」と「合わない」と云うわずかな差なのだ。

全然、話は変わる。
たまたま森進一の「襟裳岬」を聴いていた。
3番の歌詞なんて、注意して聴いたことがなかった。
おおまかな歌詞の流れは
寒い土地だが、みんなで助け合って、楽しく暮らそうみたいなものだ。
気になったのは「さむい友達が訪ねて来たよー、
遠慮はいらないから温まっていきなよー」。
僕はこれを聞き、ギャグやジョークがすべって、いけてないさむい人が来たから、
優しくねと真面目に解釈してしまった。
「文字」で見ないで「音」で聞くと、捉え方が違うとはっとした。
KYやさむいなどの言葉は、
時勢なのか、日本語自体が衰退したのか、自分があほになったのかは不明である。
そんな折、社内公用語ドウナノヨーと僕は真剣に心配する。


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小林時々日記
 Update 2010/7/8
弱ったな電話インタビューだ。
時間がないのになぁ、早くかたずけよう、カンタンに答えよう。

「洋楽が売れなくなってること、洋画も字幕ではなく、吹き替えが増えていること、
これ等は若者の英語ばなれでしょうか?」
違います。ただ単純に解りやすいからです。

「若者の海外旅行への熱がさめているといわれますが?」
海外旅行は高いからです。

「車を買わない若い人が増えているのですが」
車を持たない方が経済的だからです。
NYあたりは車持たない人多いですよ。

「着るものに金をかけなくなっているそうです」
安くていいものがいっぱいあるからです。

「地上波のTVを見る人が減っています」
つまんないからです。

「女性に興味を持たない若い男性が増えています。」
ほんとですか?
「ほんとうです。」
時間や金を含めて無駄な努力をしたくないからだと思います。


要するに、最近の若いもんはやっぱり草食系とか、なんとか、結論づけようという企画のようで、
こんなのいやだとも云えなくて、ホントに時間がなかったので、先回りすることに。


最近の若者は二極化しています!
「どういうことですか?」
ほら最近よく云われるでしょう、「格差社会」って、あれです。
「ビンボーとカネモチとかですか?」
そうです、格差が広がるばかりです。
ボクのまわりにも二極化がいっぱいです。
サッカー見るバカ、見ないバカ
選挙行くバカ、行かぬバカ
AKB行くバカ、行かぬバカ
同じバカなら?
「行かなきゃ、ソンソン!」
そうで〜す。


これで良かったですか?


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小林時々日記
 Update 2010/7/1
カメルーン戦、試合開始の前に風呂に入って、TVを見たら、日本が勝った。
オランダ戦の前、急いで風呂に入ったが、日本は敗けた。どうしてくれる。

試合前の番組が長すぎる。
7時にTVの前に陣取った。といっても一人だけ。
試合が始まったのが8時半。

おかげでレアな数秒間をキャッチした。
日本のスタジオにいる宮本(元キャプテン)の発言を見る現地の中田の目付き。
中田の目は「お前にゃそんな偉そうなこと云える資格はねえだろ!」と言っていた。

いや確かに言ってるように見えた。

後になってきいた話だが、スタッフが二人に気を使った、と云っていた。

自民党とコカコーラのコマーシャルが目立った。
気になって気になって。

電通扱いだから後できいてみるか。

中村俊輔。どうもパッとしない。
あれは絶対おかしい。
「一人だけ仲間はずれ」を感じてしまった。

サッカー通が云うには、中村はイメージとは違って天狗になるタイプ。
有名な本田がオレに蹴らせろ!といった話。
ピッチで本田が「オレに蹴らせろ」と云ったのを聞けたのは、中村本人しかいないはず。
つまり、中村が本田ってヤツはオレにこんなこと云うんだ!と云いはじめた。
それが広がった。
だから中村はそんなヤツ。
なのか?
マジ?

ブブゼラの音を録音し損なった。
ブラジル・オランダ戦をサンプリングしよう!

パラグアイ戦の金田喜稔は解説に力が入ってた。
熱くなると広島弁になるんだもん。
というか興奮度が広島弁でわかる。
その度やはり広島出身のヤザワを思い出してた。

翌日夜、犬の散歩途中最近知りあった、近所のイタめし屋経営の若いイタリア人に出会う。
負けた国の人間同志の会話となった。

彼が「近くでお祭りやってるよ」っていうので行って見ると、
永福町のマクドナルドの閉店で盛り上がってる。
閉店なのに楽しそうに見える。

彼もマクドナルドは右肩上がりの景気良さなのを知っていた。
彼も経営者なので、店はネ、いい所はどんどん伸ばしていく。
中途ハンパは切り捨てる。
そして伸びて行くんだと説明してくれる。

疲れた松井を引っ込めて、元気な岡崎を出すみたいにねって。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/7/21
クラシック

