LAST UPDATE 2008/9/6
 
 
 
 



坂本龍一

良いインタビューはどうやって作る?
実はインタビュー嫌いの小林には永遠の課題だ。
坂本龍一はニコっと笑いながら、何でも白黒はっきりという性格。
でもカメラの前でそんなことさせてはシャレにならない。
彼も人を傷つけるようなことは云わないに決ってる。
彼の「本音」をチラっとでもいいから覗かせたい!
そう思いながらソフトな雰囲気でハードな近めのボールを投げ続けた。
「アメリカン・ロックは?」
「いいんじゃないの」
「ニュー・ウェイヴは?」
「いいんじゃないの」
「日本のロックは?」
「いいんじゃないの」
殆んどの答えは「いいんじゃないの」みたいな、どっちにもとれる答え。
彼の笑いながらの「いいんじゃないの」はまるでギャグのように効き始めた。
「いいんじゃないの」がメッセージになってきた。
「つまんない事きくなよ。」
「オレには関係ないよ。」
「いいものはいい、悪いものは悪い」
まるでスネークマン・ショーだ。

でもこれは彼のカリスマがあるからできたこと。
この写真でも彼のスター性が伝わってくる。

「戦場のメリー・クリスマス」に出演したすぐ後で、英語のセリフを喜んで再現してくれた。
まるで自慢げな子供みたいだった。

PS ポケットに入ってる箸に注目。
   正月用の特番で「おせち」が用意されてて、それを少しつまんだ後、
   使った箸を捨てないで「マイハシ」として入れている。
   エコだよ、この人は。


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  ※「ラジオ&レコーズ」と小林克也との契約により日本での放送、掲載が許可されている
 放送はBS朝日、テレビ朝日、そしてNACK5


■全米シングルTOP40 & Rythmic (2008年8月29日付)

アメリカのラジオ業界誌(週刊)「ラジオ&レコーズ」が
最新ヒット曲を流す主要ラジオ局での放送回数を調べた結果。
数字は放送回数とその増減である。

Top 40
Week Ending: August 29,2008

TW LW Artist Title (Label) Total Plays +/- Plays
1 1 Chris Brown
 Forever
 (Jive/Zomba)
9334 +75
2 2 Jesse McCartney
 Leavin'
 (Hollywood)
8855 -290
3 5 Kardinal Offishall f/Akon
 Dangerous
 (Konlive/Geffen/Interscope)
7410 +660
4 7 Ne-Yo
 Closer
 (Def Jan/IDJMG)
7073 +733
5 4 Kid Rock
 All Summer Long
 (Top Dog/Atlantic)
7067 +224
6 3 Katy Perry
 I Kissed A Girl
 (Capitol)
6690 -1211
7 9 Rihanna
 Disturbia
 (SRP/Def Jam/IDJMG)
6328 +698
8 6 Metro Station
 Shake It
 (Columbia)
6315 -421
9 8 Pussycat Dolls
 When I Grow Up
 (Interscope)
6042 -161
10 11 Jordan Sparks
 One Step At A Time
 (19/Jive/Zomba)
5706 +409
11 13 Secondhand Serenade
 Fall For You
 (Glassnote/LG/Atlantic)
4985 +450
12 10 Rihana
 Take A Row
 (SRP/Def Jam/IDJMG)
4944 -466
13 12 Jonas Brothers
 Burnin' Up
 (Hollywood)
4732 -110
14 14 Coldplay
 Viva La Vida
 (Capitol)
4677 +259
15 16 Estelle f/Kanye West
 American Boy
 (Home School/Atlantic)
4584 +478
16 17 Leona Lewis
 Better In Time
 (Syco/J/RMG)
4385 +334
17 18 3 Doors Down
 It's Not My Time
 (Universal Republic)
3406 -482
18 22 Flo Rida f/Will.I.Am
 In The Ayer
 (Poe Boy/Atlantic)
3353 +384
19 15 Natasha Bedingfield
 Pocketful Of Sunshine
 (Phonogenic/Epic)
3315 -933
20 21 Three 6 Mafia f/Project Pat
 Lolli Lolli
 (Hypnotize Minds/Columbia)
3098 +62
21 23 Paramore
 That's What You Get
 (Fueled By Ramen/RRP)
3036 +171
22 26 Boys Like Girls
 Thunder
 (Columbia)
2494 +84
23 24 Colby O'donis f/Akon
 What You Got
 (KonLive/Geffen/Interscope)
2247 -335
24 25 Lil Wayne f/ Static Major
 Lollipop
 (Cash Money/Universal Motown)
2227 -303
25 31 M.I.A.
 Paper Planes
 (XL/Intescope)
2113 +715
26 -- Pink
 So What
 (LaFace/Zomba)
1904 +1054
27 27 Mariah Carey
 I'll Be Lovin' U Long Time
 (Island/IDJMG)
1871 -89
28 28 e The Kings
 Check Yes Juliet (Run Baby Run)
 (S-Curve/Capitol)
1860 +188
29 29 David Cook
 The Time Of My Life
 (19/RCA/RMG)
1756 +87
30 35 Daughtry
 What About Now
 (RCA/RMG)
1511 +406
31 40 David Archuleta
 Crush
 (19/Jive/Zomba)
1454 +515
32 34 One Block Radius
 You Got Me (Property/Mercury/IDJMG)
1363 +204
33 33 September
 Cry For You
 (Robbins)
1352 +163
34 39 Saving Abel
 Addicted
 (Skiddco/Virgin/Capitol)
1155 +204
35 30 Plies f/Ne-Yo
 Bust It Baby (Part 2)
 (Big Gates/Slip-N-Slide/Atlantic)
1093 -334
36 -- Shontelle
 T-Shirt
 (SRC/Universal Motown)
1028 +152
37 -- Kevin Rudolf f/Lil Wayne
 Let It Rock
 (Cash Money/Universal Republic)
1001 +429
38 -- Natasha Bedingfield
 Angel
 (Phonogenic/Epic)
791 +432
39 -- David Banner f/ Chirs Brown
 Get Like Me
 (B.I.G.F.A.C.E./SRC/Universal Motown)
791 -108
40 -- Saving Jane
 Super Girl
 (Toucan Cove/Alert)
781 -60



Rythmic
Week Ending: August 29,2008

TW LW Artist Title (Label) Total Plays +/- Plays
1 1 Kardinal Offishal f/Akon
 Dangerous
 (Konlive/Geffen/Interscope)
4662 -137
2 1 Lil Wayne
 A Milli
 (Cash Money/Universal Motown)
4375 -523
3 4 David Banner f/Chris Brown
 Get Like Me
 (B.I.G.F.A.C.E./SRC/Universal Motown)
4361 -124
4 2 The-Dream
 I Luv Your Girl
 (Radio Killa/Def Jam/IDJMG)
4305 -528
5 5 Chris Brown
 Forever
 (Jive/Zomba)
4253 +144
6 6 Lil Wayne f/T-Pain
 Got Money
 (Cash Money/Universal Motown)
4209 +358
7 7 Ne-Yo
 Closer
 (Def Jam/IDJMG)
3885 +222
8 10 Yung Berg f/Casha
 The Business
 (Yung Boss/Epic/Koch)
3218 +252
9 9 Plies f/Ne-Yo
 Bust It Baby (Part 2)
 (Big Gates/Slip-N-Slide/Atlantic)
2948 -202
10 11 Young Jeezy f/Kanye West
 Put On
 (CTE/Def Jam/IDJMG)
2936 +208
11 8 Three 6 Mafia f/Project Pat, Young
 Lolli Lolli
 (Hypnotize Minds/Columbia)
2802 -462
12 15 Rick Ross f/Nelly & Avery Storm
 Here I Am
 (Slip-N-Slide/Def Jam/IDJMG)
2448 +181
13 14 Flo Rida f/Will.I.Am
 In The Ayer
 (Poe Boy/Atlantic)
2333 -63
14 20 T-Pain f/Lil Wayne
 Can't Believe It
 (Nappy Boy/Konvict/Jive/Zomba)
2301 +495
15 19 Nelly f/Ashanti & Akon
 Body On Me
 (Derrty/Universal Motown)
2239 +300
16 16 Mariah Carey
 I'll Be Lovin' U Long Time
 (Island/IDJMG)
2178 -45
17 18 Savage f/Soulja Boy Tell'em
 Swing
 (Dawn Raid/Universal Republic)
2148 +168
18 12 Lil Wayne f/Static Major
 Lollipop
 (Cash Money/Universal Motown)
2147 -497
19 13 Rihana
 Take A Bow
 (SRP/Def Jam/DJMG)
2002 -429
20 17 Katy Perry
 I Kissed A Girl
 (Capitol)
1955 -46
21 21 Mike Jones f/Trey Songz, Lil Wayne & Twista
 Cuddy Buddy
 (Ice Age/Asylum)
1854 +91
22 22 LL Cool J f/The-Dream
 Baby
 (Def Jam/IDJMG)
1681 +133
23 26 T.I.
 Whatever You Like
 (Grand Hustle/Atlantic)
1269 +467
24 23 Jesse McCartney
 Leavin'
 (Hollywood)
1366 +2
25 25 Slim f/Yung Joc
 So Fly
 (M3/Asylum)
1287 +160
26 27 Rihana
 Disturbia
 (SRP/Def Jam/IDJMG)
1175 +125
27 24 Estelle f/Kanye West
 American Boy
 (Home School/Atlantic)
1120 -54
28 28 Pussycat Dolls
 When I Grow Up
 (Interscope)
967 +68
29 38 Plies f/Jamie Foxx
 Please Excuse My
 (Big Gates/Slip-N-Slide/Atlantic)
901 +196
30 32 Jazmine Sullivan
 Need U Bad
 (J/RMG)
890 +97
31 34 Ice Cube
 Do Your Thang
 (Firm/Lench Mob)
882 +120
32 33 E-40 f/Akon
 Wake It Up
 (Sick Wid' It/BME/Warner Bros.)
873 +109
33 31 Keisha Cole
 Heaven Sent (Imani/Geffen/Interscope)
816 +22
34 29 Game f/Keyshia Cole
 Game's Pain
 (Geffen/Interscope)
812 +22
35 37 Keri Hilson
 Energy
 (Mosley/Zone 4/Interscope)
750 +391
36 -- Game f/Lil Wayne
 My Life
 (Geffen/Interscope)
715 +331
37 30 One Block Radius
 You Got Me (Property/Mercury/IDJMG)
711 -88
38 35 Lloyd f/Lil Wayne
 Girls Around The World
 (The Inc./Universal Motown)
676 -72
39 -- Leona
 Better In Time
 (SYCO/J/RMG)
624 +116
40 40 Shawty Putt f/Lil Jon & Too Short
 Dat Baby
 (BME/Razor & Tie)
604 -28