こぞって、知り合いが多く訪れる地ハワイである。
ハワイ島のコナにいた頃は、ほとんど来客と云うものがなかった。
かなり近しい友人や、家族のみであった。
それがホノルルに越してきて、1ヶ月で一人も知り合いが来ない月はない。
それはそれで、自分が楽しいのでよろしい。
20年も会っていなかった元同僚や、元上司などもホノルルにいるから声をかけてくれる。
僕がドバイにいても、声をかけてくれるかと云ったら、もちろんNOであろう。
来客はいない時の自分の生活は至って静かで、
地方に転勤になった単身赴任者の「それ」とさして変わりない。
これがハワイ島のホノカアあたりに住んで電話もなければ、
少しはホームシックになるやもしれぬが、
ワイキキの中心まで自転車3分ではそれもない。
それにしても最近、古き良きハワイを探すのは、むずかしいと云うことをつくづく思う。
「たまにクラシックないいハワイを見せてよ」なんて、無理難題をリクエストする困った御仁がいる。
そのお陰で、ない頭を振り絞り検索につぐ検索、予約につぐ予約を重ねるのは、
このブログを書くよりはるかにハードなのは、云うまでもない。
そして今回いつも通りがかり目にしていた、ハレクラニホテルのショーを見てきた。
バーやププ(つまみ)をオーダーすれば、無料で見ることができる。
これの何がいいかと云うと、音楽である。
もちろんロケーションも、最高である。
夕暮れ時の美しい景色を眺めながら、コンテポラリーなハワイアンが聴ける。
このコンテンポラリーは、へたな奴がやると臭すぎで、大御所がやるとオーバーである。
適度なのがいいが、この適度がむずかしい。
ハレクラニのは、ゆっくりした曲を丁寧に歌う。
これは非常にいい。
どこがいいかとふと考えたら、「伝統」があるのだ。
みんなが知っている、オーソドックスなものもやってくれる。
フラの踊りも、有名な元ミスハワイがやる。


もうひとつ、クラシック感を得られる場所があった。

ニューオオタニカイマナビーチホテルの、ハウツリーラナイ。
ここの朝食は、ほんと静かでいい。
ワイキキの喧噪とは格段違い。
土曜に行ったが、常連の客ばかりで、朝からシャンパンを飲んでいる優雅な人々がいた。
いつも土曜に来ているという、雰囲気が漂っていた。

僕も習慣にしたいものだ。

しかしこの文章を書いている時のBGMは、やはり日本の曲でない方がはかどる。
ハワイのことを書いている時は、やはりホノルルのF.M局かハワイアンがいいみたいだ。
「上野発の夜行列車降りた時から〜よりホノルルシティライツ〜」の方が進むのは至極当然か………。


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小林時々日記
 Update 2010/6/25
もう消費税? それも10%?
ムダや天下りを無くすんじゃなかったの?
殆んど昔のままじゃん?
やっぱり、どこの党がやっても日本は変わんないのかな?
日本変えるには「外圧」とか戦争に負けるとかしかないのかなあ。

ここでアメリカ人の友達の意見をきいて見よう。

「事業仕分けは茶番だった! 大した効果なし!
本当に無駄を切り捨てるんだったら、根から絶たなくては。
アメリカやニュージーランドがやったみたいに、
中途半端な団体は全部潰してしまうんだな。
それは、ほんとにつらい事だよ。
自分の身を切って捨てることだから。
でも、その後だったら、国民も消費税に文句は云わないよ。」

どうですか?このアメリカ人の意見。
みんながわかってるんですよね。
その通りだって。
でもそんな残酷なことできないよなあ。

白状します。
ボクにはアメリカ人の友達なんかいません。
ただ、アメリカ人がこう云ったって云えば、
みんなが、「そうなんだよね!」って云ってくれると思ったんです。
ボクも「外圧」を待ってます。


イギリス人の友達が云うんだよね。
「サッカーはロックじゃないよ。
あんなにチームのための団結をいうスポーツはないよ。
もっとわがまま、わがまま!
それにサッカーの歌ってなんでダサイ曲ばっかりなんだよ。
サッカーの歌はロックしない。
魂がない。
安っぽいエロ歌、歌ってるほうがもっと人間らしい。」


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/7/6
潤うか?

ハワイの経済も、ご多分に漏れず悪い悪いと云っている。
しかしアメリカ本土などに比べると、まだまだ衰えは感じない。

そんな折、テレビドラマや映画の撮影が頻繁に、ここオアフではおこなわれている。

皆さんご存知の「ロスト」。
これから放映される「ハワイ FIVE O」。
映画の最新作「猿の惑星」。
これはかなり、ハワイ経済に貢献しているとニュースでやっていた。

その中でも僕が楽しみにしているのは、「FIVE O」。
1968−1980年まで放送された、人気テレビ番組。
1話1話、完結のわかり易いストーリー。
主役のマクギャレット役ジャックロードは、常にハワイでの撮影があった為、
番組終了後も生涯ハワイで過ごした、ハワイに魅せられたひとりであろう。
未だにハワイでは、夜20時から放送がある。
今見て、何が楽しいかと云うと、日本人の持つハワイイメージが、山ほど登場することだ。
カハラにしても、アロハタワーにしても、ダウンタウンにしても、かなり情緒が漂う。
また良く出てくるのは、犯罪をホノルルで犯し、アメリカ本土や外国に逃げるいわゆる高飛び。
今「太陽にほえろ」や、「Gメン75」などを見たら、出てくるかもしれぬ高飛びシーン。
ホノルル空港で犯人を捉えるところなど、空港も飛行機も何かやたらにかっこ良く、それでいて懐かしい。
リメークされたFIVE Oも、秋から始まる。
好評だと、また続編が出るであろう。

猿の惑星は、どんなストーリーになるかはわからない。
しかしハワイには、「惑星」を演出する何かがあるのだろう。
こちらもかなり、楽しみである。
自然以外に娯楽と云うものの少ないハワイにとり、これらのエンターティメントは注目されている。

これらがうまくいけば、ハワイ経済にもたらす貢献度は多大なものとなる。
期待しよう。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/7/6
誰もいないプール