 
 
 



Damned

パンクの第一号はセックスピストルじゃなかった。
シングルもアルバムも彼等が先だった。
よっ!パンク第一号!
しかしパンクはいさぎよくなくっちゃいけない。
2年が限度だ。
彼等は10年以上も続いた。
だから音楽の方向も変っていった。
この頃は90thっぽい世界を走ってた。
色々な分野を試すんだけど、やればやるほどパロディっぽくひびいた。
この時すでに時の流れを感じさせた。
スタジオは盛り上ったんだけど…


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Debbie Gibson

80年代は10代の白人の女の子はティファニーとこの娘だけ。
幼稚園の頃作ったというLove Songも歌ってくれたんだよ。
「あの子がダイスキ、お席がもっと近くへこないかな」みたいな曲。


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Charlie Sexton

デビュー前からマスコミを巻き込んで大騒わぎ。
デビュー曲Beat’s so lonelyは結局あんまり売れなかった。
いい奴なのにね。

自分なりの解釈がある。
この男のギターも歌も実はアメリカ節だ。
一方、ルックスやイメージはニューロマンティック?
売り方も「第2のデヴィッド・ボウイ」の方向へ行ってたね。
音楽とイメージが違ってたわけだよ。

今、感じるんだけど、これがデビューの1986年、
もし彼が90年以降に出てきてたら違ってたのかな?
もっと人気が出たかな。
だってシザーハンズのジョニー・デップそっくり。
彼はジョニー・デップより4年も早かったんだよ。

去年久しぶりにアルバムを出したみたい。


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RUN DMC

「Walk this way」が大ヒットのちょっと後。
楽しかったよ。
インタビューにならないんだよ。
まともに質問に答えようとしない。
途中から彼等のノリがわかり、
一緒に遊びました。

途中で故ジャム・マスター・ジェイ(まん中)が、
「子供の頃R&Bの放送局にラジカセをあわせてたけど、
飽きるとハード・ロックの放送局をきいた」と云ってくれた。
それが唯一の音楽に関する話。
これで何でエアロスミスでラップしたのかがわかったわけです。

あとは世間話と与太話、で時々怒る。
弱ったよ。
ダンスやスニーカー(アディダス)や
服や女のハナシをしてくれたのでまあサマになったけどね。

ライヴへ行ったらスタジオと変らなかった。
始まったら、おっ立って客をにらんでる、それも股間をつかんで。
彼等があの「股間つかみ」を始めたのかな。
この頃一番過激なヒップホップだった。


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PET SHOP BOYS

上が初来日、
下が2度目の来日。
この頃はラジオに出てくれたり、電話で話したり、一番仲良しになったアーティスト。

初来日の時はコンサートをまだやってなくて、
彼等の頭の中でも色々考えてたみたい。
「ぶっとんだファッション・ショーみたいなコンサートになる?」
と聞くと、「そうかも」と答えてたが、彼等のコンサートを見て納得した。
音楽も映像も新しいアイデアだった。
映画音楽のエンニオ・モリコーネを教祖だと思ってる、
彼の音楽をよく聴くと、ぼく達のことがよくわかる、とも云っていた。
なるほど、彼等の音には独特の「絵」があるんだね。

何回も出演してくれたので、ラジオでは質問とか無しで
楽しもうってことで「イントロ・クイズ」をやった。
ニール・テナントは20問中20問正解。
色んな音楽をよ〜くわかってた。
クリスは殆んどダメ。
大笑いしながら、「君達は最高のコンビだね」と云うと、
「ありがとう」って答えた。


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Iggy Pop

こんなにニコニコしてるIggy Popを見たことある?
Godfather of Punkだよ。
そんじょそこらのパンクとチャウヨ。
しゃべる声が低音の効いたアナウンサーみたいでビックリした。
その声のことを云うと、話題はフランク・シナトラまでいってしまった。
小中学生の頃はシナトラの歌をよく歌ったんだって、
トレーラーハウスでオヤジがファンでシナトラばっかりかけてたんだって。
そうシナトラの歌が似合いそうな声をしてた。

David Bowieはイギーに出会って、
イギーみたいに低音を効かす歌い方にかえている。
ボウイはイギーから色んなものをいただいたんじゃないか?

そんな疑問をぶつけてみた。
明らかにボウイはイギーの恩恵を受けてるのに、イギーは笑って答えなかったね。

ある日ボウイの家に突然呼ばれた。
大金持ちの家に招かれた貧乏人みたいだったと云ってた。
二人は色んな話をしたが、
イギーが帰る前にボウイは子供用のおもちゃのピアノを出してきた。
ボウイはそのピアノで4小節の中国メロディーを弾いた。
「このメロディの切れはしを使って曲を仕上げてね、これが宿題。」
ボウイはそう云い、二人は別れた。
そしてイギーが完成させたのが名曲「チャイナガール」だった。

日本のプラスティックスのコンサートだったか、
アメリカ人のベースが参加してて、彼がCBGBでイギーのバックをやった時の話。
演奏してると突然イギーがいなくなった。
でもしばらく演奏を続けてると、イヤーな臭いが漂い始めた。
ふり返るとステージの後の方でイギーがしゃがんで脱糞してた。
このインタビュー中、その事が頭から離れず、
小林は思い出し笑いを必死に押えていた。


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Billy Idol

弱ったな、こいつ目がサンパク、イッテル目。
メタル系のトガッたイボイボのアクセサリーつけてヤバそ。
本番いきなり歌い始めた。
「モトハーシ、モトハーシ!」
何だこれは?
元橋とか本橋とか人の名か?
歌いながら笑ってる。
こいつ恐くない、いい奴だ!
オレの目を見てまだ歌ってる。

あとで気づいたのだが、
彼のGeneration Xの最大のヒットrebel yellのサビが
「more more more!」
そう、そのサビをわざわざ日本語でヤツは歌っていたのだ。
あれは「モトハーシ」じゃなくて「もっと欲しい」だったのだ。

ビリー・アイドルは「きっかけ」をいきなり作ってくれていたのだ。笑顔で。
あーあ それを見逃してしまった。
悪いことしたなあ。
でもインタビューは丸く治まった。

後で聞いた話。
ビリー・アイドルがレコード会社の応接室から突如いなくなった。
会社中探してもいない。
2、30分の捜索後、最寄りの地下鉄駅入口で彼を発見。
彼はそこで一生懸命ナンパしてた。
通る女性ことごとく声をかけていた。
ビリー・アイドルはいい奴だった。


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Swing Out Sister

彼等のことを何にも知らないで「音」を聴いて、素直に思った事を質問した。

「クラブとかラウンジでライヴをやってたんでしょう?」

こジャレた音楽だったので、そんな夜の店で鍛えたにちがいないと感じたのだ。

すると二人は大笑い。
人の前であまり演奏したことがないというのだ。

そして話すうちに彼等がインテリ少年、インテリ少女であることがわかっていく。
特に彼女の日本人と同質のはにかみにズンズンはまっていくのであった。
ブレイクアーーーウト!


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Lionel Richie

なんか才能の優等生だったみたいよ。
大学で弁護士になろうかプロのテニス選手になろうか迷ったんだって。
いいとこのボンボンぽい話だよ。
で、バンドもやっててこっちが先に売れた。
歌うまいし作詞作曲もできるし、コモドアーズをはなれるのは時間の問題だった。

この人の曲や声、白人ぽくない?
優等生ぽいというか、オバマぽいというか。

We are the worldをマイケルと作って絶好調だったのに
突然5年間以上活動をやめるんだよ。
謎だよ。
90年代に入って彼に会ってきいたんだけどはっきり答えない。
お父さんの死とか離婚とか理由をあげるんだけど、それで5年以上休むとは思えない。
今だに謎。


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Musical Youth

一番下の子が12、3才だったか?
ミュージカル・ユースってグループ。
「パス・ザ・クッチー」がイギリスで大ヒット。
「クッチー」は「ダッチー」とか違う云い方で歌われるし、もともと昔の曲。
そのカバー曲。

でもな、「クッチー」って「ハッパ」のことだよ。
歌詞全体じゃ全く健全な内容だけどね。
サビになると「ハッパ回せ!」って歌われるんだよ。

で、この時点でメンバー一人一人が日本の女の子連れてんだよ。
まいったよ。
小林ちょっと口が開いてない?


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Thomas Dolby

トーマス・ドルビー
Blinded by Scienceが大ヒット中。

テクノっぽい要素をうまく取り入れてて
とても注目されていましたね。

当時、坂本龍一としばしば会う機会があり、
その度に、彼が仕事をした人間のことをまるで子供みたいに聞いておりました。
「デビッド・ボウイ 深い?」
「大島渚 軽い?」
すると坂本はズバリ答えてくれるんです。
トーマス・ドルビーと共作したすぐ後、坂本に聞きました。
「トーマス・ドルビー深い?」
彼の答えは「とても浅い」でした。

坂本は正しかったようです。


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U2

カリフォルニアのUSロックフェスからの帰り、日本に寄ってくれた。
会場の舞台のはしに20m以上のポールが立ってて、
アメリカ国旗がたなびいていたが、
ボノはこのポールに登って旗をはずし、この旗を身にまとった。
会場が沸いた。肉体ロックの極致の行為だった。

サンフランシスコで白い壁に大きく落書きして逮捕され罰金払ったり、
パンクというか何というか。

5年後あたりからエコ活動を始め、
アフリカの貧困国の借金を帳消しにしてやってくれと大国の首脳にかけあったり、
「親分」みたいになってきた。

慶応大学からの功労賞受賞で日本に来てたんだって?

このインタビューでは最後に
「アイルランドという小さな国のオレ達はロックがあったから世界に物を言った。
日本の若い人もロックで何か言って欲しい。ロックはそんな音楽だ」と発言。
スタジオはジーンときたみたいだった。

この時のインタビューはYou Tubeで流れてたけど、どうなったのか。


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The Bangles

ピンボケしてるけどバングルスです。
サイン付きです。

始まる前にマネージャーがやってきて
美人で一番人気のスザンヌばっかりに質問しないで、
他のメンバーにも平等に質問してね、と頼まれました。
他の国ではスザンヌに質問が集中して他のメンバーが嫉妬したらしいです。
そのためスザンヌは一番離れたところへ坐ってます。

みんなピーチク、パーチク面白かったです。
ピーチクパーチクって古い言い方です。
よくしゃべったってことです。

ラジオでもインタビューにきてくれました。
帰り際スザンヌがトイレから出てくるのをチラッと目撃。
昔の文化放送の古いトイレは洋式はありませんでした。

「やればできるじゃん」と思ったものでした。

ウォーク・ライク・アン・エジプシャン!


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Joni Mitchell

この方をどなたと心得る!
She is none other than Ms.ジョニ ミッチェル!

86年だったかな、パルコで自分の絵の個展のため来日、
彼女の作品を前にツー・ショット。
チェーン・スモーカーだった、ちょっと意外。
自分の絵に自信がなかったのか?
そんなことないか。

彼女の絵は2つの作風に分れていて、
一つは有名な麦ワラ帽子のチャーリー・ミンガスの肖像(レコード・ジャケットに使われた)
に代表される写実的な描き方。もう一つは抽象的なやつ。

でもよく見ると一つ一つ、かなりクセがあって、自分のスタイルを探してる感じが伝わった。
一千万近い値段のやつもあったけど、殆んどが数百万円だった。売れたのかね。

故マイルス・デイビスやハービー・ハンコックまでファンだという、
女性では一番影響力のある人かな。

ハービー・ハンコックの彼女へのトリビュート・アルバムはグラミーのアルバム賞、
それは今年のハナシ。

そんなエライ人の前でかなりくつろいでる小林。
嬉しそうです。
彼女ちょっとだけ出っ歯なんすよ、フェイ・ダナウェイと同じ。
両方ともタイプなんですよ。
オレも出っ歯です。


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Elton John

この頃はもうエルトンの時代じゃなくなっていた。
ストーンズさえ色褪せていた。
ごくろうさん70年代の人達!

そんな時エルトンは颯爽と登場した。
妙に明るい。
不機嫌なエルトンを他のTVでも見たことがあったので嬉しかった。

エルトンは自分の「時代遅れ」を誰よりも感じてた。
Sex PistolsやClashが出てきた時、もう自分は過去の遺物だと思った。
だから数年スランプが続いた。

作詞家バーニー・トーピンとも一時組まなくなった。

長い間かかって目が覚めた。

バカみたいだった。

「パンクもニュー・ウェイヴもオレ達もみんな一緒、ショービズだ。」
何でこんな事で悩んでたんだ!
気がついて笑いがとまらなかった。

それからエルトンは時代を越え始めた。

モンローに捧げたGoodby Normaseanが、
故ダイアナ妃への曲となり、史上最大のヒット曲になった。

昔、オトモダチだったハンサムな男っぽい
バーニー・トーピンとの共同作業のことも明かしてくれた。
バーニーとは一切顔を合わせない。
バーニーが書いた詩が送られてくるだけ。
それにエルトンは曲をつける。
バーニーの詩は100%生かす。
歌詞を削ったり、つけ加えたりは絶対しない。
レノン=マッカートニーともミック=キースとも違う曲の作り方だった。

実は一番盛り上ったのは、撮映が終ってからのエルトンのファッション講座。
月に一千万円以上も服に注ぎ込むエルトンはデザイナーにも造詣が深い。
東京の色んな店も教わった。
他にどんな店がある?と逆にきかれ、
オレ、「原宿ラフォーレ」って言うしかなかった。
「そこ、知ってるよ」って云われたよ。

この一年ぐらい後かな、
エルトンは自分のファッションの膨大なコレクションをオークションし、
売り上げを全部自分のエイズ財団にまわしている。


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まず小林流「イーグルズ入門編」

イーグルズのデビューの頃の出来事。
LAのサンセット通りにあるハイアットホテルの最上階の部屋から
2台のTVが窓の外へ投げられた。
泊まっていたツェッペリンのジョン・ボナムとロバート・プラントの仕業で、
もちろんツェッペリンはホテルからオン出された。
イーグルズは「ロックスター」が大嫌いだ。
「ロック」イコール「コケオドシ」「ハッタリ」「生意気」「hype」。
しかしデビューでいきなり売れたもんだから
「ロックスター」と呼ばれるようになってしまった。
オレ達はロックスターではない。
あんな人間ではない。
この主張がまるで背骨のようにイーグルズの音楽に貫かれているのが、わかるかい?

一枚目でロックスターになったもんだから
二枚目ではロックスターを西部劇映画に出てくる「無法者」に仕立て、
トータルなコンセプトアルバムにしている。
昔の西部劇にはメキシコ人の悪者がよく出てきた。
スペイン語で「デスぺラード」つまり「ワルモノ」だ。
そうロックスターを悪役にした。
するとどうだろう、突っ張って悪いことをやってる奴らの「哀愁」がにじみ出た。
これがイーグルズの味になった。
彼等のカントリーの体質もプラスに働らいたってわけだね。

ちなみに60年代後半から70年代にかけアメリカでサブ・カルチャーとなった
日本のアクション映画や時代劇をイーグルズのみんなが見てるよ。
みんなサミー・チバ(千葉真一)や座頭市(勝新)の大ファンだよ。
タランテーノ達とオンナジ。

イーグルズがトータル・アルバムにこだわるのはビートルズの強い影響。
「サージェント・ペパー」が最大の目標だった。
ビートルズとイーグルズに共通しているのはヴォーカル・グループであること。
ほぼ全員が歌うグループは実は珍しい。
イーグルズの特に後半の曲のヴォーカルやハーモニーはビートルズに負けてない。

彼等が「ロックスター」にこだわった時、傑作が生れている。
何といっても「ホテル・カリフォルニア」
このホテル・カリフォルニアは70年代の「サージェント・ペパー」と呼ぶにふさわしいアルバム。
「1976年がアメリカ建国200年祭の年で、
このアルバムはアメリカ文明への警鐘がこめられたメッセージ・アルバム」と評されている。
しかし、それは少々違うと思う。
ま、聴く人の自由だからいいけど、そんなに難しく考えることはないと思う。
「まるで自分たちのことを歌ってる」と考えると、
このアルバムがもっと楽しめるんじゃないのかな。
「ホテル・カリフォルニア」はロック・スターの引き込もりの歌だよ。
ホテルの料理長に「スピリット(精神or酒)は1969年以来なくなってます」
といわれるくだり。

イーグルズの中ではあの年のウッドストックと共にロックが終ったんだよ。
ヒッピー最後の年なのかな。それ以来愉悦から出られなくなったロックスターの悲劇。
それがホテル・カリフォルニア。
最高といわれる長いギター・パートは
華麗な「自己顕示」と「自己嫌悪」と「悲しみ」のパレードだよ。
「ニューキッド」はロックスターの仲間入りをした孤独の歌だし。
「ライフ・イン・ザ・ファースト・レイン」は
ロックスターのセックス&ドラッグ&ロックンロールだしね。

あと、イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」で終ったと考えるのが正解だと思う。
彼等の偉業に敬意を払うという意味でね。

もちろん彼等のそれ以後も、老境へと向う才人達の趣味とお仕事として
充分楽しませてもらっていますよ。





ソロとしては初来日のグレン・フライ。
この頃の彼のライフ・スタイルはすっかり80年代型となっていた。
有名なLAのジムのポスターに出る程、ワークアウトで汗を流してたし、
すでにゴルフはシングルだった。
髪をさっぱりと切っていたので「イメージチェンジ」と思われやすいが、
もともとジャクソン・ブラウンとJDサウザーと共同生活をしてた売り出し前から、
サーフィンをやるなど自然児だった。
この頃会ったジャクソン・ブラウンはサーフィンを続けていて、
グレンにゴルフに誘われるんだけど、オレはサーファーだからなあと困っていた。

来日時TBSテレビに出た時、
アナウンサーから「イーグルズはもうやんないんですか?」といきなりきかれ、
グレンは何も云わずスタジオを出ていってしまった。
この話をきいていたのでイーグルスの元仲間の事はそっとたずねた。
別に何のわだかまりもなく昔バナシをしてくれた。いい奴だった。





ソロとしてはグレンよりはるかに成功したドン・ヘンリーはかなり自信を持っていた。
すでにLAの家を引き払い、テキサスに戻ってマイペースで暮していた。
この「小林流イーグルス入門編」はドン・ヘンリーの話から想定した。
ドン・ヘンリーには「Boys of Summer」のような大傑作があるが、
声といい作風といい、イーグルスの「哀愁係」は結局彼の存在だったことがはっきりと判った。
インタビューではミュージシャンより家庭人としての話が面白かった。
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Phil Collins