まだプールに、人影はない。
建設中の、コンドミニアムだ。
今世界不況の中、建設する勇気も賞賛するが、このあたりの交通渋滞の酷さに瞠目する。
カラカウア通りに面するこの建物は、2008年着工。
昔は汚いアパートと、かなり怪しいディスコと、キワドイ下着などを販売していたエリア。
それにしてもここ数年と云うか、このコンドの建設が始まってからワイキキの渋滞は強烈だ。
辺り一面、どこもかしこも渋滞。
おまけに別件の配電線の工事や、水道の工事なんかが重なったら、もう目もあてられぬ。
しかもこの着工に伴い、ホノルル警察の警官が、朝7時から16時まで付きっきり。
日本なら道路整備の人が、やるべきであろう仕事が、警察官に委ねている。
これも凄い。

と、コンドの売れ具合はどうかと友人に聞くと、あまり芳しくないそうである。
何せこの時勢に、8000万と云う価格である。
未だアメリカの住宅ローン金利5.5% を考えると、一般人には到底手の出る代物ではない。
しかしあるところにあるようで、ぼちぼち売れているとも聞く。
ホクアと云う以前発売された超高級コンドは、下のランクで、
1億円と高額にも関わらず、完売だったのは記憶に新しい。
その当時はイチローが買った!クリントンが買った!などと取りだたされたが、
ほとんどが大嘘だったらしい。

と、トランプタワーのステーキ屋の評判はかなり良いが、
コンド自体の評判はどうなのだろうと気になってしまう。

さて日本は梅雨に入り、じめじめしていると思うが、
ハワイは5月からようやくハワイらしい天気になってきた。
毎日貿易風が吹き、特に夕方はアリゾナやネバダのような、抜けるような青空を見ることができる。
今月は、独立記念日のウィークエンドで、アメリカ本土からこぞってやってくるのでかなり渋滞する。
ちなみにアメリカ西海岸から行きたい観光地に、ハワイは常にトップ3に君臨している。

いつこの誰もいないプールが、大盛況になるのかと、考えてしまった昼下がりであった。


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小林時々日記
 Update 2010/6/17
洋楽の名曲を自分なりに翻訳して、原曲のイメージをなるべく忠実に伝えるという、
自分の得意ワザ・コーナーで70年代のヒット曲「アメリカ」の
VENTURA HIGHWAYを取り上げた。

爽やかなカリフォルニアの歌だと思うでしょ?

ギターのリフもサビもホントにいい感じ。

でもね、3番にPurple Rainってのがでてくるんだね、これが。

プリンスのPurple Rainの10年以上も昔の歌だよ。
プリンスの場合、Purpleは「エロティック」の意味もあることだし、
プリンスはPurple Highness「紫殿下」ってニックネームがあるから、
気品とエロさの混じったPurple。
朗読の際「ムラサキのアメ」をわざと「ムァーラサキのアーメ」って読んだんだね。
マーラサーキってきこえてイヤラシい感じ?

でも、これもだいぶはずれてる。
なーぜか?

ジミヘンのPurple HazeってLSDのことなんだよ。
プリンスのPurple Rainでのギターはまるでジミヘン風。
それにプリンスのPurple Highnessって
パープルなハイな状態ってイミも入ってくるわけ。

だからPurple Rainは「しびれる雨」あたりが一番近い訳になるのかな。

でも、でも、アメリカのVentura Highwayに出てくる
Purple Rainは、どうも「雨」ではないニュアンス。
するってーと答えはただ一つ。

スラングで調べると、ありましたあー!
PCP幻覚剤の一種だってさ。
まいったまいった。

つまり、この歌の正体は、主人公はどうも60年代からのヒッピーで「ジョー」って男。
流れ流れて、黄金に輝く、自由の風が吹くVentura Highwayをめざすってわけだ。
3番でPCPにやられたジョーに「名前を変えて、ここにずっと居なよ」って
下世話なパートがあるから、よけいにこの歌くるのかな。

70年代って、いい曲、必ず麻薬がからんでます。
みなさん気をつけてよ。




P.S.
アメリカの最初の大ヒット曲、「名前のない馬」
Horse with no name。

いっておきますが、「Horse」はヘロインの事。
イニシャルが同じだし。

この歌
HorseにのってのTripの歌だと考えると、とても解りやすいです。
ほんとに気を付けてよ。


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FM
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2010/5/25
私が縁あって住んでいるここ名古屋は、日本の民間放送発祥の地である。
何十年前のことかは憶えていないが、とにかく日本で初めてNHK以外の、
民間資本による電波放送が許可されて、第一声が流されたのがこの場所なのだ。
中部日本放送、現在ならテレビと一緒にCBCとして知られている局だ。
その記念碑も立っている。
その日本の放送の歴史上重要な場所で、再び歴史的な事件が起こった。
今度は、不名誉な事件である。
全国で初めて、コミュニティFMを除いて、
放送局が経営破綻から閉局、放送免許返上に追い込まれてしまったのである。

愛知国際放送、通称Radio‐i(レディオ・アイ)。
今年9月末で放送を終了すると発表した。
2000年4月から放送を開始し、開局10周年を迎えたばかりだった。
東京だったらInterFM.関西だったらFMcocoloなんかの
Meganet系列の、最も外国人DJが多く、
最も洋楽のかかるタイプのFM局だった。
洋楽不毛の地と呼ばれたこの地方を開拓しながらもダンス系に偏りがちで、
私が大嫌いだったドクター・ボンベイのようなキワモノをプッシュすることもあり、
対象年齢層がやや低いと思われたZIP−FMに対抗し、
ターゲットを上の年齢層に絞り、
オルタナティヴ、ソフトロック、オールディーズ、ジャズ中心の選曲で、
大人の雰囲気の局として、ドライヴ中もCD要らずで
他の地域の住人からも羨ましがられる存在だった。