1988年 フィル・コリンズ主演の列車強盗映画「バスター」と
サントラ盤の宣伝来日の時のショット。
60年代イギリスで起きた事件を映画化したものでコリンズは犯人役。
ハリウッド製ではなかったので上映館数も充分でなく大ヒットには到らず
「渋い映画」に終ったが、サントラ盤からは「Two Hearts」等の大ヒットが出ている。
写真からわかると思うが、彼は「作りニッコリ笑い」をしない。
硬派だ。アートロックの実験者だ。
この頃音楽の雑談で色んなアーチストに「嫌いな曲」をきいていたが、
彼の場合バリー・マニローの「I write the songs」。
コリンズにとってはマニローは軟派ってわけだ。
実はフィル・コリンズにはこれが3回目にインタビューで、
彼はその度にズバズバと本音を語ってくれた。
彼は初心を忘れぬ冒険家だった。
ジェネシスから中心人物ピーター・ガブリエルが抜け、ポッカリ大きな穴が開いた。
とりあえずピンチヒッターとしてドラムズをやってみないかといわれたのが19才の時。
臨時の仮やとわれだったのでいつクビになるかわからない。
だから実験的ジャズ・バンドもやめなかった。
その間にジェネシスはカンバンとなるリード・ヴォーカルを
4百人以上もオーディションしたがダメ。
結局、またまた、ピンチヒッターとしてヴォーカルもやってみないかって、
そんなノリでジェネシスにおさまった。
彼の我流とも思える強いヴォーカルが時代に合っていたのか評価を受け始める。
ジョン・レノンの強い影響があると思うんだけどなあ。
ジェネシスを抜けたピーター・ガブリエルもエライ。
ソロ・アルバムのためコリンズを呼び寄せた。
ガブリエルは暗〜い難解なドロドロした詩の世界から脱皮し始めた頃。
髪もカットしイメージも変ってきていた。
超一流としか仕事をしないガブリエルが呼んだわけだから、
コリンズはスゴイと認められたって事。
「ただ同じパーカッションをやる人間としてどうもおまえの金モノ
(シンバル、ハイファット等)は気に入らない。
金モノ抜きのドラムセットを持ってスタジオにきて欲しい。」とコリンズに伝えた。
ところがいざスタジオで音を出してみると
金属の音がしないわけだからどうもリズムが締まらない。
そこで登場するのが後にコリンズと名コンビとなる
ミキサー(後プロデューサー)ヒュー・パジャム。
彼はコリンズのスネア・ドラムの音を
ロー・ファイ極まりない、スタジオのトークバック用の安いマイクで録り、
それをコンプレッサーに通した。
結果はフィル・コリンズのトレード・マークとなる「ゲート・エコー」のドラム。
これみんながマネしたね。
今きくととってもバブルっぽい音。
この有名なエピソードが示すとおり、フィル・コリンズって男は
スタッフや共演者や先輩に恵まれている。
「ついてる」ってそういうことなのか。

「学校はみんなのための知識をくれる。
強い疑問と意欲があれば、どこにいても自分だけのための知識がころがりこんでくる。」
みたいなこと云ったと記憶する。
演技も演湊も作曲もみようみまねの我流だという。

スタジオという「楽器」もブライアン・イーノと仕事をして極意がわかった。
もうどんなオンボロなスタジオでも平気で使いこなせると云っていたのが印象に残った。

髪は薄いが彼はこの時37才。


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TV朝日の有名なプロデューサーが六本木で飲んでいた。
となりのとなりのテーブルあたりから なじみ深い声がきこえてきた。
何となく気にしていると、TVのハナシをしている。
彼は当時一際TVには出ようとしないアーチストであった。
しかし 彼はこんなことを云っていた。
「今のTVはくだんないから出ないんだよ。
 そうだな、アメリカやイギリスのビッグな奴らが出てる番組があんだろ、
 あの番組なら出たっていいかな」

プロデューサーは居ても立ってもいられなくなった。
「あいつがオレの担当する番組のことを話してる。
 しかも出てもいいって。」

プロデューサーから電話があった。
あいつと番組の出演交渉をしろ。
あいつが出てくれたら話題になるぞ、数字だって上る。


装画 黒川知希


ところが このロック・スターのブッキングについて
スタッフの間から反対の声が上った。
「アメリカのホットな情報と最新のヒットチャートをお送りするベスト・ヒットUSA」
と番組の冒頭でいってるではないか?
いくらTVに出ない日本の大物が出演してくれるといっても
我々の番組は洋楽の番組。
客に笑われることになる。
プロデューサーの番組の私物化じゃないのか?
実はこの時点で彼はアメリカでシングルを発表、
アメリカ・ツアーも決定していた。
しかしシングルがヒット中のニュースは伝わってこない。
果たして彼はアメリカで売れるのか?
そして洋楽の番組に日本人アーチストが出るのはおかしいか?

数年前、自分より若いクリエーターから説教を受けたことがあった。
加藤和彦のサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」のアルバムを
あのクリス・トーマスがプロデュースしているときいて、
銀座のONKYO HAUSスタジオで遠まきで様子を伺っていたら、
ディレクターの新田さん(後のファン・ハウスの社長)につかまった。
「克也さん ミカ・バンド好きなんですか?」
「大好きだよ」
「じゃ 番組でかけて下さいよ。」
「・・・・・・・・・」
「洋楽の番組じゃかけられないっていうんですか?」
「・・・・・・」
「洋楽といってもクソもミソもあるでしょう?
 克也さん クソはかけないようにするでしょう?
 ミカ・バンドはクソですか? じゃ かけて下さいよ」
「な、なんとか・・・・」
「洋楽 洋楽とこり固まってると悲しい人間になりますよ。」
彼は軽るく自分の担当のアーチストを売り込んだだけかも知れなかった。
でも彼の言葉はひびいたね。


売れる寸前の糸井重里と仲畑貴志は あのロックンローラーの処女作
「成りあがり」のゴースト・ライターだった。
あまりにも彼の存在の面白さに打たれた二人は囲りで
「成りあがり」ごっこを流行らせていた。
この小さな流行はスネークマンショーへも伝染していた。


実は彼とは一対一で2時間以上も話した事もあった。
彼はソロになり武道館で初ライブ後全国ツアーの途中だった。
FM大阪での録音を終え新幹線にとびのって
食堂車(当時はあったんだね)に入ったら、彼の舞台監督をやってた
金子さん(現在本願寺で渉外部長かな)にバッタリ。
紹介され、細い食堂車のテーブルをはさんで二人は相対した。
彼は今やってる事に没頭してることをいきなりしゃべり始めた。
曲を作ることが面白い。
こんなに自由に創作できて幸わせ。
作った曲を録音する、曲のたましいを感じる、成長している自分がいる、等々。

彼は自分がたのんだカレー・ライスには手もつけずにしゃべり続ける。
こっちはハム・サラダとビールをたのみ、
彼が食べないので、ビールをちょびちょび飲むだけ。
彼の話を聞いている。
熱つくなってしゃべるもんだから
せまいテーブルをはさんで彼のつばが飛んでくる。
ああ、オレのハム・サラダが!と思いながら、
話が面白いもんだから、あ、もうこのハム・サラダ食べなくてもいいやと、
笑いながら話をきいている。
「ちょっと前まで、箱根に家を建てて住んでたんだけど、
 暴走族の連中がオレの家見つけちゃってさ、
 落書きを書いて帰るんだよ。困ったよ」
なんて話になった頃、もう新幹線は新横浜近くまで来ていた。




何と間の悪いこと、
この日に限って 30分遅刻してしまった。
だいたい遅れ気味に始まるので、ま、いいかと思って
スタジオに入ろうとすると、シーンとした静寂が......
何と彼は定刻にスタジオ入りしていた。
そっとスタッフに聞くと もう彼は20分近く待っていると小声で教えてくれた。
すでに彼はゲストの席に坐って待っていたのだ。
だいたいゲストはまず楽屋へ入ってもらい
こちらの準備OKを見計って、スタジオに入ってもらう。
彼はいきなりスタジオに入り、みんなに明るく声をかけ
ゲストの椅子に坐ったらしい。
照明やフロアのスタッフは彼に見られてるので 全員があがってしまった。
だからシーンとしてるわけだ。
「遅れて申し訳ない!」
なるべく大きな声とともにスタジオへ入っていった。
彼はすぐ立ち上がり、大きな笑顔で手をひろげた。握手をされた。
「コバヤシさん久しぶり!」
彼の笑顔は無敵だ、凄い神通力だ。
スタジオがパァーと明るくなった。
かなりの人がいる。
大物登場ということで 社内の関係ない連中も見物しにきてるようだ。
ミニステージ上で我々二人が打ち合わせをかねて話し始めると
まるで本番みたいな雰囲気になった。
二人が何をしゃべっているのか聴き逃したくない。
みんながそんな感じで耳をそばたてている。
彼がいきなりきいてきた。
「コバヤシさん、で、オレのアメリカ発売のシングル聴いてくれた?」
弱ったな、実は聴いてない。だから正直に答えた。
いゃ、残念だけどまだなんだよ。
突然彼がスタジオにいるマネージャーの一人に云った。
「だめじゃないか、これじゃインタビューに入るわけにいかないよ。
 すぐ事務所へ走ってってとってこいよ!」
この彼の言葉で再びスタジオは静まり返った。
でも、今度は彼一人じゃない。
オレがいる。
マネージャーが事務所まで行って帰って来るまで
色んな音楽のハナシでもしようかと思う。
スクーターに乗って行ったから15分くらいでテープを持ってくるはずだという。
昔、会ったハナシを始めていたら、彼がスタジオの内で
デカイカメラを持って写真をとっている人間に気が付いた。
「オイ、なんで写真とってんの?」
彼はテレビ朝日広報の社員で、毎回記録用に写真を撮っていた。
おそるおそる彼は
「ハイ、これは記録用で、別に宣伝等には使いません。よろしいですか?」
「そうか、それじゃOKだよ、好きなだけ撮んなよ」と許可を出した。
スタジオ内はシーンとしたままだ。

すると彼は広報の社員に言った。
「おまえ、オレがニコっと笑ってるとこ撮りたいんじゃないか?」
彼はうなずくだけ。
「じゃ、早く撮りなよ!」
そう言うと彼は広報のカメラに向ってニコっと笑った。
スタジオ中が緊張した雰囲気の中、それはそれは見事な大スターの笑顔だった。
「これでいいかい?もう一回笑おうか?」
またニコっと笑った。
この一瞬、スタジオ中の人間がシビれたはずだ。

やがてマネージャーがテープを持って帰ってきた。
誰かがテープをサブ(副調室)へ持って上る。
みんなかたずを呑んで音を待っている。
ちょっと小さ目な音量で新曲が流れてきた。
彼が大きな声で、上のサブにもきこえそうな調子で云った。
「ロックなんだからさ、もっとボリューム上げろ!」
テープは巻き戻り、今度はデッカイ音で鳴り始めた。
彼の英語の歌が始まった。
オレを見てる。
じっと見てる。
顔をぐっとオレに近づけてきた。
「どう?」
「どう?」
「ヤザワ、どう?」
50センチぐらい前にニコニコ笑うヤザワの笑顔がある。
オレに他の答えがあるわけがない。
「いいねぇ、気持ちがいいよ」
そんな風にオレは答えたと思う。
彼の笑顔はもっともっと大きくなった。
「でしょう?いいでしょう!ヤザワいい曲書くでしょう!」

やがて上々の雰囲気のうちにインタビューが始まった。

まず何はともあれ、このヤザワのシングル曲のバックは
殆んどがドゥービー・ブラザーズだ。
ドゥービーとやってみてどうだったのか?
「所詮ロックはアメリカのものでしょ?
 本場でしょ?
 オレ達は まだロックやらせてもらってるってとこかな。
 力で言うと、オレ達はまだ幼稚園、ドゥービーは大学院、
 それくらいの差があるね。」
インタビューは謙遜気味で始まっている。
一番ききたかったのは、ヤザワの歌い方、しゃべり方、表情や仕草、
見得を切るようなポーズ、ストレートな物言い等は
日本人の感性の中では際立つが、英語文化の中ではどうだろう?という疑問だった。
ヤザワの魅力は英語圏では通じるのか?
本人はどう思っているのか?