克也さんの声が流れたのは、
全局ネットの清志郎の追悼番組のとき一回だけとなってしまうかな。
克也さんがZIPに居た頃に一緒にやっていたクリス・グレン、
佐野瑛厘さんも後にこちらに移籍して頑張っていた。
ここ一年、カツヤコバヤシの音をかすれた電波で聞き取って自分のDJネームにした、
あのカマサミ・コングも月金帯番組をやっていた。
かく云う私も好きな局だった。
克也さんがZIP HOT 100をやっていた頃も実は日曜だけZIPで、
その他の曜日は専らRadio‐i、試験電波放送の時からそうだった。
最初の数年間はDJも素人っぽく、
リスナーの数もそれほどいなかったらしく大切にされ、
リクエストはほぼ毎日100%かけてもらえていた。
ことに私個人は必ず英語でメッセージを送り、
ご想像のとおりに捻った曲をリクエストするので局内でも有名だったらしい。
後に関係者から聴いたんだから本当の話。

数年たち現場に業界の人たちが相当入ってきたらしく、
リスナーもリクエストも急に増えたわけではないだろうのに、
あるクールから突然リクエストが採用されなくなった。
そのことについて、DJ本人から、方針の転換だ、僕も不本意だ、申し訳ない、
と私の家までわざわざお詫びの電話をもらった。
またアメリカからの録音番組にリクエストを出した時も、
ありがとう、でもこの番組は録音で
君のリクエストが聞けるのは多分一ヶ月以上後だよ、
これを君に知らせたことは内緒にしてくれ、とメールが来たりした。
そんなところも普通の放送局らしくなくて好きだった。

ところがその方針転換でリクエスト採用率が下がった時期と、
私自身がインターネットのストリーミングで
海外のラジオ局を探すことにハマッた時期とが重なり、
かなり電波ラジオから離れていた。
しかしつい最近、日曜日のクリスと佐野さんの新番組が面白くなって
また戻りかけていた。そんな折に飛び込んできたニュースだった。

確かにAMラジオのように幅広い年齢層を囲えるタイプの局ではない。
開局以来黒字決算が計上できたことは一度もなく、
2010年3月期には累積赤字が28億8000万円に達していたという。
この数字を見たら、逆によく10年ももったな、という気さえしてくる。
開局当初は複数の企業の出資があったが、
2008年から興和製薬の子会社となった。
その年からの更なる不況により、広告収入の低迷から脱することができず、
今後も収益改善が見込めないと判断されたという。

いろいろなことを考えさせられた。

所詮私はマスコミ内部の人間ではないが、
一年間NHKで委託専門家として働いた経験もあり、
他にも番組制作の手伝いをしたり、
少しだけテレビに出たり新聞にコメントを載せてもらったり、
こうして名誉にも克也さんとお付き合いさせていただいたり、
ほんのちょっと裏を齧ったことのある輩から見て、
現在、ラジオのみならずマスコミ全体が危機に瀕しているのではないかと思う。

不況からあらゆる業種の企業が宣伝費をカットし、
それがメディア側には制作費にもろ響いてくる。
しかも受け手のニーズも多様化しているから、
テレビに限って言うならどんな番組を作っても
キラーコンテンツに化けることが期待できない。
硬派ドキュメンタリーだめ(ああ、水曜ノンフィクション)、
音楽番組だめ、巨人戦だめ、水戸黄門も一桁、
キムタクを主役に擁しても20%が確実でない。
だから今のゴールデンには、どこの局にも、内容部分は下請け制作会社に作らせて、
スタジオではいかにもギャラの安そうな若手お笑い芸人とか
グラビアアイドルとかを集めてその素材を見せて
軽いノリのコメントをテロップつきで出させる、
そんな安上がりのバラエティ番組がずらっと並んでいる。
これは個人的には末期症状ではないかと思っている。

経営基盤の小さいラジオはもっと大変なのだろう。
実はここ名古屋では既にコミュニティFMが二つ経営破綻を起こしていた。
西鉄が買収して危機を逃れたという九州のLoveFMも同様の状態だったのだろう。

考えさせられたもう一つのこと。

それは受信者側とは微妙な立場だなあということ。
手っ取り早くいえば、無力なフリーライダーであることを改めて実感してしまった。

私は克也さんの番組を含めZIPから色々なプレゼント、
giveawayを頂いていたし、Radio−iからも色々頂いていた。
リクエストもかけてもらったし、音楽情報ももらった。
しかしそれらに何も代償を払っていない。
民間放送を支えるのはスポンサー企業であり、
それにだめといわれてしまえば、ラジオの場合、
リスナーにできることはほとんど残されていない。

ある映画を思い出した。
タイトルはそのものずばり“FM”。

1978年公開で、映画としては二流以下のほうだろう。
日本では公開すらされなかった。
私はVHSを輸入し、幸いにもコピーガードがかかっていなかったので
DVDに落とせている。

スティーリーダンに“FM”という曲があるのをご存知の方のほうが多いかもしれない。
実はこの曲はその映画のテーマ曲なのだ。
LAにあるとされた架空のFM局を舞台にした映画なので、
サウンドトラックが77年頃、
ウエストコーストが一番輝いていた頃、
イーグルス、ドゥービー周辺のアーティストの曲がレーベルを越えて
ぎっしり詰まっており、そういうのが好きな私にとっては涙物だった。
このサントラCDは簡単に入手できるのでお知らせまで。

QSKYというFM局、
朝時間帯の人気DJジェフが現場の指導者的な役割もこなしていたが、
ある時、オーナーから、もっとCMの時間を増やせ、
そして軍需産業関連企業が資金を増やしてくれるのでそのスポットを多く流せ、
と圧力をかけてきた。
ジェフはそれに反発し局を辞めてしまう。
しかし仲間のDJたちが局を占拠して、
方針転換に反対し、ジェフを呼び戻す放送を流し始めた。
これを聴いたリスナーたちも同調して占拠に参加して大運動になった。
結局オーナー側も音楽好きな理解のある若者に取って代わられ、
元の鞘に納まる、といったありがちなストーリーだった。

今回の件で、DJがストライキを起こしたり、
それにリスナーが同調したりしたとしても何にもならないだろう。
方針転換ではなく経営破綻なのだから。

それでも、DJとリスナーとの関係に関してひとつのヒントがあるかもしれない。

停波がニュース発表されて以来、DJのブログやツィッターには、
残念だ、何とかできないか、何かできることはないか、
といったコメントが寄せられている。

DJの側からも、何とかしたい、という気持ちは同じなのだろう。

克也さんにとっても「畏友」であろう、クリス・グレンの発言を引用させていただく。

やっぱり、ラジオは素晴らしいメディア!
RAIDO−iを聞いてくれているリスナーは、たくさんいる!
必要としてくれている人がいる。
愛されていると感じました。みんなありがとう。

「ばかじゃない?」「そんなの無理だよ」
何を言われようと、僕は「今、僕ができること」をやります。動きます。
それは「放送終了まで、いい番組をオンエアしますよ」というコトだけではないです。
とにかく、いろいろです。

僕はラジオが大好きです!ラジオを愛しているし、
今もすばらしいメディアだと思ってます。

時代に合わないとか、古いとか、何と言われようと、この愛情は変わりません。
この愛情は武器だと思っています。
夢や愛情だけでビジネスができないことはわかっているけど
ラジオやRADIO−iに愛情を持っていれば、
リスナーに愛情を持っていれば、結果は違ったと思っています。

リスナーとつながっていたのは、僕たちDJです。
ただの雇われDJかもしれないけれど、リスナーとDJというのは友達なんです。
心が通っている、つながっている仲間なんです。

その友達を簡単に裏切ることはできません。
「今、僕ができること」をやって、良い結果が出せるかどうかわからないけど
僕は、誠意を持って、頑張りたいと思います。
「クリス・グレンのどーも!どーも!どーも!」6月18日


本音なのだろう。

確かに今は誰もが苦しい時代だし、
実は私の本業の業界だって他分野に気を回している余裕はないくらいなのだ。

私も立場は違うがラジオが好きだし、
だからこそ克也さんもこのお仕事を下さったのだと思っている。
その好きなラジオに大きな変化、そしてそれは必ずしも好ましくない形でおき、
それは自分が最も好きな局でたまたま起こってしまった。
無力であるけれども、何かできることがあればしたい、という気にはなる 

書いていて、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。
所詮素人であるし、もっと考えを整理してから執筆するべきだったかもしれない。
この件に関して「何か」が起こればまたここで取り上げるだろうし、
起こらなくても、おそらくモバHo!のときと同じように
最期を看取る(聴き取る)ことになるだろう。
そのときまで、クリス、佐野さんをはじめ、この局の行く末を見守っていきたい。







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小林時々日記
 Update 2010/6/17
OKAMOTO’Sって若いグループがゲストにくるというのでCDをきいた。
宣伝用の文を読むとパンクっぽいイメージ。
CDを聴いても「悪い子」らしくない。
「良い子」に聴こえる。

会うとみんな「良い子」だった。
オタクだった。

スタッフが、あの子達みんな有名な人の二世なんですよって教えてくれた。
親の名前は云っちゃいけないことになってる。

でもファンはみんなそんなこと知ってるらしい。

何なのソレ?




DRUMSがゲストだってことでネットでチェック。
NMEのインタビューを読んで知ってたけど、MY SPACEの映像はウイウイしい。
「サーフィン」のビデオはCOLDPLAYのYELLOWの海岸での
ワン・カットのパロディみたいだけど、インタビューでそれとなく確かめよう。
若いのに、歌詞や音や絵に全くムダがない。余分なものがない。
モノを造るには「捨てる」事が一番難しい。
彼等は捨てる天才か?ちょっと年寄り臭い?
どうも、あの「エコー感」に秘密がありそうだ。

彼等はオタクだった
少なくとも二人は。
中心のジョナサンとジェイコブは2人が12才の時、サマーキャンプで出会ってる。
金持ちの息子?
ユダヤ系?
その時もうアナログのシンセでクラフトワークやJoy Divisionとかやってて
絆ができた。

「エコー」についてきいた。
「企業秘密」だって、カワイイね。

オタク、恐るべし。


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小林時々日記
 Update 2010/6/3
スペイン坂スタジオ生放送に、いしわたり淳治と砂原良徳が登場、
みんな気付いたかな、面白いパワー光線が出てた。凄い二人だ。
Lou ReedのWalk on the Wild Sideを訳詩、朗読し、
二人に放送上でプレゼント。
いしわたり君はキョトンとしてたが、引っかかってた。
砂原君にはよ〜く知ってる世界。
40年前の「時代を引っ張る意気込み」は形を変え、
二人の中にちゃんと入ってる手ごたえ。嬉しかったね。
曲はゲイやジャンキーやハスラーが登場するが、
Walk on the Wild Sideを「人生、凄い方の道を歩く」と訳した。
自分では最高に気に入ってる。
ちなみに、CDでは「人生、裏街道を行く」と訳されてた。これも正しいけどね。