これはスーパースターにぶつけるにはデリケートな質問だ。
質問の仕方によってはデッド・ボールすれすれの球になりかねない。
オレは表現に気を付け、失礼にならないよう、遠回りをしながら
質問を投げかけた。
しかしカンの良いヤザワは真意を感じたに違いなかった。
心はどこの国も同じ。伝えようとする力は誰にも負けないんだと云う。
「コバヤシさん、こういう云い方はわかるかな?」
と云いながらヤザワは色んな例えで、同じ内容を繰り返した。
そのうち、彼はだんだん盛り上ってきた。
スタジオが一つになって彼のハナシに没入した。
放送では6、7分使う予定のインタビューだったが、
ヤザワは45分もしゃべり続けた。
最後の方では、もう始めの謙遜は消えていた。
「オレは相手がドゥービーだろうが、何だろうが、絶対に負けない。
 世界の頂上を目指す。」
インタビューは大きな高まりとともに終った。
最後はスタジオにいた全員が拍手をしていた。
珍しい大オヴェィションだった。


この45分に及ぶテープはベストヒットUSAのスタッフの間では
「元気の出るテープ」として有名になった。
何人ものミュージシャンや役者達がお互いにコピーし、
秘かに広がったと聞いている。

ちょっと前、もう一つの「元気の出るテープ」、
ベストヒットでのU2のインタビューがYou−Tubeに出ていたが、
このヤザワ・テープはいずこに。

彼のかわいい目の輝やきに注目。


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 Update 2008/2/1

【お金にまつわるエトセトラ】

◆2005年にデビューしたイギリス出身の4人組ARCTIC MONKEYS。
 2006年の給料は、毎月18万円だった。


◆「後悔してるどころか、最高の思い出よ」 CHRISTINA AGUILERA。
 200万ドルかけた、2年前の結婚式について。
 2008年一月12日、午後10時5分、男の子が生まれたばかり、
 体重2oz、身長20.5INCH


◆マドンナ、ガイ・リッチー夫妻の総資産、
 2億7,500万ポンド(約650億円)


◆マドンナが、ロンドンの自宅に
 自分専用のフィットネススタジオを作るためにかけた費用。
 600万ポンド(約12億8000万円)


◆50個。ジョン・メイヤーが、ツアーに出ている時、
 ボストンバッグの中に入っている腕時計の数。


◆「スニーカーは、ほとんど一回しか履かない。
  気に入ったら、もう一回履くこともあるかな」 LUDACRIS


◆今年4月地元アトランタで、セレブ向け、高級レストランを
 オープンさせるLUDACRIS。
 一年前に気に入ったビルを丸ごと買い、内装に、100万ドル以上かけている。
 肝心の料理はシンガポール風CUISINE


◆BLINK182のトラヴィス・パーカーが離婚した時に、
 慰謝料がわりに、妻からもらったもの。
 1967年製キャデラック・エルドラド。


◆N.Y.ロングアイランド在住のビリージョエル。
 マンハッタンのスタジオに通うために購入したヨットの値段 200万ドル。


◆フリートウッドマックのミックフリートウッドが、
 非合法薬物のために払った総額、800万ドル(自己申告)


◆オジーオズボーンが、薬物治療のために払ったカウンセンリング料、
 71万ドル。


◆2007年、アメリカ大統領のお給料
 年額40万ドル+必要経費5万ドル+旅行経費10万ドル+交際費19,000ドル




 Update 2008/1/18

◆ヒラリークリントンが、今回の大統領選挙のための
 キャンペーンソングの候補に挙げていた曲。

  ・BEAUTIFUL DAYS/U2
  ・SUDDENLY I SEE/KT TUNSTALL
  ・READY TO RUN/DIXIE CHICKS
  ・RIGHT HERE RIGHT NOW/JESUS JONES
  ・I’M A BELIEVER/SMASH MOUTH


◆そして、ヒラリークリントンが、今、キャンペーンソングに使っているのは、
 候補になかった セリーヌディオンの「YOU AND I」


◆ということで、他の候補者のキャンペーンソングは

 ・民主党 ジョンエドワード
  TIMES LIKE THESE/FOO FIGHTERS

 ・ バラック・オバマ
  HOLD ON I’M COMING/SAM AND DAVE

 ・共和党 ルドルフ・ジュリアーニ(元N.Y市長)
  EYE OF THE TIGER/SURVIVOR(映画「ロッキー3」の主題歌)

 ・ ジョン・マケイン
  I WILL HOLD MY GROUND/DARRYL WORLEY(カントリー歌手)

 ・ ミット・ラムニー(モルモン教徒)
  A LITTLE LESS CONVERSATION/ELVIS PRESLEY
   (JUNKIE XL REMIXバージョン)


◆過去のキャンペーンソング

 ・1992年 ヒラリーの夫、ビル・クリントン
  DON’T STOP/FLEETWOOD MAC

 ・1976年 ジミー・カーター(ジョージア州出身)
  GEORGIA ON MY MIND

 ・1964年 リンドン・ジョンソン
  TRY ME ONE MORE TIME/ARLO GUTHRIE


◆アーティスト側から、キャンペーンソング使用を断られたリスト

 ・1984年 ロナルド・レーガン
  BORN IN THE U.S.A./BRUCE SPRINGSTEEN

 ・イギリス ブレア首相
  BEAUTIFUL DAYS/U2

 ・イギリス 労働党
  RIGHT HERE RIGHT NOW/FATBOY SLIM




 Update 2007/12/14

◆最初、BRITNEY SPEARS
 次が、MARY.J.BRIGE
 その次が、AKON
 RIHANNAのUMBRELLAを、唄うはずだった人達。


◆アメリカの子供向け雑誌 IN TOUCHが行った
 良い子悪い子アンケートによると、
 アメリカの子供達が一番悪い子だと思っているのは、ブリトニースピアーズ。
 理由は、意地悪そう、親の言う事を聞かなさそう。
 お高くとまっている、など、など、
 (ちなみに良い子の一位は、アンジェリーナ・ジョリー)


ということで、【セレブの本当の姿】とは?


◆ジョンライドンが、怖いと思っている事、
 それは、写真を撮られる事。
 素の自分を見透かされそうだから


◆48才になった、元カジャグーグーのリマール。
 年明け早々に整形手術を受ける予定。
 何をどうするかは、不明ながら
 「ゲイの間でのトレンドを取り入れた感じ」にするつもりらしい。


◆WHOのロジャーダルトリーが今抱えている、一番の不安は、老後の生活費。
 現在の収入は、印税しかないため、
 印税の支払期間が終われば、収入は「0」となる。
 今になって、貯金しておけば良かった、と、悔やんでいる、とかいないとか。




 Update 2007/11/30

【セレブ経済学】

◆パリス・ヒルトン、
 ロシアで行われたファッションショーに招待され、
 そのギャラは3日間で、200万ドル也。


◆再びパリスヒルトン。
 大晦日、ラスヴェガスで行われる年越しイベントに出演決定。
 そのギャラ、一晩で100万ドル也。


◆昨年の大晦日。ラスヴェガスの別のクラブの年越しイベントに
 ブリトニーが出演した時のギャラは、25万ドル(約3,000万円)


◆ブリトニーの元夫、ケヴィン・フェダーライン。
 イベント一回の出演料は、2万ドル(約230万円)


◆2001年、マイケル・ジャクソンのシングル「You Rock My World」の
 ビデオのマーロンブランドの出演料、100万ドル。


◆ジェシカ・シンプソンが、エジプトから取り寄せた、ベッドのシーツ
 1,400ドル。(約16万円)


◆マドンナのワールドツアーのバックダンサー、
 コンサート一回のギャラは、1,000ドル。
 (アメリカのプロダンサーの一回のステージの相場は、500ドル)


◆レオナルド・ディカプリオのマンハッタンの部屋の家賃、
 一ヶ月 35,000ドル(約400万円)


◆ジェイミーフォックスが、専属スタイリストに払っている
 一日当たりのスタイリング料は、服代は、別で 3,000ドル(約36万円)。


◆1982年、デビュー直後のBOOWYが、
 佐賀県で行われたイベントに出た時の出演料
 地元で穫れた野菜の詰め合わせと地酒。


◆「ここは、リゾート地か?」
 ブリトニー・スピアーズの父親が、娘の自宅を訪れて、
 最初に発した言葉。


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New Kids On The Block

これファンにとっては貴重なショットかな?
彼等が本格的に売れるのは2枚目のHanging Toughのアルバムからで、
これは彼等のデビューアルバムの時のプロモーション風景。
一番若い真ん中のジョイ・マッキンタイヤーがまだ12才で
小林おじさんは驚いてしまった。
そもそも子供のグループを毛嫌いしてたので、
この時はホントに困ってしまった。
おじさん何をきいていいかよくわからない。
このインタビューでは「学校での勉強は続けてるのか?」とか
「学校へは戻らないのか?」とか、
野暮な質問で彼等を白けさせてしまった。
不思議なもので、この時点で女の子の追っかけ隊がちゃんと揃ってて、
彼等がスタジオから出てくるのを待ちうけている。
「かなりみんな積極的なんすよ!」と事情をきいて更に驚いた。
スタッフと軽るく話したのを覚えてる。
「こんな音楽じゃ、この子達は売れないよね!」
我々は半分正しかったのかな?
このアルバムやシングルは全然売れなかった。

彼等を作ったのはNew Editionを成功させた
やり手プロデューサー、モーリス・スターで、
白人版New Editionを目ざしてボストンで500人の子供達をオーディションした。
この時ダニー・ウォルバーグが網にかかり、
ダニーが弟マークや学校の友達を連れてきてグループができ上った。
マークは子供のくせに、音楽があまりにも子供っぽいと幻滅して
やめてったりして写真のラインナップになった。
デビューアルバムの失敗で、次は時間をかけ、曲を選んで2枚目を作り、
これが大ヒット。
また次のStep by Stepはとんでもない世界的な大成功となった。
90年代は「グランジ」や「ニュージャックスウィング」で
彼等の影が薄すくなり、消滅して行った。
1991年に、その昔グループをやめたマークがマーキー・マークと名のり、
Good Vibrationsを突然No1にした時は驚いたけどね。

結局彼等がいたから、Backstreet BoysもInsyncも世に出たわけだ。

売れない時、ティファニーの前座でアメリカをまわってて、
いきなり売れたもんで途中で主役が交代する事件は
ちょっとしたドラマだね。

あと、日本の「ジャニーズ」の人達は
彼等がダンスものを本格的にやって世界的な巨大グループになっていくのを見て
確信したんだと思うけどなあ。
SMAPなんてここら辺のスタートじゃなかった?
Step by Stepあたりの。


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Joan Jett

ジョーン・ジェットといえば I Love Rock’n’ Roll(1982年)だが、
この曲の大ヒットの裏には 偶然と失望が重なる 血と涙の物語がある。
まずこの曲を書いてレコーディングしたのは
日本でもおなじみの“ニューヨークの溜息”の異名を持つジャズ・シンガー、
ヘレン・メリルの息子 アラン・メリル達の ジ・アローズ。
アランは母親と共に70年代は日本に住んでいて
Charや かまやつひろし達と音楽をやっていた。
アランはNYに帰りJake Hookerとグループを結成した。
ローリング・ストーンズのヒット曲 It’s Only Rock’n’ Rollを聴いて
そのジェイクはカチンときたらしい。
It’s only rock’n’ roll
〜たかがロックンロール。でも好きだよ って歌詞に 思わず、
たかがロックン・ロールってどういう事だ!
オレはそんなにひねくれないぞ、オレは真っ向から云うよ、
I love rock’n’ roll って。
ジェイクはすぐこの想いを詞にして、アランと曲をつけた。
たった30分で曲は出来上った。
二人はこれは凄い曲になったと思い、
プロデューサーのミッキー・モストに聴かせた。
ところがミッキーのノリが悪い。
録音するよ!と云うと、ミッキーはひとりで昼メシを食べに出かけた。
プロデューサーの留守の間での録音で、できも良くなかった。
結局B面の曲となってしまった。
惜しさの残る二人はイギリスのTVのレギュラー番組(グラナダTV)で
この曲を毎週演奏した。(ジェイクはイギリス人)
そしてこの曲をツアー中イギリスのTVで見て気に入ったのが
ジョーン・ジェット。
彼女は女ロック・バンド「ラナウェイズ」のギターだった。
ジョーンはジェイクに電話して、
自分達でこの曲をカバーしてもいいか?ときいた。
ジェイクはOKを出した。
自分達もこの曲の扱われかたに満足してなかったので、
「良いカバー曲に仕上げてね」とつけ加えた。
OKをもらったジョーンは仲間(ラナウェイズ)にこの曲を聴かせた。
ところがみんな盛り上ってこない。
やがてラナウェイズは解散し、ソロのジョーンは
元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ達とこの曲を録音。
でもこのI Love Rock’n’ Rollはオランダでシングルになっただけ
それもB面。
英米では発表にならなかった。
ジョーンはやがてBlack Heartsを結成、ヨーロッパ・ツアー。
その間にこの曲の作詞作曲のジ・アローズのジェイクから、
いつ自分達の曲をちゃんとレコーディングするのかときいてきた。
ジェイクはフォリナー等でおなじみの有名なプロデューサー、
ロイ・トーマス・ベイカーを連れてジョーンのNYのコンサートを見させた。
ベイカーはOK、じゃこの曲だけならプロデュースしていいよって返事で
一曲録音。
しかしジョーンのマネージャーが連れてきた
別のプロデューサーでアルバムを作った時、
ついでにこの曲をまた録音。
それをきいてジェイクもジョーンもとうとう自分達のイメージした
I Love Rock’n’ Rollができたと喜んだ。

ところが物事はうまく運ばないもの。
問題はアメリカのラジオの狭い了見。
ロック系のラジオ局は、この曲はロックと呼ぶにはパンクすぎると
プレイしてくれない。
ポップス系に頼むと、ロック過ぎると放送してくれない。
アメリカのラジオ局の石頭ぶりに絶望したジョーン達は
ファンならわかってくれると、ラジオ局を無視してツアーを続けた。
と、どうだろう、ファンからのラジオ局へのリクエストが増え、
ようやくラジオでかかり始めた。
その頃にはMTV等ではヘビーローテーションに入り、
やがて世界的な大ヒットになっていった。
        めでたし、めでたし。


スタジオに入った時はアブナイ女達?の雰囲気だったが、
ニッポンのオトコの話でいきなり固さが溶けた。
ジョーン・ジェットはI Love Rock’n’ Rollが大ヒットするハナシは
映画にでもなるんじゃないか、言葉の通じない国でも
このフレーズだけで若者ならニッコリ、と上機嫌だった。
クィーンのWe Will Rock Youとどっちが先だっけ?


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Robert Palmer

ちょうどUSA for Africaの We are the worldが大ヒットの頃で、
ロバート・パーマーはインタビューが始まると すぐ この話題に入ってきた。
「4才の息子と初めてTVで We are the worldのビデオを見ていた。
 マイケル・ジャクソンが歌い始めると、息子は名前も知らないのに、
 お父さん この人いいねって云う。
 ラィオネル・リッチーもスティーヴィ・ワンダーも息子は喜んで見ていた。
 ブルース・スプリングスティーンがサビを歌い始めたとたん息子が、
 お父さん!この人どうしたの?ってビックリして叫んだんだよ。」
つまり、ロバート・パーマーはブルース・スプリングスティーンが
大嫌いって云いたかった。
彼はロックを毛嫌いしてた。
「ツェペリンに始まって、ホテルでモノを壊すロックの連中がいるだろ?
 部屋のTVをぶっ壊したり、ホテルの窓から投げ捨てる奴ら。
 彼等はかわいそうな人間なんだよ。
 子供の頃奴らは貧しくて家にTVもなかったんだ。
 あいつら成金でいきなり金持っちゃったから、
 こんどはTVに復讐してるんだよ!」
皮肉屋なんだね。
しかしロバート・パーマーが世界的になったのは実はロックの音だった。
デュランデュランのジョン・テイラーとアンディ・ティラーが仕掛けた
Power Stationのおかげ。
今聴くとはっきりわかるけど、Power Stationは当時流行のゲィト・エコーを使った
ドラムズのドッカンドッカンが耳につく大ハッタリ・サウンド。
「音のバブルの時代」のまるでコメディーみたいなスタイルだ。
一方1976年の2枚のアルバムに代表されるパーマーの真骨頂は
ジャズやファンク。
実はこの頃が一番彼らしさが発揮されている。
つまり、ファンだからと いかに熱心にジョンとアンディ・ティラーに
頼まれたからといっても、ロバート・パーマーのPower Stationへの変身は
昔のファンから見たらガッカリ。
だって魂を売ったなオマエ といわれてもしょうがないくらいの
変りようなんだもの。
そのうしろめたさもあるのか彼はインタビューで弁解した。
「Power StationでT−RexのGet it onをカバーしたいといわれて困ってしまった。
 T−rexはロックだし、特にGet it onは露骨な極悪美の世界だし、
 歌詞もぶっとび過ぎている。
 自分が本来歌うべき歌じゃないし、
 はっきり云って、こんな歌、歌ったこともない。
 断わろうかと思ってたところ、ふと気が付いた。
 この歌は喜劇だ!真面目に喜劇をやればいいんだと思うと気が楽になった。」

というわけでロック嫌いのロバート・パーマーも
変なロックのスタイルで売れてしまった。
おまけに一番ヒットしたAddicted to Loveのビデオも大ヒットした。
独特の化粧の女性モデル達がバンドのメンバーとして
それぞれの楽器を演奏するというやつ。
そう、「ファッショナブルな伊達男」のイメージがついてしまった。
ごらんのスタジオで着てるスーツは 当時世界的に売れる寸前のアルマーニで、
彼はインタビューでも自分の服の趣味についてもしゃべってる。
「イタリアへ服を買いに行くんだ。
 自分が着れないなこれは!と思った服でも気になった服は買ってしまう。
 その時はきっと“芸術作品”だと思って買ってると思う。」



この時彼は36才だったが、次に会ったのは52才の時だ。
何とか昔の勢いをと、Power StationのCDを出し
プロモーション来日を果たしたのだ。
あの伊達男がどんなに渋く年を取ってるのか楽しみだったが、
会って失望した。
インタビュー中、左手にスコッチの水割りを持ち、
途中で二回ばかりオカワリをした。
EMIの担当者は、朝からこの状態でチビリチビリと夕方まで続くのだという。
ちょっと悲しくなった。

2003年9月、彼が心臓の発作で亡くなったときいて、
彼が最後に云ってくれた言葉を思い出した。
「オマエ仕事が長続きしてて、又会えて良かったな。
 80年代凄かった連中、殆んどがいなくなってるよ。」


お勧めのアルバムは、つまりパワーステーション以前の

Pressure Drop ’76 Some people can do
what they like ’76
Secrets ’79
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Eurythmics