ベスト・ヒット・USAにThird Eye BlindのStevenがゲスト。
ヤッパリこの男の才能でこのグループは持ってるってわかった。
数年間、無活動状態だったが、やっぱり会社ともめてたのか?
30分後Ke$haがやってきた。
急な階段を屈強なボディガードの手を握り、
支えられながらスタジオ入りする姿を見たスタッフが、
ヤッパリ何かヤッてるんですかねぇ?って云ってたが、
あれ、絶対ヤッてないね。
英語の単語が出てこないオレをずい分助けてたもんね。
逆に、オレがヤッてるって思ったんじゃないか?
Your love is my drug.
「あなたの愛は私の麻薬」
ホントは素人も避けるような、あざとい歌詞をカンタンにNO1にした彼女は、
凄いセンス持ってるって気付いてあげなきゃ。











WOWOW制作のTVドキュメンタリーに司会進行で出演。
ラジオが危機、でも新しく進化も遂げようとしているというラジオ応援の内容。
実は撮影する前のスタッフとの話が面白かった。
「ネットやツイッターを同時に取り込んで盛り上がってる番組が増えてるんですよ」
「それって、最終的にはラジオ局は要らなくなるよね」
「目が見えない人やドライバーはそんなの参加できないじゃん」
雑談はしばし続いたけど、最後に、「東京にラジオ局が50局あればいいんだよ」
って事でハナシは終わってしまった。
アメリカみたくさ、一つのラジオ局は数人の社員で充分。
50局もあれば、みんな激しく競争するよ、聴取率ベスト5くらいに入りゃ、
ウッハウッハ儲かるよ、ラジオが元気ないなんて言う奴いなくなるよ。
なあんだ、結局、ラジオ局の免許かあ!
官僚政治が悪いんじゃん。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/6/8
別れ

写真は京都駅のホーム。
雨が降ったあと、急に日差しがたちこめ、街が明るくなった時、
この少女は東京行きの新幹線から降りた。
その新幹線には、誰か大事な人がそのまま降りずに乗っていたのであろう。
何か今生の別れのように、一生懸命に手を振り続けて列車を見送っていた。
今の日本のテレビドラマを見ないので、
昔あったドラマの一場面を見ているようであった。
僕はいつの頃か人生が、「旅」となってしまい、
こう云う光景を多く目にするようになった。
駅、空港は特に、感傷に浸れる場所である。
よくよく考えてみれば、前職が旅行会社だったこともあり、
ただひたすらに客人を見送る立場にいた。
ロスの空港も、サンフランの空港も、ラスベガスの空港も、
コナの空港も、ホノルル空港も、である。
それが何故か、最近見送られる場面がいくつかあった。
若い頃は、おくり人を振り返って見ないと云うのが、自分の中にあった。
歳のせいか、見送ってくれる人が最後見えなくなるまで見てくれていると思うと、
こちらも手を振り別れることが多くなった。
ふと送る側と、送られる側に、どんな違いがあるか考えてみた。
送る側は当然の事ながら、自分の生活の場から送り出すので、
大した感傷も湧かないと云っては味じけないが、
さして日常から変わりないではないか。
しかし送られる側は、相手の本拠地にいる訳で、
(また当分会えないだろうなー)とか
(もう一生会えないかもしれない)などと想像すると、
ついついセンチメンタルな気分になる。
それが20歳同士の別れであれば、「じゃーまたな!」と軽くいけるのであろう。
僕は27歳でアメリカに旅立ち、そのままいついてしまった。
今は行方不明となっている高校時代からの友人は
送別パーティの鍋が終わり、東村山の駅に送ってくれた時、
ホームで、「おい。行くなよー」と男泣きに泣いてくれた。
その時の僕は若かったのか、未来を楽しみにしていたのか
(おいおい泣くなよ)と思いはしたが、親友の言葉に揺れ動くこともなかった。
しかし今考えると、人間の未来など予測できないなと思う。
この場面を思い起こすと、あの時もう少し温かい言葉を云ってやればなどと考える。
やはり歳をとったと、云うことであろう。
今日もホノルルの空港では、出会い別れを繰り返しているであろう。


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You’ve Got a Friend
◆某大学教授 阿南東也
 Update 2010/5/25
なんで東京と横浜でしかやらないんだ。日本の一極集中に毒されていないか。

などとぶつぶつ文句を言いつつも、やっぱり行ってしまいました。

仕事がらみの出張ではない、子供を連れての行楽でもない、
自分ひとりの娯楽(?)が目的で地元以外のところに遠征するのは初めてです。

キャロル・キング&ジェームス・テイラー。

キャロル・キングについては一度行って詳しく書きましたし、
とにかくジェームス・テイラーを観たかったんです。

もっと正確に言うと、バックのメンバーを含めての彼らを観たかった。

ギターにダニー・コーチマー。
ベースにリーランド・スクラー。
ドラムスにラス・カンケル。

これだけ揃うだけで、もう小生あたりには涙ものなんです。
だから引き寄せられるように、土曜日のみなとみらいに
新幹線を飛ばしてしまいました。

三人とも、70年代前半のシンガーソングライターブーム、
後半以降の西海岸サウンドブームを陰で支えていた人たち。

ラス・カンケル。
彼自身も西海岸No1ドラマーでありましたが、最初のリア・カンケル、
そして二人目の故ニコレット・ラーソンと、
奥さん二人が大活躍した女性シンガーでありました。