「変なカッコしてきたなぁ!」というのが彼等の第一印象。
売れ始めたユーリズミックスはシングル一曲毎にpersona(人格)を変えていた。
D.ボウイが70年代アルバム毎に人格を変えていたのに似てる。
そういえば、日本でも沢田研二も曲ごとに衣裳や化粧を変えてたね。
この日、アン・レノックスは白を基調に、帽子とサングラスとシャツは
オレンジとライト・グリーンでまとめていたが、
髪は金髪で、全体にはピッカピッカのスットンキョーだった。

ちょっと前までは恋人同志だったわけだが、
音楽のカジトリはアンが引っぱってたようだった。
あっちへ行く、こっちへ行くと彼女が決め、ディヴがついて行く。
インタビューもアンが殆んど答えた。
それも遠慮なくストレートに、ズケズケと。
ディヴはストレートさをやわらげるように
軽い冗談をはさむ役をやっていた。
ちょっと前の大ヒットSweet Dreamsが
8チャンネルで録られたときいて驚いてしまった。
音が華やかで、またすでに当時は50チャンネル以上使ったりが
当り前だったので、彼等も豪華に音を作ったと思っていた。
もっと話を聞くと、友達の山の別荘で録ったと云っている。
つまり録音はスタジオではない。
ちょっと大がかりな自宅録音みたいなもんだ。
ディヴは軽るく云った。
結果がわかっていれば、どこで録っても、最新のもの使わなくても
あんまり変んない。
ディヴは日本で一般的に使われていた「ピンポン」をやったに過ぎない。
例えば1チャンネルにギターを録音、2チャンネル目にベースを録音。
ギターとベースの最終のバランスがわかっていれば、
1チャンネルと2チャンネルを一緒にして、3チャンネルへ移す。
この移すことを日本ではピンポンと呼ぶ。
でも最近はそんなの誰もやらない。
すると、1チャンネルと2チャンネルは空いて、
新たに次のものを録音できる。
ちゃ〜んと音のことがわかってれば何てこたないんだよ、
とディヴは云いたいわけだ。
この頃からアン・レノックは菜食主義者として有名だったので、
改めてたずねると、そう植物しか食べないと答えたが、
すかさずディヴは「オレは植物しか吸わない」(I smoke vegetables.)と
軽口をたたいた。
そんな冗談オレだってわかるよ。


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Grace Slick

スターシップのグレース・スリックがかなりきびしい顔をしている。
この日のことは克明に覚えている。
彼女は尊敬するミュージシャンの一人だった。
ジェファーソン・エアプレインの頃のハナシだ。
今はDVDが出てるので若いもんもチェックして欲しい。
彼女仲々美人だし。
カンタンに云うと、女入りのローリング・ストーンズ風で、
つっぱててかっこ良かった。
それが何だ?グループ名がジェファーソン・スターシップ?
えっ、スターシップ?
80年代に入り、そりゃ凄いヒットが連続したよ。
「サラ」「We built this city」
「Nothing’s gonna stop us now」
でも 昔のあの反逆のグループはどこにいる?
そう、コバヤシは1980年代も心の底ではロックの原理主義者であった。

インタビューでも、オレの未熟な表現力で
そんな不満をチラッとのぞかせた。
それを受けての彼女のオレへの説教が始まった。
この写真はその時の彼女の表情だ。

「60年代から70年代はロックが生活や主張そのものの時代だった。
 80年代は大資本が牛耳るようになり、ロックは商品の時代。
 時代は変った。
 私は昔の仲間と一緒に戦っていたが、今はもう仲間はいない。
 私ももう戦士ではない。
 時代は戦士を必要としていない。」
こんな内容を例を挙げて彼女はしゃべった。

ひょっとして彼女はグループをやめるんじゃないのか?
オレはそう思った。
何となくお別れ宣言みたいだったからだ。
それとNothing’s gonna stop us now(愛はとまらない)のヴォーカルだ。
彼女は高い方のメロディを歌ってる。
彼女の存在感が薄すい。
ミッキー・トーマスが高い方を歌ったほうが良かったのではないか?
彼女の限界が見えたような気もした。

彼女は日本へは休暇を兼ねて家族だけできてたようだった。
一年後に彼女はもう辞めたってきいた。


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J.Geils Band

1983年6月
ウェンブリー・スタジアムでのローリング・ストーンズのコンサートへ行った。
ちょうど有名なウィンブルドンのテニスが行われていた。

この時期はにわか雨が多く ロンドンの人間は慣れっ子で、
ちょっと待ってればすぐやむよみたいな感じだ。
当日もコンサート直前凄いドシャ降りがサッカースタジアムをおそった。

ローリング・ストーンズのコンサートはとっくにソールド・アウトだったが、
若者層は全然盛り上がっていなかった。
やっぱり現場にきてみないとわからない。
当時売れていたヘアーカット100みたいなニューウェイヴっぽい連中は、
ストーンズは昔の若者達のものだと割り切っている。
何故おまえ達はストーンズで騒ぐのか?と非難がましく見る奴もいる。
ロンドンの「ピア」に相当する「タイム・アウト」誌に
ミック・ジャガーのインタビューが載っている。
女性のインタビューアーが実名入りで、インタビューの前説を書いている。
「ミック達は久しぶりのロンドンでピリピリしてる。
 暴力を心配してるのだろうか?
 ミックのしゃべりだが、You knowやUhが多すぎる。
 70年代マリファナが流行ってた頃はそりゃナウイしゃべり方
 だったかも知れないけど、
 ミックは今80年代に入ってることを知ってるんだろうか?」
イギリス人はズケズケ心の中をしゃべる。

ウェブンリー・スタジアムに入ると、若者のコンサートじゃないって云う
意味がわかった。
中年が圧倒的に多い。
もちろん10代もいるけど目立たない。
むしろ家族連れが目立つ。
まだ若いじいさん、ばあさん、そして子供達、
そしてその子供の小さい子供達という三代の家族風も多かった。

雨が降り始めたのは前座のJ・ガイルズ・バンドの演奏が始まってすぐ。
彼らは二曲も演奏しないでステージを降りた。

イントロが長くなってしまったが、この写真は、雨の後のテントの中。
まん中が人気者ピーター・ウルフ、黒い髪がバンマスのJ.ガイルズ、
ちぢれっ毛がセス・ジャストマン。
参加したばかりのセスが書いた曲、「堕ちた天使」が
バンド初のドデカイ ヒット曲となったのが1982年、
6週間も続いたNo1ヒットだった。
この写真で、ピーターがしゃべり、残りが受けているのは、
ピーターがボストンのWBCN−FMの人気DJだった頃のDJ節を
ノーテンキに演ってくれてるから。

20年以上も経つと色んな事が見えてくる。

J・ガイルズ・バンドはブギやブルース演奏は一流だったが、
クリエーターとしては二流だった、「堕ちた天使」も普通の曲だった。
この「普通さ」は実はヒット曲に通じるのだが、
この曲はたまたま出た色モノ風だ。
その上、彼等には誰にも負けないスタイルがあったのに、
この曲は無理に売れようとしてるなという感じで見てて寂しくなった。
同じボストン出身のエアロも二流だったかも知れないが、
この「普通さ」を無理せず貫いた。
スタイルも守り続け一流となった。
運もあったかも知れない。
スティーヴン・タイラーとピーター・ウルフとの差なのかな。

このインタビューでは「落ちた天使」が売れて借金も返せた、
なんて云ってたのにね。
すぐピーターはグループを抜けている。


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Mick Jagger

ソロ・アルバムを出して、東京ドーム出演前のミック・ジャガー。
色々うるさい人間で、インタビューもワン・メディア ワン・インタビュー
という事で TVでは「ベストヒットUSA」だけ。
ソロ・コンサートの主催はフジTVだったので、
うちが金出してるのに、なんでフジに出ないで他局に出るんだ! と
クレームがあったらしい。
当時CBSソニーの社員だったジョン・カビラがミックの担当だったので
そのあたり苦労したと思う。
ミック御一行には 怪しげな色っぽい女性や男性達もついてきてて、
あいつら一体何しにきてんだ?との疑問多し。
このあたりもジョン・カビラは知ってたはず。

とにかくミックは人を待たす、待たす。
我々はスタッフとともにホテル・オークラでセッティングしたまま
約2時間待たされた。
この時点でベストヒットUSAのスタジオにインタビューのため、
ブライアン・フェリーが来ていた。
我々がミックに2時間待たされたため、
ブライアンとのインタビューが始まったのは3時間半後のことだった。
実はこの二人の間には隠れたドラマがあった。

ブライアン・フェリーと婚約中のモデル ※ジュリー・ホールは
NYの金持ちの友人のディナー・パーティに招かれた。
彼女と同じテーブルにミック・ジャガーと俳優ウォーレン・ベィティがいた。
映画「ディック・トレィシー」を監督、主演し、
共演マドンナと浮名を流したちょっとセクシーな男だ。
ミックとウォーレンは同じテーブルに一人で坐っていたジェリーの取り合いになった。
両方とも百戦錬磨の遊び人だ。
形勢不利と見たミックは手下に電話した。
「マブイ女4、5人連れてオレのところへコーイ!」
(まるでMiss youのしゃべりのとこの雰囲気だね・・・・小林の脚色)
結局その夜、ウォーレン・ベィティはミックの手配した
「きれいどころ」の一人をお持ち帰り。
ミックはというと、その夜の詳細はわからないが、
そのジェリー・ホールと結婚することになるのは云うまでもありません。

一方、婚約中のジェリー・ホールをNYに残してブライアン・フェリーは、
ロキシー・ミュージックの日本公演のため、この夜は東京にいたのであります。
きく所によると、2、3日後、ジュリーから
ホテル・オークラに泊ってるブライアンに国際電話があったらしい。
話の内容はわかるはずがないが、あの紳士然としたブライアンが、激昂し、
指にはめていた婚約指輪をほおり投げたと伝えられている。

そう、ブライアンにとってミックは、
留守の間に自分の婚約者を寝取った憎っくき男。
ベスト・ヒットUSAのスタジオで待っていたブライアンは、
我々がそのミックに待たされたせいで、自分も結局、3時間以上も待たされた。
ブライアンは知ってたはず。
ミックもオークラ、ブライアンもオークラに泊っていた。

裏ではそんなドラマがあり 長い間待たされたにもかかわらず、
インタビューが終りブライアンはニッコリと笑顔でスタジオを後にした。
ほんとに男らしい男だった。
「実はこれが日本で最後のプロモーションの仕事だったんだ。
 明日から休暇でスイスに行く、毎日スキーだよ。」
そんな事を云ってたと思う。
レコード会社の担当が、
「婚約者がスイスで待ってるんですよ。嬉しそうでしたよ。」
と伝えてくれた。

どう? そんなミックとオレ。
オレの方が、ほんのわずかだけど、「顔」がデカイことを発見した
ひとときでもありました。


※ジェーリ・ホールがロキシー・ミュージックのアルバム・ジャケットを
 飾ってたのを知ってるか?
 アレ以来の仲だったんだね。


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Ozzy Osbourne

予想してたイメージとこんなに違ったアーチストはいない。
この写真では彼が珍しく上機嫌でニッコリしてくれてるけど、
印象は、ちょっとデブで、ヨチヨチ歩るき、
ショボショボとした表情で、小さな声で話す、暗いアーチスト、
そんな感じ。
ちょっと見方を変えると、変な怪獣みたいなキャラクターで、
カワイイと思う人も多いかも知れない。
ライブとの落差もイイ。
奇行、蛮行があまりにも有名で、そっちに気を取られやすいが、
音楽はドまん中の直球だ。
実は職人肌のいい人、なんじゃないかと想像してる。


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Aerosmith

この日はホテル・オークラまで機材を持ち込んで
インタビューを撮映した。
宴会用のデカイ部屋にセット完了して彼等を待ってると、
まずベースのトムがやってきて 遠くからこっちを伺ってる。
他のメンバーがきてないとわかると どこかへ行ってしまった。
しばらくするとローディか誰かがまたやってきて様子をみてる。
部屋にさっと入ってくればいいのに。
ジョーがひとりできて、彼はさっと入ってきた。
それが合図かのようにトム達が入ってきた。
5分ぐらい待って最後にスティーヴンが入ってきた。
35才、めっちゃ若く見えた。
ヤツには華がある。
彼が入ってくると部屋が明るく、引き締まる。
でもメンバーの揃い方といい、何となく、仲がギクシャクしてるヴァイブが伝わってきた。
そりゃそうだな、解散状態からみんな戻ってきたんだもんな。
1987年のことでした。


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Ray Davies(The Kinks)

こんなに気さくな人はいなかった。
米でも英でもこの世代のロッカー達は、押しなべて人に優しい気がする。
ビートルズやストーンズや、このキンクスを第1世代とすると、
この下の世代のロッカー達は、生意気が売り物だ。
つまり、第2世代は、ちょっと冷たい。
これが第3世代になると、また、優しくなる。
この繰り返し。

彼はなかなかのインテリで、
コチラの誤解も優しく解説してくれて助かった。
この頃、彼が付き合っていたプリテンダーズのクリッシー・ハインドの
事を聞くと顔が赤くなっていた。
ちゃっかりスケジュールを合わせて、プリテンダーズも来日していて、
日本で二人が会っていたのは、云うまでもありません。

小林は、めずらしくパンクヘアをしていました。
上部が豊かではないので、そんなには目立っていませんね。


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John Denver

カントリーロードなどの一連のヒットで知られるジョン・デンバーは、
実は、テレビの人気者で、この頃のアカデミー賞やグラミー賞の
司会をよく努めていた。
テレビなどで見るメガネをかけた彼のイメージは、
素朴な田舎のアメリカ人。
しかし、このインタビューに登場した彼は、気難しく、
音楽の話はあまりしたくないようだった。
このインタビューを見た、在日のアメリカ人から、
「ジョン・デンバーって、ちょっとオカシイ奴じゃなかった?」
とよく聞かれた。
アメリカ本国でも、オカシイ奴という評判がたっていたようだ。
70年代には、2回ほど石油ショックがあったが、
ジョン・デンバーの自宅にはバカデカイ石油貯蔵タンクがあり
エコロジーコンシャスなイメージを裏切っていると、聞いたことがある。
テレビで見る笑顔いっぱいの柔らかさはなく、
超マジメ人間のイメージが今でも残っている。


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Weather Girls

彼女達は一発屋で、「空からいっぱい男が降ってくる」という内容の
ディスコヒット「It’s Raining Men」(ハレルヤハリケーン)で
有名になったばかり。
明るい下ネタ大好きのオバサン達で、
音楽の質問をすると必ず下ネタのオチをつけて
コバヤシを困らせていた。
何か云うとすぐカラダに触るんだもんなぁ。


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Huey Lewis

1985年12月10日。
ベストヒットUSAのスタジオで、数曲ライブをやってくれた。
その寸前のワンショット。
既に、ラジオなどでもゲストで出演。
4、5回目の出会いだったのでかなりリラックスしている。
左手前の腹のデカイ人は、故 津島ディレクターで、
見たとおりの豆タンクのようなパワーとエネルギーをいつも発散していた。
80年代のベストヒットUSAのタイムマシーンが
時々見たことも無いような掘り出し物映像を流したが、
これは、レコード会社が見向きもしなくなっていた倉庫から
彼の執念が探し出した物が多かった。
また、喰いついたら離さないスッポンの様な取材魂を持っていて、
ベストヒットUSA黄金期に大きな貢献をした。
忙しく何日も眠らないような状態でサウナに入り、いきなり逝ってしまった。
残念だった。
現在も、番組は続いているが、
時々番組を彼に捧げているという気持ちを思い出す。


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Will Smith (The Fresh Prince)

今の国民的大スター、ウィル・スミスは、
ラッパー フレッシュ・プリンスとして この年デビューしたばっかり。
RUN・DMCは、相当ツッパッていたが、
彼らは、ちょっとだけツッパッてた。
その雰囲気は、写真に表れている。
インタビューはとても和やかな雰囲気で、
「ラップってやってて歌詞忘れない?」と聞くと、
「オレは絶対忘れない。」と、かなり優等生だった。
彼には独特の甘さがあり、
ハリウッドに呼ばれている、間もなく「リビング・カラー」という連ドラに出るんだ
と語っていたが、そのシリーズで人気爆発。
映画へと向かった。
スターになる前の貴重なインタビューだった。


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Peter Cetera

80年代シカゴは、「素直になれなくて」等のバラードヒットで
60年代後半からの人気を持ち直していた。
原動力は、ピーター・セテラだったので、
彼も自分の力を過信し、グループを辞め、ソロになった。
一番勢いのある頃の写真だが、その勢いも長くは続かなかった。
この時は相当疲れていたが、カメラには笑顔を見せた。
10年後に、他のメンバー達と会ったが、
シカゴが80年代バラードに走ったのは 失敗だった、と僕に語った。


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Christopher Cross

この人は、少年時代、
東京の渋谷ワシントンハイツ(米軍人住宅地、現在NHK、代々木公園の辺り)
に住んでいて、日本語も少ししゃべって、日本のテレビも見ていた。
でも全部忘れてしまっていた。

ワーナーの上部は、この人のルックスから売れないだろうと
あのフラミンゴのアルバムをオクラにしそうだった。
1年後に発売。結果はご存知の通り。
こんなに気取らないアーチストはめずらしい。
ビデオクリップにも無頓着な人で、
小林がたまりかねてビデオクリップ論を彼にのたまっていた。
その時の写真。


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Cyndi Lauper

この写真はシンディーが「ハリウッド・スマイル」を実演している。
「私 発見したんだけどね、ハリウッドの女優達の作り笑いのヒミツ。
 上のクチビルが少しめくれるように笑うのよ。
 ちょっとセクシーに見せるためなのよ」
とオレに一生懸命やらせようとしている所。
この頃は「変った女」フェロモンがムンムン出てたよ。
ファッションなんかもオリジナルで独特だった。
でもなあ 次の来日は一年後なのよ。
この写真から一年たつと全く雰囲気が違ったのよ。
六本木の中華料理屋で会ったんだけど、「チャネラー」になってたんだよ。
ちょっと失望した。
でもオレ「Time after Time」と「True colors」の2曲だけで
彼女の凄さは120%認めてるよ。
ごくろうさん。


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Sting

これはNYロングアイランドでのコンサートの楽屋の写真。

この翌日は、NYマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートで
ブルース・スプリングスティーンが飛び入りした。
80年代初め ポリス時代はのどをいためていたが、
スティングはこの頃心身ともに絶好調。
ただ、マネージャーの横領に遭い、自分の会社の経理を自らがチェックしていた。
ロングアイランドでのコンサート当日も、レコーディングのかたわら
早朝から経理の仕事もしていて、会場への車の手配がされていなくて、
オレ達の車でコンサートへ向った。
会場でセキュリティがオレ達の車を止めたが、中にスティングが入っていてビックリ。

この日のコンサートのスタッフ全員の食事は、NYからのスシの出前。
大量のスシが配られていた。
ちなみにNYの寿司屋は「タイコズシ」
ミッキーカーチスのバンド、ザ・サムライズのドラマーだった人の経営だった。
もう一つちなみに、ザ・サムライズのベース山内テツは、
後期のロッド・スチュアートのFacesのベースをつとめた。
ロッドが云うには
「テツはオレ達に負けないくらい酒が飲めるのでメンバーになった。」

スティングのコンサートはインテリっぽい、ちゃんとした服装の客が殆んどで、
スティングが長年やりたかったJazz風の曲が中心。
マディソン・スクエア・ガーデンでは、
そんな洒落た雰囲気の中 ブルース・スプリングスティーンが登場したが、
いかにも労働者風、肉体シンガーっぽさが強調され、客からも失笑がもれていた。
ちょっとかわいそうだった。
この時、みやげに会場で買ったスティングのトレーナーは70ドルだった。
忙がしいスティングのかみさんとオレ達は一緒にいたが、
彼女とはすぐ別れたらしい。


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Billy Joel

この時ビリー・ジョエルはアルバムの宣伝ではなく、
何かの用で日本に居た。
はっきりとした理由は覚えていない。
この時ビリーは何故かキゲンが悪く、
良くない「ヴァイブ」が体から出ていた。
近づくとまず強いニンニク臭、アルコールの臭いもうっすら。
半分イタリアだからイタメシとワイン?
二日酔だったのかも知れない。
ニューヨークで2回も