リー・スクラー。
この連載に登場するのは二度目です。
TOTOの最後のツアーで、負傷したマイク・ポーカロの代役でベースで参加した、
白髪白長髭の孤高の仙人です。
ジェームスのレコードでは必ずバックを勤めていました。
TOTOのときは結構楽しそうにステージ上をウロチョロしていましたが、
今回はほとんど立ちっぱなしで淡々と演奏に集中していた、不動の仙人でした。

ダニー・コーチマー。
ジェームスとキャロルを結びつけたのは他ならぬこの人です。
彼は60年代末にキャロルと一緒に「シティ」というバンドを組み、
その後ジェームスと「フライングマシーン」を結成します。
この人が居なかったら、70年代前半のシンガーソングライターブームは
なかったかもしれない。

引き合わされた二人は、ロサンゼルスにあるトルバドールという
ライブハウスで始めて共演します。
そのトルバドールの開店50周年を記念して二人が再びライブを行い、
それがきっかけで世界を回っています。

山下達朗師匠じゃないですけれど、武道館はイヤですね。
どうせ仕事でいけなかったのですが。みなとみらいでよかったです。

今日のコンサートは二部構成です、とのアナウンスを聞いて、
いやな予感がしました。
この間のジャクソン・ブラウンとシェリル・クロウのように、
どっちが先か、で悩まなくてはいけなくなる。
誰がジェームスとキャロルの二人に甲乙がつけられるのだろう。

でも始まった途端、そんな不安は吹っ切れました。
二人は手を繋いで仲良く同時に登場してきたのです。

ステージに向かって右手にさっきのバックの三人が陣取り、
キャロルは左手のグランドピアノに。
ジェームスは中央にギターを持って、曲によって立ったり座ったりしました。

最初にジェームスから、我々の長い友情の集大成なんだ、
といったような今回のツアーの趣旨が簡単に説明され、
そのために昔からの仲間を集めたんだ、と、バックの三人を最初に紹介しました。






ほぼ、ジェームスとキャロルの曲が交互に並べられています。
1、Blossom (ジェームス)
70年のSweet Baby Jamesのアルバムの
渋い曲からスタートしました。
二人とも選曲はシンガーソングライターブームの時代を
意識したものになっていたといえるでしょう。
So Far Away、Way Over Yonder、
Smackwater Jack、 Sweet Seasons、
あたりの曲は前回のキャロル・キングのライブのリポートを参照してくださいね
(えらい手抜き、だってジェームスのことは一回取り上げる機会が
ありそうだったのに結局話題がそれちゃったんだもん)。
11曲目の”Beautiful”は前回は出てきませんでしたが
名盤『つづれ織り』からのセレクションです。

3.Machine Gun Kelly (ジェームス)
71年の Mud Slide Slim and Blue Horizonから、
またシングルになっていない渋い曲。

4.Carolina In My Mind (ジェームス)
68年のセルフタイトルのデビューアルバムからの曲で、
ベスト盤には必ず選曲されます。彼の故郷への慕情。

7.Country Road (ジェームス)
Sweet Babyから。
この曲のイントロとサビに出てくる同じフレーズは、
アコースティックギター教則本の定番になっています。

9.Mexico(ジェームス)
ブームも一段落してややと快適なサウンドを追及するようになった
75年の『ゴリラ』から。
「メキシコにはいまだに行ったことはないんだけどね。
なぜか想像で曲を書いちゃったんだよ」とのMCから始まりました。

10曲目は実際はメドレーで2曲からなっています。
キャロルが「二人は偶然にほぼ同じ時期に、
ずっと前の時代、をテーマに曲を書いていて、
しかも同じような進行だから、一緒にやっちゃうわ」といって、
キャロルのSong of Long Agoと
ジェームスのMud Slide Slim からのヒット曲
Long Ago and Far Awayが、
メドレーというより掛け合いで演奏されました。
今回ならではの企画で、鳥肌が立ちました。
全く興ざめですが、清水ミチコさんのネタで、
ピアノで右手で水戸黄門のテーマ、
左手で銭形平次のテーマを同時に演奏したらピッタリ合ってしまう 、
そんな感じでした。

13.Shower The People (ジェームス)
ますます都会的になってきた76年の
In the Pocketからのヒット曲で、
小生はリアルタイムで聞いていましたからすごく好きな曲です。
そして前回見たキャロルのコンサートみたいに、

14.(You Make Me Feel Like)
A Natural Woman を、聴衆も一緒に合唱して幕入りになりました。

二幕目。
一幕目は二人とも黒っぽいスーツを着ていたのですが、
暑くなってきたのか、ジェームスは黒シャツ、キャロルも深緑の薄着で、
やはり手を繋いで再登場しました。
挨拶は特になく、ジェームスが「これも僕の故郷、
ノースキャロライナの思い出を歌った曲なんだ」というMCから、
91年、今回の選曲では新しい New Moon Shineのアルバム
Copperline(15) から始まりました。

次はキャロルもピアノから離れてジェームスに寄り添うようにすわり、
ジェームスは「これはエヴァリー・ブラザーズのヒット曲で
よく知っていたんだけれど、アート・ガーファンクルのアルバムに入れるために
デュエットで録音したとき、初めてキャロルが作った曲だって知ったんだ」と
エピソードが披露されCrying In The Rainが
二人のハーモニーで再現されました。

キャロルの曲、Chains、 Will You Love Me Tomorrow、
It’s Too Late、 I Feel The Earth Moveあたりは
また上掲のコラムを参照してください。

19曲目のJazzman前回は演奏されませんでした。
75年、やはりキャロルも都会的なサウンドになってきたころのヒット曲で、
アル・スチュアートを髣髴とさせる曲です。

18.Sweet Baby James (ジェームス)
既に何度か出てきた同名アルバムの曲で
「同じ名前の甥っ子の子守唄にするために書いたんだ。
ここのみんなは眠くならないことを祈るよ」と笑いを取りました。

21.Steamroller Blues (ジェームス)
これはブルースのカバー曲で、やはり Sweet Babyで最初に録音されて、
最初のベスト盤ではライブバージョンが収録されました。

23.Fire And Rain (ジェームス)
そろそろオーラスで、大ヒット曲が出てきました。
やっぱりSweet Babyからの、
シンガーソングライターブームの嚆矢になったような曲。

そしてやっぱり最後は
25.You’ve Got A Friend
やっぱりこれですね。
キャロルが書いてジェームスがMud Slide Slimから
シングルカットして大ヒットさせた。
これをデュエットで、誰もが想像できた光景だったと思います。

これをやってとりあえずみんなのお目当ては果たせただろう、ということで
二人とも手を振ってバックに引っ込みますが、
鳴り止まぬアンコールを求める拍手。
再登場して、二人は寄り添うように、
ジェームスのギターに合わせてハーモニーを聞かせてくれました。

26. Up On The Roof
キャロルが書いて、前回のキャロルのコンサートでも取り上げられ、
ドリフターズ(しつこいようですが「全員集合」のあれではありませんよ)
のヒット曲ですが、ジェームスも79年のFlagでカバーしている、
二人とも録音している曲ですね。

27. You Can Close Your Eyes
これは武道館ではやらなかったようです。
Mud Slide Slimに収録されていて、
ライブではよく取り上げられる、しっとりとしたバラード。
そして二人とも立ち上がり、聴衆にも立ち上がって、と要求します

28. How Sweet It Is (To Be Loved By You)
ジェームスが『ゴリラ』でカバーしたマーヴィン・ゲイの曲。
二人も、聴衆も、一緒に歌って踊らにゃソンソン。そして

29. Locomotion
意外にもジェームスがソロで歌う部分が長かったです。
彼も実は好きなんでしょうね。
キャロルは最前列の人たちとハイタッチの波を作って、
バックの人たちと肩を組んで一列で一礼、本当に終わってしまいました。

いやあ、よかった。お察しのとおり、
結局ジェームス・テイラーを観にいったようなものですが、
バックメンバーも含めて大満足です。新幹線を飛ばした甲斐があった。

それにしても、東京はいいなあ。
ビルボードライブなんか、毎週一回は通いたいくらいのラインアップをやってる。
そちらの地方の皆さんは、一極集中の有難みを感じてください。


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HAWAII CALLS
K.C KIUCHI
 Update 2010/5/4
ブログ

今日はブログらしいブログを、書いてみたいと思う。
今この文章は、太平洋上で書いている。
元々ブログは、日記である。日々あったことなどを、書き記す。
何故か僕のブログは常に写真付きである為、毎日とはいかない。
今日、飛行機に乗ってふと考えた。
今日は、その日あったことを書いてみようと。
まずホノルルを飛び立って、15分後にはカウアイ島が見えた。
ハワイ諸島に11年暮らすも、まだ1度も行ったことがないカウアイ。
空の上から、近いうちに必ず行こうと決心した。
そして、飲み物のサーヴィス。気にいっている、スカイタイムを注文する。
食事はかなり昔より、グレードアップしたカレー。
これはまずまずだ。
次に映画を見始める。
僕はホノルルから成田に向う機内では、映画を3本見るのを習慣としている。
まずは1本目。
釣りバカ ファイナル
いつもこれを見て思うことは、やっているとついつい見てしまう。
大衆心理と云うものであろうか。
流石にほのぼのさせる脚本は、一級である。
しかし三国連太郎のXデーを待たずして、ハッピーエンドは見事であると云えよう。

2本目はマイレージ マイライフ
期待して見なかったせいか、すこぶる良かった。
いつも飛行機に乗り、この歳で独身であり、気侭に暮らす自分としては
「んーと」唸ってしまう内容であった。
簡単に解説すると、アメリカ中を仕事で駆け回るジョージ クルーニーは、
バチェラー生活の見本のような、スマートな生活と仕事の旅をしている。
その出張が、経費削減でなくなると云うもの。
そのうちに、自分の人生これでいいのか?と自問自答する。
幸せな家族と家庭。温かな家のぬくもり。
自分の今までの人生と、今後の人生を比較して彼が学んだものは……
撮り方もまたいい。クレーマークレーマーの頃のような映像。

3本目
恋するベーカリー
凄く現在幸せな女性が、10年ぶりに再会した元夫と再会し、愛が燃え上がる物語。
彼女は、子供はいるが、男なし。
元旦那は、妻と子供あり。
しかしメリル ストリープは、いくつになっても最高の演技をする。
この斜陽の女性も、まず絶妙。
見方を変えると、クレーマークレーマーの頃とあまり容貌は変化していない。
30年経過してもそう見えるのは、お化けの部類に入るかもしれぬ。
でも10年ぶりに再会して、相手に妻子があったら自分では心が揺れるかどうか、
ちと考えこんでしまった。
とまぁ今日はつまらない小言を、機上から案内したいと思う。


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